Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

プリーモ・レーヴィと石原吉郎

2020年09月17日 | 読書
 わたしは時々「神はこの人を選んで、あえて過酷な体験をさせたのではないだろうか」と思うことがある。音楽でいえば、耳が聞こえなくなったベートーヴェンだ。ベートーヴェンがどんなに絶望したかは、想像に余りある。その絶望があったからこそ、たとえば後期の弦楽四重奏曲のような音楽が生まれたのではないか。語弊を恐れずにいえば、そのような音楽を書かせるために、神はベートーヴェンに過酷な試練を課した、と。

 ショスタコーヴィチもその一人だ。スターリン統治下で粛清の恐怖に晒された。その恐怖があったからこそ、晩年の比類のない音楽が生まれたのではないか。底知れない深淵を覗いた音楽は、わたしにはベートーヴェンに比肩すると思われる。

 文学に関していえば、アウシュヴィッツ強制収容所を経験したプリーモ・レーヴィと、シベリア抑留を経験した石原吉郎がその好例だ。二人の経験には、過酷な労働、飢餓、劣悪な衛生状態、暴力そして死などの共通項が多い。しかしそれ以上に本質的な共通項は、二人が生涯をかけてそれらの経験を反芻し続けたことだろう。

 アウシュヴィッツやシベリアからの生還者は他にもいた。だが、戦後社会を生きながら、その経験を考え続けた人は稀だ。普通の人たちは忘れようとする。そのような人々は、アウシュヴィッツやシベリアにかぎらず、どんな惨事にも見受けられる。

 だが、忘れずに考え続ける人々もいる。プリーモ・レーヴィや石原吉郎がそうだった。それは過酷な仕事だった。アウシュヴィッツやシベリアでの体験を、もう一度繰り返すことにほかならなかった。アウシュヴィッツやシベリアでは、肉体的には過酷だったが、生き延びることがすべてに優先するので、本能のままに生きた。だが、生還後、その経験を反芻することは、精神的にこたえた。それは選ばれた人にしかできなかった。プリーモ・レーヴィや石原吉郎がその選ばれた人だったと思う。

 プリーモ・レーヴィは自宅のある集合住宅の4階から落ちて亡くなった。自死だと考えられている。一方、酒に溺れた石原吉郎は、自宅の浴槽で亡くなった。飲酒したうえで風呂に入ったと考えられている。二人とも精神的に限界だったのかもしれない。そんな代償を払ってまでも、二人はそれぞれの経験を反芻し続けた。

 ホッとする共通項もある。プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツでアルベルトという友人を得た。石原吉郎はシベリアで鹿野武一(かの・ぶいち)という友人を得た。そのような友人がいることが二人を支えたと思われる。だが、アルベルトも鹿野武一も、その実像は二人の著述とは違っていたという研究もある。もし違っていたなら、それはむしろ収容所にあっても友人を見出せる精神力が、二人を生き延びさせる要因だったと考えるべきかもしれない。
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