Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

小川洋子「ことり」

2022年05月09日 | 読書
 小川洋子の「ことり」(2012年)を読んだ。少し時間を置いてから、もう一度読んだ。わたしの大切な小説になった。

 小鳥を愛し、小鳥の言葉を理解している(ように見える)「お兄さん」。お兄さんの言葉は小鳥に似ている。だれも理解できない。だが弟の「小父さん」には理解できる。母が亡くなり、父が亡くなる。お兄さんと小父さんは二人でひっそり生きる。やがてお兄さんが亡くなる。小父さんひとりになる。小父さんも小鳥を愛する。お兄さんほどではないが、小鳥の言葉がわかる気がする。やがて初老になった小父さんは、ひっそり亡くなる。そんな小父さんの、だれにも知られることのない人生の物語。

 本作品は音楽を感じさせる。その音楽は2楽章で構成されている。第1楽章はお兄さんが生きているときのお兄さんと小父さんの生活。ゆったりしたテンポの平穏な音楽。その平穏さが損なわれないように細心の注意が払われる。第2楽章はお兄さんが亡くなってからの小父さんの生活。多少動きのある音楽。いくつかのテーマが生起する。最後は第1楽章冒頭のテーマに戻って終わる。

 二つの楽章を通じて小鳥の歌う「愛の歌」があらわれる。その歌が二つの楽章をつなぐ。それだけではない。第1楽章、第2楽章それぞれの主要なテーマに変容して、一定の展開をみせる。

 物語の終わり近くに、怪我をしたメジロがあらわれる。小父さんはメジロを介抱する。メジロはやがて元気になる。メジロはまだ幼い。元気になるにつれて、愛の歌を歌おうとする。小父さんはメジロを励ます。だんだんうまくなる。その様子はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で青年騎士ワルターが靴職人のハンス・ザックスに励まさて愛の歌を歌おうとする場面を思わせる。

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ではその直後に野外の歌合戦の場面になる。同様に「ことり」でも野外の「鳴き合わせ会」の場面になる。だが「ことり」の場合は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のような晴れがましさはなく、どこか不穏だ。小父さんはその会になじめない。そして驚くべき行動に出る。

 物語は一気に終結にむかう。先ほど述べたように、物語の冒頭に戻るかたちで終わる。円環が閉じられるように感じる。だからだろうか、冒頭からもう一度読みたくなる。わたしは上述のように二度読んだが、二度目になると、一度目には気になりながらも、十分には意識化できなかった箇所を意識して読むことができた。たとえば怪我をした渡り鳥のエピソード。草陰に身をひそめて夜空を見上げるその鳥は、何を象徴するのだろう。

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