Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ザルツブルク:ムツェンスク郡のマクベス夫人

2017年08月22日 | 音楽
 ザルツブルク2日目はショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を観た。前日の「ヴォツェック」も今回も同じウィーン・フィルだが、オーケストラの音が全然違う。今回は音に潤いがある。やわらかい絨毯のような弦のテクスチュア。これこそウィーン・フィルだと思った。

 メンバーの一部交代はあるだろうが、やはり指揮者の違いが大きいと思う。今回はマリス・ヤンソンス。今や現代を代表する指揮者の一人だけあって、作品とオーケストラとの双方をしっかり掌握していることが感じられる。ウィーン・フィルはウィーン・フィルで、ヤンソンスに全幅の信頼を置いているようだ。

 前述したような弦のテクスチュアに、スケールの大きさと切れ味のよさが加わり、第一級のショスタコーヴィチの演奏が生まれた。

 歌手ではカテリーナを歌う予定だったニーナ・シュテンメが、体調不良ということで降り、本来は女中アクシーニャを歌う予定だったエフゲニア・ムラヴェヴァという歌手が代役に立った。

 観客としては、さて、大丈夫かと固唾を呑んで見守るわけだが、どうして、どうして、堂々たる歌と演技で、少しも不安がなかった。プロフィールを見ると、マリインスキー劇場で最近同役を歌ったか、または近々歌う予定とのこと(どちらかは判然としない)。しっかり準備ができていたのだろう。

 カテリーナを誘惑するセルゲイを歌ったブランドン・ジョヴァノヴィチは、歌はよいのだが、男の色気に欠けていた。カテリーナの舅ボリスを歌ったドミトリ・ウリャノフは、声に力があり適役だった。その他の歌手もよくやっていた。

 演出はアンドレアス・クリーゲンブルク。演劇畑の人だけあって、緊密で、焦点のよく合ったドラマを構築した。読み替えというほどのものはなく、変わったこともしていないが、あえて一言触れると、イズマイロフ家の使用人の集団の中に、一人の少年がいて、少し目立つ動きをしていた。

 あれはなんだろうと考えているうちに、ふと、ショスタコーヴィチが(共同執筆者とともに)レスコフの原作からオペラ台本を作るとき、カテリーナとセルゲイに殺害される少年をカットしたことを思い出した。カテリーナの‘マクベス夫人’的な性格を決定づけるくだりだが、今回の演出でのあの少年は、カットされた原作の少年のささやかな墓標ではないかと思った。わたしの勝手な解釈だろうが。
(2017.8.15.祝祭大劇場)

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