読売日響の12月定期はオスモ・ヴァンスカを指揮者に迎えて次のプログラム。
(1)カレヴィ・アホ:交響曲第7番「虫の交響曲」
(2)ベートーヴェン:交響曲第7番
カレヴィ・アホは1949年生まれのフィンランドの作曲家。ヴァンスカは2008年11月に客演した際にも交響曲第9番(トロンボーンと管弦楽のための)を振っていたが、私はそれをきけなかったので、今回が初めて。
それにしても虫の交響曲とはなんだろうと思っていたら、先月のプログラム誌に、チャペック兄弟の原作にもとづくオペラ「虫の生活」を再構成したものという記事がのっていた。
チャペック兄弟!私は俄然興味がわいてきた。弟のカレル・チャペックはヤナーチェクのオペラ「マクロプロス事件」の原作者だし(もっとも結末はヤナーチェクがかなり書き直しているが‥)、兄のヨゼフ・チャペックもヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」の漫画を描いている。
そこで原作「虫の生活から」(田才益夫訳)を読んでみた。ひじょうに面白い。酒に酔った浮浪者が転んで、地面の上の虫たちの生活をみる。蝶々たちは享楽の生活、フンコロガシやコオロギなどはブルジョワジーの生活、蟻たちは全体主義国家――この部分は十数年後のナチスの登場の予言のように感じられる。
アホの曲はオペラから抜粋したもので、全6楽章からなっている。私は事前に原作を読んだためか、今どこの場面をやっているかがよくわかった。これは驚くべきことではなかろうか。それだけ描写が成功しているということだ。
たとえば第5楽章の蟻たちの「労働音楽」では、左右の客席にトロンボーンのバンダが入って異様な抑圧感を生む。引き続いて起きる「戦争のマーチ」では口笛を模したようなキッチュなマーチとなる。第6楽章の「死んだカゲロウたちのための子守歌」では、フルートとファゴットの重奏による慰めにみちたメロディーが歌われ、そこにイングリッシュホルンがオブリガートをつけ、さらに独奏チェロに歌い継がれる。曲が終わっても、生命のいとおしさの余韻が残る。
ベートーヴェンの交響曲第7番は、一瞬の停滞もなくエネルギッシュに進み、大きな起伏のラインを描く。強音よりも弱音に比重がかかり、抑制された音量の中で、リズムが果てしなく続いていく。第2楽章などはその好例で、リズムパターンが浮き上がり、目にみえるよう――なので、これは情感できかせる演奏ではない。
第4楽章ではオーケストラ機能を全開させ、ピリオド楽器が全盛の時代にあって、近代オーケストラで演奏するとはどういうことかを問うもののように感じられた。
(2009.12.15.サントリーホール)
(1)カレヴィ・アホ:交響曲第7番「虫の交響曲」
(2)ベートーヴェン:交響曲第7番
カレヴィ・アホは1949年生まれのフィンランドの作曲家。ヴァンスカは2008年11月に客演した際にも交響曲第9番(トロンボーンと管弦楽のための)を振っていたが、私はそれをきけなかったので、今回が初めて。
それにしても虫の交響曲とはなんだろうと思っていたら、先月のプログラム誌に、チャペック兄弟の原作にもとづくオペラ「虫の生活」を再構成したものという記事がのっていた。
チャペック兄弟!私は俄然興味がわいてきた。弟のカレル・チャペックはヤナーチェクのオペラ「マクロプロス事件」の原作者だし(もっとも結末はヤナーチェクがかなり書き直しているが‥)、兄のヨゼフ・チャペックもヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」の漫画を描いている。
そこで原作「虫の生活から」(田才益夫訳)を読んでみた。ひじょうに面白い。酒に酔った浮浪者が転んで、地面の上の虫たちの生活をみる。蝶々たちは享楽の生活、フンコロガシやコオロギなどはブルジョワジーの生活、蟻たちは全体主義国家――この部分は十数年後のナチスの登場の予言のように感じられる。
アホの曲はオペラから抜粋したもので、全6楽章からなっている。私は事前に原作を読んだためか、今どこの場面をやっているかがよくわかった。これは驚くべきことではなかろうか。それだけ描写が成功しているということだ。
たとえば第5楽章の蟻たちの「労働音楽」では、左右の客席にトロンボーンのバンダが入って異様な抑圧感を生む。引き続いて起きる「戦争のマーチ」では口笛を模したようなキッチュなマーチとなる。第6楽章の「死んだカゲロウたちのための子守歌」では、フルートとファゴットの重奏による慰めにみちたメロディーが歌われ、そこにイングリッシュホルンがオブリガートをつけ、さらに独奏チェロに歌い継がれる。曲が終わっても、生命のいとおしさの余韻が残る。
ベートーヴェンの交響曲第7番は、一瞬の停滞もなくエネルギッシュに進み、大きな起伏のラインを描く。強音よりも弱音に比重がかかり、抑制された音量の中で、リズムが果てしなく続いていく。第2楽章などはその好例で、リズムパターンが浮き上がり、目にみえるよう――なので、これは情感できかせる演奏ではない。
第4楽章ではオーケストラ機能を全開させ、ピリオド楽器が全盛の時代にあって、近代オーケストラで演奏するとはどういうことかを問うもののように感じられた。
(2009.12.15.サントリーホール)