Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

西村朗さんを偲ぶ

2023年09月18日 | 音楽
 作曲家の西村朗さんが9月7日に亡くなった。享年69歳。70歳の誕生日の前日の逝去だった。右上顎がんだったそうだ。まだ若いのに‥と思う。今年の夏は7月11日に外山雄三さんが92歳で亡くなり、8月15日に飯守泰次郎さんが82歳で亡くなった。まったくなんていう夏だろうと思う。

 西村朗さんの逝去に当たって多くの音楽関係者が追悼の声をあげている。哀切きわまる声も多い。西村さんの生前の広い交友関係がしのばれる。わたしは一介の音楽ファンにすぎないが、西村さんの作品を聴く機会はけっこうあった。とくにヘテロフォニーの手法で書かれた音楽は、西洋音楽の論理とはまったく異なる地平に立つ音楽として、わたしを強烈に惹きつけた。

 だが、西村さんが亡くなったいま、わたしの中で再燃するのは、オペラ「紫苑物語」のことだ。途中で放り出して忘れていた宿題が、思いがけず目の前に現れたような思いだ。「紫苑物語」を観てあれこれ考えたことが(実感としては、モヤモヤしていていたことが)未解決のまま残っていることを思い出した。

 何が未解決なのか。一言でいえば、あれこれ詰め込みすぎて未整理だと思ったことだ。言い換えるなら、意余って‥の感があったことだ。第一幕はカロリーの高い音楽が続く。だが、台本の関係もあるのか、ひとつのまとまった流れを生まない。第二幕は驚嘆すべき場面がいくつかある。その筆頭は主要人物4人のすさまじい四重唱だ。まるで沸騰する音楽だ。また「きつね(千草)のカデンツァ」も印象的だった。それらの二つの音楽は埋もれさせるには惜しい。たとえオペラの再演が当面は難しくても、切り取って何かの機会に取り上げられないかと思う。だが、ホーミー唱法の導入は、最初聴いたときにはハッとしたが、二度目に聴いたときには(わたしはこのオペラを二度観た)衝撃力が薄れ、ホーミー唱法の巧拙に関心が向いた。また幕切れの音楽が不発だと思った。一度目にそう思ったので、二度目には注意して音楽を追った。やはり最後の音に着地するまでの過程が物足りなかった。

 わたしは再演のさいには大幅な改訂が行われるのではないかと思った。あるいは「紫苑物語」の問題は次のオペラで解決されるのではないかと思った。だがそんな期待は西村さんの逝去で潰えた。

 オーケストラ作品の「華開世界」にも触れたい。N響のMUSIC TOMORROW 2021で初演され、同2022で再演された。原色の色彩感があふれる、むせかえるような南方系の音楽だ。初演のときは細川俊夫のモノクロームな北方系の音楽「渦」とともに演奏されたので、その対比が鮮やかだった。「紫苑物語」作曲後の新作だった。西村さんは健在だと思った。
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