Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ミュシャとヤナーチェク

2017年04月01日 | 美術
 ミュシャの20点からなる大作「スラヴ叙事詩」が公開中(6月5日まで国立新美術館の「ミュシャ展」で)。反響は大きいようだ。わたしが出かけたのは平日の夕方だが、かなりの混雑だった。それでも閉館時間の30分くらい前には空いてきた。

 わたしは音楽好きなので、本展を見て感じたことは、ミュシャと作曲家ヤナーチェクとの共通項の多さだった。「スラヴ叙事詩」の第11作「ヴィートコフ山の戦いの後」では、神聖ローマ皇帝軍と戦って勝利を収めたフス派の指揮官ヤン・ジェシカが描かれているが、この戦いはヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」の第2部「ブロウチェク氏の15世紀への旅」に描かれている戦いだ。

 また、本展にはミュシャが1926年の第8回全国ソコル祭のために制作したポスターが展示されているが(ソコル祭とは全国規模の体育祭で、同時に芸術の展示も行われた)、その第8回ではミュシャが大規模なアトラクションを企画し、ヤナーチェクは管弦楽曲「シンフォニエッタ」を初演している。

 ミュシャ(1860‐1939)とヤナーチェク(1854‐1928)とは、同時代の空気を吸っていたのだ。しかも二人はチェコの中でも同じモラヴィア地方の出身だ。

 そんなミュシャとヤナーチェクは、会ったことがあるのだろうかと、手元の「レオシュ・ヤナーチェク年譜」(日本ヤナーチェク協会発行)を見たら、なんと、そこには二人のツーショットが載っていた。二人が1922年7月に会ったときのものだ。

 また、同年譜の記述によると、1919年にプラハでミュシャの「スラヴ叙事詩」が部分公開されたとき、ヤナーチェクはその展覧会を見に行ったそうだ。

 それだけではない。わたしが昔から目にしていた「ブロウチェク氏の旅行」の楽譜の扉絵(ブロウチェク氏の‘おやじ’キャラクターをユーモラスに表現したもの。上掲↑)は、ミュシャが描いたものだった。

 ミュシャとヤナーチェクとの間には親交があったのかもしれない。少なくとも、燃えるような祖国愛を共有していることは、お互いに分かっていただろう。「スラヴ叙事詩」全作は1928年にプラハで公開された。ヤナーチェクはそれを見たのだろうか‥と思った(ヤナーチェクは同年8月に亡くなったが)。

 付記
 本稿においては、「ミュシャ」はチェコ語読みの「ムハ」と表記すべきだったかもしれないが、「ミュシャ展」が開催中なので、ミュシャとした。

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