Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2022年09月03日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの9月の定期。曲目はエルガーのヴァイオリン協奏曲とシベリウスの交響曲第4番。渋いというか何というか、券売は難しそうだが、そのプログラムをやれるところまで東京シティ・フィルはきたのだろう。

 エルガーのヴァイオリン協奏曲の独奏者は竹澤恭子。わたしは久しぶりだが、音の太さ、音楽の熱量、スケールの大きさ、その他演奏全体が日本人離れしている。若いころからそうだったが、その竹澤恭子が健在で、しかも年齢に応じてどっしりした存在感を備えるようになった。わたしは昔からのファンだが、いまの竹澤恭子を聴き、かつ見ると、演奏家もファンも同じ時間を生きてきたのだという感慨を持つ。

 竹澤恭子が会場の聴衆を自分の土俵に引きこみ、リラックスさせ、楽しませる、その余裕あるステージマナーと演奏への自信が、当夜は感じられた。千両役者という言葉はふさわしくないだろう。そんな大仰な言葉ではなく、もっと身近な、同じ時代を生きる仲間のような存在に感じられた。

 エルガーのこの曲は大曲なので、アンコールはないだろうと思っていた。ところがオーケストラ伴奏付きで同じくエルガーの「愛の挨拶」が演奏された。サービス精神満点だ。演奏も通り一遍ではなく、緩急のメリハリをつけて、聴きごたえのあるものだった。

 余談になるが、エルガーのヴァイオリン協奏曲は、交響曲第1番と第2番のあいだに書かれた。3曲は連続して書かれたといえる。それだからというのは短絡的だが、交響曲第1番の大英帝国の栄光のような側面と、第2番のその黄昏のような感慨と、両者がヴァイオリン協奏曲に入り交じっている。とくに黄昏の要素は、第3楽章の長く引き伸ばされたカデンツァに感じられる。オーケストラも参加するそのカデンツァは、音色の点で、CDで聴くよりも実演で聴いたほうがおもしろい。

 シベリウスの交響曲第4番は、冒頭の深々とした低音に度肝を抜かれた。そこには並々ならぬ気合が感じられた。その後の短いモチーフの積み重ねが、モチーフの出現ごとに適切な音色と強度が添えられ、ニュアンスを刻々と変化させる様子に、これはたいへんな演奏だと背筋を伸ばした。その緊張感は途中で弛緩せずに最後まで続いた。

 シベリウスのこの交響曲は、シベリウスの最高傑作という人もおり、わたしもいままでいろいろな演奏を聴いてきたが、北欧のムード的なものではなく、個々のモチーフを明確な意思をもって鳴らし、それを徹底する。それらの巨大な連鎖から、だれも聴いたことがない清新な音楽が出現する。それを目撃する思いがしたのは初めてだ。
(2022.9.2.東京オペラシティ)

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