Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯森範親/日本フィル「第九」

2020年12月20日 | 音楽
 日本フィルの横浜定期では毎年12月に「第九」が演奏されるが、今年の「第九」はコロナ禍の「第九」として、一生忘れられないものになりそうだ。

 合唱は(例年通り)東京音楽大学の合唱団が起用されたが、例年と異なるのは、今年は総
勢48人だったことだ。例年は舞台をびっしり埋め尽くす大合唱団だが、今年は様変わり。しかも48人全員がマスクをしている。そのマスクは、口の前に布をたらす型ではなく、見た目には普通のマスクと変わらない白いマスクだ。そのマスクでどんな声が聴こえるのかと固唾をのんだが、澄んだハーモニーがよく通り、くぐもった感じがしなかった。しかも音量的には不足がなかった。

 合唱団は舞台後方のPブロックに配置された。1席ずつ空けたディスタンス配置。さらに飛沫防止の観点からだろう、舞台両サイドのRAブロックとLAブロックの客席も空けてあった(事務局は事前の再配席で大変だったろう)。さらに合唱団の入場は第3楽章が終わった後。舞台の密を避けるためにあらゆる措置が取られているようだ。

 ソリストは、ソプラノが中村恵理、アルトが富岡明子、テノールが城宏憲、バリトンが大西宇宙という豪華メンバー。かれらは第4楽章が始まって「歓喜の歌」が全オーケストラで確立する直前に入場した。それも舞台の密を避けるためだろう。ソリストの位置は指揮者の両サイドに2名ずつ。ソリストの前の1階正面の客席は前方5列が空けてあった。

 オーケストラの弦は10型。これも音量的にまったく不足がなかった。弦がよく鳴り、木管金管がクリアーだ。指揮は飯森範親。滑らかに流れる音楽と、要所々々に添えられるアクセントが心地よい。ときにホルンが強調される。全体的に癖のない音楽づくりだ。そこから聴きやすい「第九」が立ち上がってくる。

 第1楽章から第3楽章までは音楽の流れに乗り、第4楽章に入って合唱のすばらしさに感銘を受け、そしてソリストが加わって、わたしは中村恵理の、聴衆に語りかけるような歌に感動した。いったん合唱が静まり、テノール独唱が始まる前の休止のとき、わたしはいま聴いた中村理恵の歌に涙がこみ上げてきた。

 その後の終結部までの展開では、コロナ禍ですごしたこの一年が脳裏に浮かんだ。わたしもそうだが、演奏者も、聴衆も、みんな大変な思いをしながら、なんとか生きてきたのだなと思った。そんな他者への共感をはぐくむ場が「第九」なのだろう。

 なお、1曲目にはハイドンの交響曲第9番が演奏された。珍しい曲でおもしろかった。
(2020.12.19.横浜みなとみらいホール)

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