インキネン/日本フィルのマーラー・シリーズ。今回は交響曲第5番だった。
いつもマーラーの前にはシベリウスの比較的知られていないオーケストラ曲が演奏されている。それも楽しみだった――と過去形で書くのは、このシリーズが今回で終了するからだ。来年にはシベリウスの交響曲の全曲演奏が予定されている。これはマーラー以上に楽しみだ。
今回のシベリウスは劇「死(クオレマ)」の付随音楽から4曲。「悲しきワルツ」は有名曲だが、「鶴のいる風景」はめったに演奏されない。ましてや「カンツォネッタ」と「ロマンティックなワルツ」は、少なくとも実演で聴くのは初めてだ。
今回はちょっとした工夫が凝らされていた。それは演奏順だ。CDでは(同曲には複数のCDがある)、劇の進行に沿って、上記の順に演奏されるのが普通だ。これを仮に1、2、3、4と付番すると、今回は3、4、2、1の順に演奏された。まず物悲しく繊細な「カンツォネッタ」から入り、次に「ロマンティックなワルツ」で感情が解放され、一転して繊細さの極地の「鶴のいる風景」に移り、最後に耳なれた「悲しきワルツ」で全曲を閉じる構成だ。これには説得力があった。これはインキネンの意向だ。漫然と演奏しているのではない姿勢が好ましい。
演奏もすばらしかった。冒頭の「カンツォネッタ」の、ほんのちょっとしたアゴーギクが、一気にシベリウスの世界に連れて行ってくれた。インキネンには本質的にシベリウスの世界が備わっているようだ。来年の交響曲全曲演奏が楽しみな所以だ。周知のとおり、日本フィルは渡邉暁雄の指揮で2度にわたって全曲を録音している(1度目はLP、2度目はCD)。わたしは2度目の録音に先立って行われた全曲演奏を聴くことができた。またネーメ・ヤルヴィ指揮の全曲演奏も聴いた。そして今度はインキネン。これはネーメ・ヤルヴィ以上の成果が期待できるのではないかと思う。
さてマーラーの交響曲第5番。オッタビアーノ・クリストーフォリのトランペットが見事だ。艶のある音色と安定感は在京オーケストラのなかでもトップクラスだ。丸山勉のホルンも立派。オーケストラ全体としても、すべての音の方向感が揃っている演奏だった。これがインキネンの美質だ。
だが、実をいうと、第3楽章では退屈した。あの長大なスケルツォを面白く聴かせるためには、今のままでは足りないようだ。もう少し熟成の時を待たなければならないのだろう。
(2012.4.6.サントリーホール)
いつもマーラーの前にはシベリウスの比較的知られていないオーケストラ曲が演奏されている。それも楽しみだった――と過去形で書くのは、このシリーズが今回で終了するからだ。来年にはシベリウスの交響曲の全曲演奏が予定されている。これはマーラー以上に楽しみだ。
今回のシベリウスは劇「死(クオレマ)」の付随音楽から4曲。「悲しきワルツ」は有名曲だが、「鶴のいる風景」はめったに演奏されない。ましてや「カンツォネッタ」と「ロマンティックなワルツ」は、少なくとも実演で聴くのは初めてだ。
今回はちょっとした工夫が凝らされていた。それは演奏順だ。CDでは(同曲には複数のCDがある)、劇の進行に沿って、上記の順に演奏されるのが普通だ。これを仮に1、2、3、4と付番すると、今回は3、4、2、1の順に演奏された。まず物悲しく繊細な「カンツォネッタ」から入り、次に「ロマンティックなワルツ」で感情が解放され、一転して繊細さの極地の「鶴のいる風景」に移り、最後に耳なれた「悲しきワルツ」で全曲を閉じる構成だ。これには説得力があった。これはインキネンの意向だ。漫然と演奏しているのではない姿勢が好ましい。
演奏もすばらしかった。冒頭の「カンツォネッタ」の、ほんのちょっとしたアゴーギクが、一気にシベリウスの世界に連れて行ってくれた。インキネンには本質的にシベリウスの世界が備わっているようだ。来年の交響曲全曲演奏が楽しみな所以だ。周知のとおり、日本フィルは渡邉暁雄の指揮で2度にわたって全曲を録音している(1度目はLP、2度目はCD)。わたしは2度目の録音に先立って行われた全曲演奏を聴くことができた。またネーメ・ヤルヴィ指揮の全曲演奏も聴いた。そして今度はインキネン。これはネーメ・ヤルヴィ以上の成果が期待できるのではないかと思う。
さてマーラーの交響曲第5番。オッタビアーノ・クリストーフォリのトランペットが見事だ。艶のある音色と安定感は在京オーケストラのなかでもトップクラスだ。丸山勉のホルンも立派。オーケストラ全体としても、すべての音の方向感が揃っている演奏だった。これがインキネンの美質だ。
だが、実をいうと、第3楽章では退屈した。あの長大なスケルツォを面白く聴かせるためには、今のままでは足りないようだ。もう少し熟成の時を待たなければならないのだろう。
(2012.4.6.サントリーホール)