Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

METライブビューイング「エウリディーチェ」

2022年02月23日 | 音楽
 METライブビューイングでマシュー・オーコイン Matthew Aucoin(1990‐)という若い作曲家のオペラ「エウリディーチェ」をみた。オルフェオとエウリディーチェの神話をエウリディーチェの視点から読み解き、そこに現代の女性の生身の姿を投影した作品だ。

 エウリディーチェは海辺のリゾート地でオルフェオからプロポーズを受ける。エウリディーチェは一瞬ためらった後、プロポーズを受け入れる。幸せなエウリディーチェ。だが気になることがある。時々オルフェオがエウリディーチェの手の届かない何か別のことを考えている様子なのだ。オルフェオはじつは音楽のことを考えていた。そのときのオルフェオはカウンターテナーで表される。生身のオルフェオはバリトンだ。バリトンの声にカウンターテナーの声が重なる。エウリディーチェはソプラノだ。

 結婚パーティーに冥界の王・ハデスが金持ちの紳士に扮して現れる。言葉巧みにエウリディーチェを誘い、ペントハウスに連れていく。身の危険を感じたエウリディーチェは帰ろうとするが、ハデスはそれを許さず、エウリディーチェは地獄に落ちる。ハデスはワーグナーの「ニーベルンクの指輪」のミーメのようなキャラクターテノールの役だ。

 地獄に落ちたエウリディーチェは父に再会する。父はエウリディーチェの結婚の前に亡くなっていた。地獄でエウリディーチェの幸せを願っていた。そこにエウリディーチェが現れたのだ。再会を喜ぶ父と娘。エウリディーチェは父の愛を知る。父はオルフェオと同じくバリトンの役だ。

 オルフェオはエウリディーチェを追って地獄に降りる。エウリディーチェはオルフェオの愛と父の愛のあいだで揺れる。そこにハデスが一枚加わる。ハデスはエウリディーチェを自分のものにしようとする。そのエピソードは神話上でハデスがプロセルピナを掠奪して妻にしたことを連想させる。

 エウリディーチェはどうするか。詳細は控えるが、エウリディーチェもオルフェオも、そして父もハデスも、結局すべてを失う。各人各様の不完全さにより、愛は不成立に終わる。

 台本はサラ・ルール Sarah Ruhl(1974‐)が作成。2003年に書いた自身の戯曲を台本化した。オーコインの音楽はミニマル音楽的な部分もあり、また激しい打音が打ち込まれる部分もあり、その他多彩で刻々と変化する。記憶を消し去る直前の父が家への道順を語る場面では、語りになる。それが効果的だ。演出はメアリー・ジマーマン Mary Zimmerman。舞台上の動きが弛緩せずに滑らかだ。エウリディーチェを歌ったのはエリン・モーリー Erin Morley。高音の伸びと表現力がある。その他の歌手もすばらしい。指揮はヤニク・ネゼ=セガン。
(2022.2.22.109シネマズ二子玉川)

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2 コメント

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Unknown (Eno)
2022-02-23 15:36:26
charis様
本のご紹介、ありがとうございます。これは読んでみなければいけませんね。私はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が調性の崩壊の寸前までいき、シェーンベルクがその先の無調に進み、さらにその組織化としての12音技法にたどり着いたという図式が刷り込まれていました。その図式を洗いなおす時期がきたのかもしれませんね。
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エウリディーチェ (charis)
2022-02-23 14:27:36
Enoさん、私のブログへコメントありがとうございます。やはり本作は、「父と娘の愛」が加わったことによって、物語がずっと深みを増したと思います。それにしても、現代オペラはなかなか健闘していますね。本作を見て私は、無調と調性について、考えさせられました。柿沼敏江『<無調>の誕生』という本があるのですが、最近のネットの短い記事でも、ほぼ概略が分ります↓。
https://ontomo-mag.com/article/interview/toshie-kakinuma/
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