Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2012年03月30日 | 音楽
 インバル/都響の3月定期Bシリーズ。先日のAシリーズではショスタコーヴィチに違和感というか、これはなんだろうという疑問を感じた身としては、今回のマーラーはそんなことはないはずだと期待して出かけた。

 前半は「亡き子をしのぶ歌」。演奏が始まると、音は瑞々しく、フレージングは柔軟で、やはりマーラーになるとちがうと思った。第2曲の「いま、太陽は明るく昇ろうとしている」は、たしかにワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のようだ。それを今回ほどはっきり感じたことはなかった。この第2曲にかぎらず、どの曲も明確な目的意識をもって演奏されていた。

 メゾソプラノ独唱はイリス・フェルミリオン。高音、中音、低音のすべてが均質に出て、滑らかで陰影のある歌を聴かせてくれた。第5曲の「こんな天気の中」では思いがけないほど強烈な表現で圧倒した。

 フェルミリオンはすばらしかった。後半の「大地の歌」にも出演したが、それをふくめて、この日の演奏会はフェルミリオンのためにあるようだった――なんだか先に結論をいってしまうようだが――。

 フェルミリオンには忘れがたい思い出がある。2010年2月にドレスデンでオトマール・シェックのオペラ「ペンテジレーア」を観たときにタイトルロールを歌っていた。あれは特別な体験だった。ハインリヒ・フォン・クライストの原作にも異常なテンションの高さがあるが、シェックの音楽もそれに拮抗していた。指揮のゲルト・アルブレヒトは雄渾な演奏を展開し、演出のギュンター・クレーマーも骨太なドラマ作りだった。

 そしてフェルミリオンは、強靭な声と体当たりの演技により、魂の裸形ともいうべきものを表現した。そこにはなにか崇高なものさえ感じられた。

 思い出話が長くなってしまったが、わたしにはフェルミリオンはそういう歌手だ。

 そのフェルミリオンとテノールのロバート・ギャンビルが独唱を担当した「大地の歌」は、インバルらしく器の大きな演奏だった。その力量は称賛に値する。けれども少し前の交響曲第3番や第4番、あるいはプリンシパル・コンダクター就任直前の第6番に比べると、リズムに粘りがなく、表現が淡白になっている。今のインバルはそういうものだと思って付き合ったほうがよさそうだ。オーケストラは木管の名演、とくにオーボエの澄み切った音色とフルートの寂寥感の漂う表現が印象的だった。
(2012.3.29.サントリーホール)

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