坂本龍一が3月28日に亡くなった。多くの方が追悼の声をあげている。わたしも意外なほどダメージを受けた。なぜだろう。たぶん同学年だからだ。坂本龍一はわたしよりも1歳年下だが、早生まれなので、学年は同じだ。坂本龍一は都立新宿高校、わたしは都立小山台高校。わたしたちの学年は都立高校に学校群制度が導入された第1期生だ。もし学区が同じなら、同じ高校に学んだ可能性もある。当時は大学紛争が高校にも飛び火して、多くの高校紛争が起きた。坂本龍一も参加したようだ。わたしの高校でも生徒総会でストライキが提起されたが、不発に終わった。
わたしはいままで坂本龍一の音楽とは縁がなかったが、2010年4月に佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏で「箏とオーケストラのための協奏曲」を聴いたことがある(箏独奏は沢井一惠)。そのときは、なんだか軽い音楽だと、肩透かしを食った気になった。その演奏会では、同じ編成のグバイドゥーリナの「樹影にて」が演奏され、激烈なその音楽に圧倒されたせいもあったかもしれない。
坂本龍一の存在は、むしろ社会運動の面で意識していた。世界的に成功した音楽家が反原発をふくめて声をあげる姿は、社会のある部分を支えた。それが失われた。
また3月3日には大江健三郎が亡くなった。わたしの文学的な青春のアイドルだった。「死者の奢り」、「飼育」から「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」までほとんどすべての小説を読んだ。だが、「万延元年のフットボール」には感動したのに、その後の作品で躓いた。文体が変わったと思ったからだ。それ以降、わたしの文学的な関心は別の作家に移った。20歳のころだったと思う。
なので、もう50年くらい大江作品は読んでいない。何度か挑戦したのだが、読めなかった。とはいえ9条の会その他で、大江健三郎の動向はいつも視界に入っていた。大江健三郎の存在が多くの社会運動を支えたことは、もういまさらいうまでもない。
さらに付け加えると、岩波ホールが2022年7月に閉館されたことと、雑誌「レコード芸術」が2023年7月号をもって休刊されることとが合わさり、最近では、わたしの生きてきた時代が終わろうとしていると、感慨に浸りたくなるのを抑えられない。
その一方で、先日、村田紗耶香の「コンビニ人間」を読み、はたしてこれは喜劇か悲劇かと、あれこれ考えたことが新鮮な経験だ。村田紗耶香はわたしの子どもの世代だ。「今」という時をともに生きながら、わたしとはまるで違う時代を生きている。かりに時の流れを「今」という断面で切るなら、そこにはわたしの時代、村田紗耶香の時代、その他無数の時代が流れているのだろう。
わたしはいままで坂本龍一の音楽とは縁がなかったが、2010年4月に佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏で「箏とオーケストラのための協奏曲」を聴いたことがある(箏独奏は沢井一惠)。そのときは、なんだか軽い音楽だと、肩透かしを食った気になった。その演奏会では、同じ編成のグバイドゥーリナの「樹影にて」が演奏され、激烈なその音楽に圧倒されたせいもあったかもしれない。
坂本龍一の存在は、むしろ社会運動の面で意識していた。世界的に成功した音楽家が反原発をふくめて声をあげる姿は、社会のある部分を支えた。それが失われた。
また3月3日には大江健三郎が亡くなった。わたしの文学的な青春のアイドルだった。「死者の奢り」、「飼育」から「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」までほとんどすべての小説を読んだ。だが、「万延元年のフットボール」には感動したのに、その後の作品で躓いた。文体が変わったと思ったからだ。それ以降、わたしの文学的な関心は別の作家に移った。20歳のころだったと思う。
なので、もう50年くらい大江作品は読んでいない。何度か挑戦したのだが、読めなかった。とはいえ9条の会その他で、大江健三郎の動向はいつも視界に入っていた。大江健三郎の存在が多くの社会運動を支えたことは、もういまさらいうまでもない。
さらに付け加えると、岩波ホールが2022年7月に閉館されたことと、雑誌「レコード芸術」が2023年7月号をもって休刊されることとが合わさり、最近では、わたしの生きてきた時代が終わろうとしていると、感慨に浸りたくなるのを抑えられない。
その一方で、先日、村田紗耶香の「コンビニ人間」を読み、はたしてこれは喜劇か悲劇かと、あれこれ考えたことが新鮮な経験だ。村田紗耶香はわたしの子どもの世代だ。「今」という時をともに生きながら、わたしとはまるで違う時代を生きている。かりに時の流れを「今」という断面で切るなら、そこにはわたしの時代、村田紗耶香の時代、その他無数の時代が流れているのだろう。