Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

わたしの「コロナの日常」

2020年06月20日 | 身辺雑記
 まだリハビリ中ながら、元の日常生活がジワリと再開しそうな気配だ。この先どうなるか。だれもが新型コロナの第2波、第3波が来るとはいうが、それと元の日常生活の再開と、どういう関係になるか、いまひとつはっきりしない。

 緊急事態宣言とか何とか、そんなお上のいうことは別にして、わたしたちの日常生活はその前から緊急体制に入っていた。ちなみに、緊急事態宣言が発令されたのは、7都府県に対しては4月7日、全都道府県に対しては4月16日だったが、わたしの実感からいうと、2月下旬から緊急体制の日々だった。それがいま解除されたとはいっても、解除されたのは緊急事態宣言だけで、緊張した気持ちはまだ解除されていない。でも、それはともかく、緊急体制が続いたこの4か月間を振り返り、そこで起きたことを記憶することは、けっして無駄ではないと思う。むしろそこで感じた棘のような違和感が大事だという気がする。

 「棘のような違和感」は、大から小までいろいろあった。例のアベノマスクや動画はいわずもがなだが、自粛警察というのもあった。それもいわずもがなとして、では、もっと個人的なレベルではどうだったろう。

 6月9日の日経新聞のコラム「春秋」は、次のように書いている。『「愛してる 家族のために 距離をあけ」。地下鉄の駅で「コロナ対策東京かるた」なるポスターを見かけた。「でかけない 密にならない 作らない」「のんびりと おうち時間を 楽しもう」。万事こんな具合で、つまり「新しい生活様式」の念入りな呼びかけだ。いささかお節介な東京都のキャンペーンなのだが、(以下略)』

 「いささかお節介」だが、「かるた」を作っている当人には、その認識がない。世のため人のためと思っている。ステイホームでストレスのたまっている人を元気づけようという善意からきている。だが、掛け声をかける人はいいが、掛け声をかけられる人は疲れる。それは東日本大震災のときに学習済みのはずだが、もうすっかり忘れて、同じことを繰り返している。

 某オーケストラはツイッターで連日、手洗いを呼びかけた。それはいまも続いている。たとえば6月18日のツイートでは「引き続きにこにこ30秒手洗い&うがい&換気をお忘れなく!」と書いている。このようなツイートが3月以降ずっと続いている。書いている当人はよかれと思ってやっているのだろうが、それが連日続くと辟易する。

 新型コロナは、ホームレスの人々、風俗で働くシングルマザーなど、社会の隅々の問題を浮き彫りにした。それらの問題が今後のGo Toキャンペーンで忘れ去られはしないかという懸念がある。そうならないためにも、小さな違和感も忘れないほうがいい。
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