大岡昇平(1909‐1988)の「野火」(1952)を読み、文学らしい文学を読んだと感銘を受けたわたしは、引き続き「俘虜記」(1949)と「花影」(1961)を読んだ。隔月でわたしと読書会を開いている友人にその話をすると、友人は7月の読書会のテーマに「武蔵野夫人」(1950)を選んだ。
「武蔵野夫人」は全14章からなる。登場する人物像が克明に描かれているので、退屈せずに読み通すことができる。登場人物は、宮地信三郎という老人の親族とその連れ合いが中心。それらの人物が第1章「「はけ」の人々」で紹介される。次から次へと紹介される登場人物は、まだ物語が動き始める前なので、だれが主人公なのか、よくつかめない。宮地老人は第1章の終わりで亡くなる。第2章「復員者」から物語は動き始める。
わたしは復員者の勉(宮地老人の末弟の息子)が主人公になるのかと思ったが、その予想は外れた。物語の途中から道子(宮地老人の娘)の存在感が増す。道子は第2章の初めから叙述の中心にいたが、あまり目立たなかった。受け身で、自分を主張しないタイプなので、主人公になるとは思わなかった。だが、その道子の人物像が(受け身で、自分を主張しないが、繊細で、多くのことを感じている。だが、すべてをこらえている)、物語の半ばころからずっしりした実質をもってくる。
本作のエピグラフにはレイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」から「ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか」という言葉が掲げられている。それが道子の人物像を指していることは明らかだが、ラディゲも大岡昇平もその人物像を「時代おくれ」と思っている(そして、わたしもそう思う)ことがおもしろい。時代おくれではあるが、ラディゲの時代も大岡昇平の時代も、そしていまも、どの時代にも道子のような人物がいる。一種の普遍性がある人物像だ。そのような人物像を造形した大岡昇平を称賛したいと思う。
物語の時と場所を述べると、時は1947年6月から11月まで。敗戦後の混乱期を背景とする。物語の最後で前述の勉が(物語が終わった後で)「一種の怪物」に変貌する可能性が示唆される。それも敗戦後の混乱期にあってはリアリティをもつ。
場所は東京の武蔵野の「はけ」。「はけ」とは小金井近辺の野川に沿った段丘をいう。物語の書き出しが印象的だ。「土地の人はなぜそこが「はけ」と呼ばれるかを知らない。」と。緑豊かなその「はけ」は、道子と同じくらいの質量をもって描かれる。以下は(本作から離れて)現実的な話になるが、その「はけ」に都の道路計画があるそうだ。それが実施されると「はけ」が道路で分断される。そのため地元の人々が反対運動を起こしている(「はけの自然と文化をまもる会」という)。
「武蔵野夫人」は全14章からなる。登場する人物像が克明に描かれているので、退屈せずに読み通すことができる。登場人物は、宮地信三郎という老人の親族とその連れ合いが中心。それらの人物が第1章「「はけ」の人々」で紹介される。次から次へと紹介される登場人物は、まだ物語が動き始める前なので、だれが主人公なのか、よくつかめない。宮地老人は第1章の終わりで亡くなる。第2章「復員者」から物語は動き始める。
わたしは復員者の勉(宮地老人の末弟の息子)が主人公になるのかと思ったが、その予想は外れた。物語の途中から道子(宮地老人の娘)の存在感が増す。道子は第2章の初めから叙述の中心にいたが、あまり目立たなかった。受け身で、自分を主張しないタイプなので、主人公になるとは思わなかった。だが、その道子の人物像が(受け身で、自分を主張しないが、繊細で、多くのことを感じている。だが、すべてをこらえている)、物語の半ばころからずっしりした実質をもってくる。
本作のエピグラフにはレイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」から「ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか」という言葉が掲げられている。それが道子の人物像を指していることは明らかだが、ラディゲも大岡昇平もその人物像を「時代おくれ」と思っている(そして、わたしもそう思う)ことがおもしろい。時代おくれではあるが、ラディゲの時代も大岡昇平の時代も、そしていまも、どの時代にも道子のような人物がいる。一種の普遍性がある人物像だ。そのような人物像を造形した大岡昇平を称賛したいと思う。
物語の時と場所を述べると、時は1947年6月から11月まで。敗戦後の混乱期を背景とする。物語の最後で前述の勉が(物語が終わった後で)「一種の怪物」に変貌する可能性が示唆される。それも敗戦後の混乱期にあってはリアリティをもつ。
場所は東京の武蔵野の「はけ」。「はけ」とは小金井近辺の野川に沿った段丘をいう。物語の書き出しが印象的だ。「土地の人はなぜそこが「はけ」と呼ばれるかを知らない。」と。緑豊かなその「はけ」は、道子と同じくらいの質量をもって描かれる。以下は(本作から離れて)現実的な話になるが、その「はけ」に都の道路計画があるそうだ。それが実施されると「はけ」が道路で分断される。そのため地元の人々が反対運動を起こしている(「はけの自然と文化をまもる会」という)。