Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2024年04月20日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。1曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」第1幕と第2幕より序奏とワルツ集。「ばらの騎士」はロジンスキー編曲といわれる組曲版がよく演奏されるが、当夜の版はシュトラウス自身の編曲だそうだ。そんな版があったのかと驚く。聴いてみると、ほとんど演奏されない理由がわかる。高関健がプレトークでいっていたが、シュトラウスが最後に結末をつけようとして、途中からオペラにはないことを始める。反面それがおもしろい。今後はもう聴く機会がないかもしれないが、聴けて良かった。

 高関健がプレトークでいっていたが、「ばらの騎士」にはこの他にシュトラウス自身が映画用に(無声映画だろう)オーケストラだけで(歌手なしで)演奏できるように編曲した版があるそうだ。高関健はそれを演奏できないかと検討したが、演奏時間が2時間程度かかるので断念したとのこと。休憩時間に友人と会ったときに、その話で盛り上がった。友人によると、その版はドレスデンで演奏されたことがあるそうだ。高関健も何かの機会に演奏できないものだろうか。

 2曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は南紫音。南紫音は東京シティ・フィルと2019年にシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲で協演した(指揮は下野竜也)。そのときも確かな演奏で印象に残ったが、今回は突き詰めた表現と集中力でさらにインパクトがあった。東方的で異教的な捉えがたい音楽だ。その一音一音を冷徹に捉えた演奏だ。

 
 なおこの曲はたまたま3月に辻彩奈のヴァイオリン独奏で聴いたばかりだ(オーケストラはリープライヒ指揮日本フィル)。同じように才能豊かな若手の演奏家同士。どうしても比較してしまう。優劣ということではなく、個性の違いだが、辻彩奈の没入感にたいして、南紫音の真摯さといったところか。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。最後にオーソドックスな名曲で締めるのかと思いきや、これが挑戦的な演奏だった。何にたいする挑戦か。それはオーケストラの弾き癖にたいする挑戦だ。もう何度演奏したかわからない曲。おのずから弾き癖がつく。その弾き癖を引きはがし、きれいに洗いなおす。テンポ、バランス、音色(緊張と弛緩)その他ありとあらゆる見直しが行われたと察する。たとえば(ほんの一例だが)第4楽章の冒頭の部分。雪崩のような音型の最後の音はどうしても引き伸ばしたくなる。それを短めに切り、次の主題とのあいだに間を置かない。結果、テンポが一定に保たれるという以上に、音楽の推進力が保たれる。全体としては目の覚めるようなリフレッシュした演奏になった。個別の奏者ではフルートの首席奏者が光った。
(2024.4.19.東京オペラシティ)

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