格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

株価下落の次は第三次世界大戦

2008-10-09 18:09:13 | オルタナティブ通信

株価下落の次は第三次世界大戦




 聖書に出てくる、イエス・キリストの話のアウトラインは、以下のようになっている。


 イエス・キリストという無私の人間がおり、争い事があれば仲裁をし、病人がいれば治療し健康に戻し、言わば人間の「社会生活参加の不具合」を直し、社会全体の「コミュニケーション過程」を円滑にする役割を果たしている人物がいた。

しかも、そのキリストという人物は、私欲が無く、おいしい物を食べたい、豊かな生活がしたい等の欲望が無く、無私であり、言わば人間としての生活の「質を楽しむ事が一切無かった」。

しかし、やがて権力者に妬まれキリストは死刑にされる。他の人間達は、キリストを見捨て、積極的にキリストの死刑に協力するか、もしくは見殺しにする。

死刑の後、他の人間達は「無実の善人を死刑にした」という「罪の意識」を持ち、内心「恐怖」を感じる。

そして、死んだはずのキリストが復活する。皆はパニックになり怯える。その恐怖心に付け込む形で、キリストは「権力者」のように人間に「命令」し、説教して言う。

「あなた達は、皆、罪人である。卑劣な人間である。今後は深く反省し謙虚になり、争い事をせず私欲を捨て、隣人を愛しなさい」。

キリストの「十字架=リンチ殺人」によって、人間は「人殺しである自分に深く反省し」、社会全体が謙虚になり、争いの無い平和な状態が、もたらされる。

「社会全体のコミュニケーション過程が完全に円滑な状態になる」。


当初から、人間として生活を楽しむという「質」の面では、既に「全く死んでいた」キリストは、その「完成形態として実際に死に」、その結果、絶対的な権力者として復活し、人々に謙虚さを命令し、「社会全体のコミュニケーション過程の円滑さ」を完全に実現する。

 このキリストに対する、リンチ殺人の物語は、世界各地で行われて来た「イケニエの儀式」の「定式化」であった。

農産物の不作による飢餓=空腹への怒り、伝染病の拡がりに対する恐怖、地震・天災による家族の突然の死に対する、どこにもブツケテみようの無い怒り、豊かな隣人への妬み・嫉妬。こうした怒・恐怖・嫉妬から人間社会が相互殺戮に走り、暴動が起こり、社会秩序が崩壊する事態を人類は頻繁に経験して来た。

暴動と社会秩序の混乱を避けるため、人間は定期的に、怒りを1人の人間に「集中させ、リンチ殺人を行う」事で、怒りを鎮めてきた。暴力の爆発による社会崩壊を回避するための「暴力のコントロール装置」が、リンチ殺人であった。このリンチ殺人を「定例化」させたものが「イケニエの儀式」である。

世界各地に偏在する、この「イケニエの儀式」を、普遍化し、「公式化」したものが、イエスの物語である。

そして、実際に人間を「リンチ殺人」するのではなく、「十字架の物語」として「文字による、フィクション化」した事で、人間を直接、リンチ殺人する、という残虐さから人類は解放された。しかし実際の、リンチより、フィクションではインパクトが弱く、暴力のコントロール機能が弱い。そのため毎週、教会に通い、外科手術を受ける代わりに、患部に軟膏を塗る治療を延々と続ける「治療法」を採用して来た。




 21世紀の、市場経済において、もしも塩を生産している業者が自動車を欲しいと考え、物々交換を行おうと考えると、極めて大変な事になる。世界中を回り、自動車を売りたいと考え、しかも何百キロの塩が欲しいという人物を探さなくてはならない。しかし、貨幣が存在するおかげで、塩何百キロは即座に何十万円という通貨に姿を変え、その通貨で自由に自動車を買う事が出来る。紙幣によって商品「社会のコミュニケーション過程が円滑」に行く。

紙幣は紙であるが、それを紙としてメモ用紙に使う人間はいない。アルミで作られた1円硬貨を溶かし、鍋等のアルミ製品を作れば犯罪になる。通貨は、紙・アルミという「質」の面では完全に「死に」、「殺されている」。死ぬ事により、「商品社会のコミュニケーション過程が円滑に行く」。

そして通貨があれば何でも買う事が出来る。通貨は、商品社会の中での絶対的な「権力者」である。通貨は、「死ぬ事により、絶対的権力者として復活し、社会のコミュニケーション過程を円滑化」する。

 市場社会における、この通貨の機能は、キリスト教社会におけるイエス・キリストの機能と、全く同一である。

市場経済原理とは、キリスト教の聖書の「コピー商品」である。

英国国王ヘンリー8世の死去後、しばらくの混乱の末、エリザベス1世が王座に就任する。しかし、国王の顔が変わっても、王権というシステムは、残され、維持された。イエス・キリストへの信任が薄らいだため、貨幣と市場経済が王座に就任した。しかし「イケニエの儀式」のシステムは残され、維持された。哲学者ニーチェは、この事を「神は死んだ」と表現した。

 紙幣・通貨は「イケニエの儀式を司る司祭」である。通貨機能が麻痺し、通貨が暴落する金融恐慌が来る事は、通貨の暴力コントロール装置が機能不全に陥る事を意味する。その時、コントロールを失った暴力が世界規模で爆発する。「万人の万人に対する相互殺戮」が復活する。

金融恐慌の次に来るのは、「原理的に必ず」、第三次世界大戦である。
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