格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

鳩山民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すら

2009-09-18 20:40:34 | 阿修羅


鳩山民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできないのであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない
http://www.asyura2.com/09/senkyo71/msg/453.html
投稿者 TORA 日時 2009 年 9 月 17 日 16:02:39: CP1Vgnax47n1s


株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu200.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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鳩山民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできない
のであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない。

2009年9月17日 木曜日

◆鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず 9月17日 日経ビジネス
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090916/204933/

2002年、当時幹事長だった岡田克也氏(外務大臣に就任)が、週刊誌やスポーツ紙、海外報道機関、フリージャーナリストなど広くに記者会見を開放し、以降「どなたでも参加いただけます」とのスタンスを貫いてきた。

 そのスタンスは民主党が政権を取ることが確実となった総選挙以降でも変わらない。投開票日の開票センターの会見や、連日、民主党本部で開かれた会見は、広く、国内外のメディアに開放された。

 しかし、場所が官邸に移った途端、事情が変わった。会見への参加が許されたのは、内閣記者会に加盟する各社の記者、海外メディアの記者10人程度、そして、日本雑誌記者会に加盟していて、国会記者証を持つ5人の雑誌記者である。上杉氏は、官邸の外にいた。

 断っておくが、この話は「大手メディアvs在野メディア」という対立構図で描こうとしているわけではない。「新政権vs官僚」という対立構図が、早くも透けて見えるのだ。

「就任会見はこれまでとは違って官邸主催になりますので。えっ、雑誌は5人なんですか? 知りませんでした…。一応、従来の党本部での会見のように、雑誌、海外、ネットを入れてくれと要求はしたんですがね…」

 つまり、今回の就任会見では、“主権”が民主党ではなく、内閣官房という組織に属する官僚の手に渡ってしまった。その結果、オープンな会見が実現されなかったということである。

 なぜ、オープンな会見が必要なのか。記者クラブ加盟社以外の媒体やジャーナリストによる恨みつらみだととらえると、本質を見誤る。上杉氏は、語る。

 「別に記者クラブが悪いという話じゃない。政府の会見を開放してくれと言っているんです。記者クラブに限定した会見が、官僚とメディアの馴れ合いを生み、メディアは官僚に都合がいいように利用されてきた。その体質から脱却することが、脱官僚の入り口なんです」

「官僚制の中に記者クラブが組み込まれている」
 上杉氏の見立ては、こうだ。

 日本の官僚組織は、首相官邸から省庁に至るまで、記者クラブという組織に独占的に取材をさせる「特権」を与えて来た。そうすることで、役人の思惑に即した発表を横並びで一斉に国内外へ流布することができ、コントロールもしやすい。会見以外の個別の「リーク」を利用すれば、意に反する報道を抑えることもできる、と。

 具体的に、どういうことなのか。上杉氏はこう説明する。

 「例えば、国土交通省が道路建設の需要統計の紙を記者クラブに出すわけですね。だから、道路建設が必要なんだと。役所が記者クラブに紙を投げた以上はそれが事実で、それがニュースになる」

 「普通、世界の報道機関は、需要統計が事実かどうか、道路が本当に必要かどうか役人を疑うわけですけど、日本の場合は官僚制の中に記者クラブが組み込まれているので、批判や検証はなかったわけです。政治家もそれに乗っかった」

 「農水省の戸別補償だって、民主党はできると言っていたのに、役人ができないと発表して、どんどんとできない雰囲気を広めていく。そうすると政治家も、データを持っている役所がそう言っているんだからと、気付かないうちに、マインドコントロールされてしまう。こんなことは、海外では100%起らない」

上杉氏の言うように、報道機関による自主組織、記者クラブに限定して会見や情報公開を行う政府は、先進国の中で日本くらいである。

 例えば米国では、ジャーナリストであれば誰でもホワイトハウスに取材申請をすることができ、ホワイトハウスやシークレットサービスによる身分確認が終われば、フリージャーナリストだろうがパスが与えられ、会見への参加や政府内での取材活動が認められる。

 上杉氏は、閉ざされた会見は、官僚支配の温床という弊害を生むだけではなく、国民の「知る権利」を毀損していると続ける。

 「国民の知る権利、情報公開の見地からいっても、より多くの記者、あらゆる価値観を持った人が質問の機会を持ち、権力側に問う方が、情報が出てくるわけです。多様化した質問が出れば、それだけ権力の思惑、あるいは隠そうとしていることを知るチャンスが増える。それを、役人は記者クラブを利用して防いでいるわけです」

「政府自ら身分確認をしない今の方が、よほど危険」
 上杉氏は、10年間、政府の会見の開放を訴え続けてきた。民主党の幹部から直接、「開放」の言質も取った。いよいよ政権交代。万感の思いで、鳩山内閣発足の日を迎えたが、その思いは裏切られた。特に、最初の会見に、大きな意味と意義があると考えていただけに、裏切りの気持ちは強かった。

 「日本の官僚組織は横並びなので、その頂点である官邸が会見を開放するとなれば、雪崩を打ってその下にある各省庁の会見も開放されるはずです。そうすれば、地方自治体や警察組織など全国に3000も5000もあると言われている記者クラブに限定した会見も、順次、開放される。だから、10年前から、官邸、そこしか狙っていません」

 だが、内閣官房の内閣報道室は、決まって記者クラブに限定する理由を、スペースの問題と危機管理の問題に求めてきた。しかし、これは詭弁だと、上杉氏は訴える。

 「スペースの問題は、今の民主党の代表会見の場より、官邸の会見場の方がよっぽど広いわけですし、いざとなったら2回に分けてもいいわけですよね。危機管理は、むしろ今の方が危ない」

 「例えば僕が米国でオバマ大統領の会見に参加したいと申請したら、ホワイトハウスが、こいつはどういう人物か、本当にジャーナリストか、過去の記事はどうか、犯罪歴などブラックリストに載ってないか、というのを調べてパスを出す。ところが日本は、官邸が精査せず、人選は各報道機関に投げちゃっている。中には、下請けや契約社員の人間もいるわけで、その方が、よほど危険だと思います」

「一気に開放するわけにはいかなかった」
 そして、上杉氏は、こう言い捨てる。

 「民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできないのであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない」

 ただ、民主党としても、言い訳がある。民主党本部の報道担当は、こう話す。「初日から一気に開放するわけにはいかなかった。とにかく、今後とも、内閣官房などと交渉しながら、開放の要求をしていきたい」。

 確かに、風穴は空いた。日本雑誌協会の渡辺氏によると、「記憶の限り、雑誌記者が首相の就任会見に入ったことはないと思う」。今回は、結果として、朝日新聞社から、アエラと週刊朝日、新潮社から週刊新潮の記者が入った。だが、質問は禁じられた。渡辺氏は語る。

 「今回は、フリーの記者から見れば、雑誌記者会が特権を利用したことになるし、国会記者証という制限や、質問禁止という障壁も残った。これから本当にオープンな会見を求めて、ちゃんと交渉をしていきたい。これからです」

 現時点で「公約違反」だと断じるのは早計かも知れない。が、このまま来年の参院選まで事情が変わらないのであれば、それは1つの裏切りを国民の前でしたことになる。

 「会見も政府主導に変えました」――。何と分かりやすい変化だと思うのだが、行く末いかに。


(わたしのコメント)
昨日は鳩山新総理大臣の記者会見が行われましたが、特にこれといった変った点もなく終わりましたが、記者クラブ解放はどうなったのかという点が気になったので見ていましたが、外人記者が2,3人見られた程度で、いつもの調子の記者会見だった。質問する記者もいつもの大手新聞社の記者たちであり、官邸官僚が仕切っていたから同じなのだろう。

一番最初の仕事から官僚任せの記者会見をやっているのだから、小沢幹事長や鳩山新首相の以前の話はどうなったのだろう? これでは官僚主導の政治を打破すると言っても結局だめでしたということになるのが目に見えている。大手マスコミも記者クラブ制度がないと既得権が無くなるので必死に既得権を守ろうとする。つまり官僚と大マスコミは利害が一致している。

民主党にしても官僚と大マスコミを敵に回すのは得策ではないと考えているのだろう。しかし国民に対しては官僚と戦っていますというポーズはとり続けなければならない。そうしなければ鳩山内閣の支持率が落ちてきて自民党内閣と同じ事を繰り返す事になる。公務員制度改革にしても民主党がどれだけ切り込んでくるか官僚たちはじっと見守っているのでしょうが、骨抜きに出来ると見ているのだろう。

記者会見の開放はそれから見れば小さなことであり、記者クラブ以外にも解放しますという民主党が発表すればいいだけの話だ。問題は平野官房長官が開放に否定的な態度なので一部外人記者や雑誌記者に開放したに止めた。記者会見場で記者クラブの記者しか会見できないと言うのはおかしな事であり、他のメディアの記者にも開放するのが常識だ。つまり記者クラブというのが大手メディアの利権になってしまっている。

官僚たちも記者クラブを通じて情報を統制しやすくなり、掟破りをする新聞社が現れれば排除する事で統制することが出来る。昔ならそれで情報を独占して記事にしていればよかったのでしょうが、ネットは新聞やテレビよりも情報を早く流す事ができる。だから大マスコミはネットを目の仇にする。

「株式日記」のブログでも大きな出来事が起きるとアクセスが増えますが、読者も大マスコミが報道しない情報を求めてアクセスしてくるのだろう。速さや質や量においても新聞テレビよりもネットの方が有利なのであり、新聞は時間やスペースの制約があるしテレビは映像や音声などの材料が無いと番組にならない。だから何か大事件が起きるとネットにアクセスが集中する。

今回の選挙で民主党が勝利したのも、自民党ではしがらみがあって改革できないからですが、民主党が政権をとったら記者会見もオープンにすれば国民に対して大きなメッセージになったはずだ。しかし昨日の記者会見は従来の首相会見となんら変わるところがなかった。権力を持ってしまえば攻めから守りに変わるから自民党政治を踏襲するのだろうか。

民主党が官僚主導の政治を打破するというのなら、広報も民主党主導でなければ出来ないのでしょうが、官邸に丸投げしてしまったようだ。細川内閣の細川首相は記者会見でも自分で質問者をボールペンを使って指差していましたが、鳩山首相は官邸の司会者任せで仕切られていた。

結局は大マスコミを敵にすれば叩かれるということで民主党は妥協してしまったのだろう。これでは官僚に対しても妥協に妥協を重ねて官僚丸投げ政治になってしまう。そうなれば天下りどうのこうのは国民の失望に変わるだろう。上杉隆氏に寄れば官邸の記者会見が変われば各官庁の記者会見もオープンになって行くと見ていましたが、官邸の記者会見が変わらなければ他も変わらない。

もし記者クラブの独占からオ-プンな記者会見が実現されればブロガーも参加できる事になり、ネットのジャーナリズムも活性化されるだろう。自分でハンディのビデオカメラを持ち込んでの実況中継も出来るし、ネット中継は世界に配信が出来る。それが出来れば報道を通じて民主党の新しい政権で日本が変わる事を世界にアピールできる事になる。

民主党は事務次官会議を廃止して、事務方の記者会見も行わない事にしましたが、大臣がどの程度会見に対応できるかにかかりますが、これからの記者会見を注目して見なければなりません。




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真っ当な組閣 「田中良紹 THE JOURNAL」

2009-09-18 20:04:55 | 阿修羅

真っ当な組閣 「田中良紹 THE JOURNAL」
http://www.asyura2.com/09/senkyo71/msg/447.html
投稿者 アルカディア 日時 2009 年 9 月 17 日 12:10:00: jjR5cYzLvBZKE


http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/09/post_186.html


 鳩山新政権が誕生した。新内閣の布陣を見ると、小泉政権以来続いてきた「奇をてらう」要素が微塵もなく、久しぶりに真っ当な人事を見せられた思いがする。これを鳩山総理が一人で考えたとしたら、鳩山氏に対する認識を改めなければならない。それほどに政治に熟達した知恵を感じさせる人事である。


 人事は最高の権力行為であり、権力者の力量を余すところなく知ることが出来る。人事によってあっという間に求心力が衰える事もあれば、逆に求心力を高めて組織が生き返る場合もある。それは権力者が組織の中にどのような欲求と力関係とが存在しているかを読み解けるかにかかっている。その上で力関係と欲求との連立方程式を解かなければならない。人事は簡単なものではない。


 池田内閣で総理主席秘書官を務めた伊藤昌哉氏から聞いた話だが、昭和37年に第二次改造内閣を組閣する際、伊藤氏は池田総理から組閣案の作成を依頼された。箱根に籠もって色々考えたがどうしても収まりが悪い。1週間経っても満足な案が出来なかった。山から下りて「こんな案しか出来なかった」と総理に謝ると、池田総理は「こんな案を持って来た奴が居る」と言って1枚の紙を見せた。そこに書かれた人事案は伊藤氏を驚かせるほど見事だった。作成したのは田中角栄衆議院議員で、角栄氏はそれによって自らを最年少の大蔵大臣として入閣させた。伊藤氏は政治家としての田中氏の力量を思い知ったと言う。


 しかしいつの頃からか自民党の派閥政治は躍動感を失い、派閥順送りの人事が政治を停滞させた。それを壊したのが小泉純一郎氏である。党内力学を無視するためにメディアが喜ぶ「サプライズ人事」を行い、国民にアピールすることだけを考えた。人物の力量も資質も関係ない。とにかくメディアが喜ぶ人物を登用し、自民党と対決するパフォーマンスで支持率を高めようとした。


 党と対立するならそれでも良いが、ポスト小泉の総理たちはそうではない。ところが党と対立もしないのにスタイルだけは小泉政治の真似をした。メディアが大きく扱えば国民に支持されるとの錯覚に陥り、党内力学も本人の資質も無視して、メディアを向いた人事ばかりを行った。「お友達内閣」や「論功行賞内閣」を見せられて、「権力者の資質ゼロ」と思わざるを得なかった。今回は久しぶりにそのうんざりから解放された。


 人事の特徴の第一は党内力学への配慮である。ここまでしなくともと思うくらい党内グループに配慮をし、あらゆるグループから人材を抜擢した。第二は即戦力になりうる実力議員を配置した。女性を多く登用するとか知名度の高い民間人を抜擢するとかを一切やらなかった。民主党議員と連立相手の党首だけで組閣した点は、まさに小泉流に対するアンチテーゼである。


 さらにアンチ小泉を強調し、小泉構造改革のキーマンであった竹中平蔵氏と同じポジションに、全くそれとは逆の役割で国民新党の亀井静香氏を起用した。まるで漫画のような対比である。小泉政治の消滅が目的だと思わせる組閣となった。これなら亀井氏は張り切らざるを得ない。一方、社民党の福島党首には、小渕優子少子化担当大臣と野田聖子消費者担当大臣の二人分の仕事を与えた。それなら文句はつけられない。自民党が分断工作を仕掛けても二人の党首は動く筈がなくなった。


 そして鳩山・小沢体制に距離を置く人間には難しい仕事を与えた。前原国土交通大臣や岡田外務大臣には難問が山積している。仙谷行政刷新担当大臣は「脱官僚政治」を象徴するポジションで、これも鼎の軽重が問われる。長妻厚生労働大臣も同様である。攻める側では優秀でも本当に官僚を使いこなせるか。その真価が問われる。彼らはいずれもこの大役をやり遂げれば次代の民主党のリーダーになれる。いつまでも「反小沢」を叫ぶだけではいられないだろう。


 菅直人氏が副総理兼国家戦略担当大臣に就任した事は、鳩山総理に万が一のことがあればすぐにも交代できる布陣である。今回の人事は先々のことまで用意している。そして政治の知恵を感ずるのは、藤井財務大臣の起用である。一時は小沢氏が反対であるとの情報が流れ、藤井財務大臣が実現すれば、鳩山総理が小沢氏に屈しない証になると言われた。これは「二重権力論」を否定するための永田町らしい仕掛けである。


 政権発足と同時にスタートする最大の仕事は予算編成と補正予算の組み替えである。これをやれるのは藤井氏を置いて他にない。藤井氏の起用は以前から決まっていたと私は思う。小沢氏にも異論があるはずはない。ただそれが鳩山総理の主導権を強調する仕掛けに使われた。この組閣は様々な角度から練りに練られているのである。


 しかし組閣が見事でもそれで政治がうまくいくとは限らない。いかに能力ある閣僚を配しても、藤井氏を除いては全員が「未知との遭遇」をする事になる。結果がどうなるかはまだ分からない。ただ新政権が来年度予算を成立させ、次期参議院選挙に勝利すれば、かつて社会現象にまでなった小泉政治は影も形も消え失せる。これからの10ヶ月が日本政治の未来を決める事になる。



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