格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

2011.1.1たすけあい党新年声明

2011-01-15 08:30:07 | たすけあい党

2011.1.1たすけあい党新年声明
2011年、明けましておめでとうございます。本年を如何なる年にすべきかメッセージさせていただきます。結論から述べると、二代続いたマニュフェスト改竄政治と決別し、三番手政権としてマニュフェスト実践派政権誕生の年にしたいと思います。政権交代の日の目を見るには見ましたが、我々はまだその果実を味わっておりません。

民主党二代政権はマニュフェストを裏切る「上からの反革命政権」でしかありませんでした。これに対し民主党内が二分化しているのは衆知の通りです。マニュフェスト改竄派の政権はもう良いでせう、今度はマニュフェスト実践派の出番です。かく永続革命させて行くべきです。

 実現すれば日本の戦後政治史上久しぶりのハト派政権の登場になります。戦後日本を有能に舵取りし、世界の奇跡と云われた戦後復興、続く高度経済成長時代の政治を再興せねばなりません。この成功事例を再検証し現代版で焼き直すことこそが待ち望まれております。皆さん、力を合わせて頑張りませう。たすけあい党は未だ微力ですが、目下は理論の力により、ゆくゆくは数の力によっても日本政治史上に枢要な役割を果たそうと決意しております。今年もご声援宜しくお願い申し上げます。

 鳩山政権、菅政権は我々の期待を大きく裏切りました。2009衆院選で掲げたマニュフェストのうち、郵政再改革法案、有料高速道路無料化法案等の日本再生の為に有効な処方箋は殆どが手つかずのままです。これは意図的故意のサボタージュとしか考えられません。こうなると政権交代政権は公約詐欺政権と云うことになります。これほど露骨に公約詐欺するのであれば2009年衆院選そのものが無効と云うことになりはすまいか。そういう裁判が可能かどうかは分かりませんが公約詐欺選挙であったことは確かです。政治の信義を云うなら、これこそが一等肝要な信義ではないでせうか。

 この信に欠ける者が、「政治とカネ問題」で小沢どんを政治訴追している姿は二重の政治詐欺です。小沢どん側はマニュフェスト履行派であり、不履行派が履行派を政治訴追するのは政治ペテンです。この観点をしっかり据えることが重要です。

 今頻りに小沢どん政治を貶す評論が流されつつあります。人民大衆を誑(たぶら)かす悪意の逆宣伝です。我々は言論選でも堂々と勝利せねばなりません。日本政治に何が問われているのか。売国政治か自律自存の政治かの二股の道です。小沢政治は自律自存の道であり、逆であるかのように説くペテン評論に騙されてはなりません。

 振りかえって見るに、鳩山政権は八方美人型の優柔不断政治により転びました。云う事がころころと替わり、坊ちゃん的遊び人政治に食傷させられました。ところが、後継した菅政権は、その鳩山政権以上に悪質な政権になっております。れんだいこ自身、菅首相がこれほどイカレているとは考えておりませんでした。菅政治は小泉政治の再来です。民主党政権になって、こういう政治が立ち現われることは驚きでした。菅は小泉同様にネオシオニズム系の秘密結社の一員の可能性があります。こう考えないと理解できないオカシナことが随所で立ち現われております。

 小泉は首相在任時に、イスラエルを詣でた際にユダヤ教徒の正装で参拝しております。これは決定的な首相犯罪です。靖国神社の公式参拝に対して議論が生まれましたが、この愚挙に対して何の咎めも受けておりません。政倫審、証人喚問に値すると考えますが、こういう愚挙が見過ごされ、小沢どんに対しては執拗に仕掛けられております。これは意図的故意の政治操作です。粉砕あるのみです。

 鳩山政権時にはまだしも挙党態勢を維持しておりました。要職を自派で固めるのは当然としても、党内に政見の異なる色々なグループが存在することを踏まえ全体として党内バランスを図り挙党態勢を敷いておりました。これが大人の政治であり政治の知恵です。ところが、菅政権になると自派一色で組閣し、そういう片肺政権で政治を私物化しております。その菅政権下で、仙石官房長官が第二首相化しております。先の法相辞任騒動の結果、法相をも兼任しました。かくて官房長官権限が異常に膨らんでおります。菅政権のお粗末さと背後勢力の指示を窺うべきです。

 そういう粗脳政権の下で異常な「小沢どんバッシング」が押し進められております。菅政権の小沢どん追撃論法は明らかに日共的な民主集中制と云う名の党中央集権政治です。小泉時代の刺客騒動を思い出しますが、独裁的な官邸政治の手法と相まって恐ろしく子供じみた政治になっております。現在、菅政権は、「党中央の云うことはその通り」式恭順を党内に強要しつつあります。政治の日共化であり厳しく叱責すべきです。日共の悪影響については別途論じて見たいと思います。

 菅政権は、組閣の稚拙さに相応しい政権運営ぶりを発揮しております。政治は「ワシントン云いなり」です。その裏腹で政局騒動に耽っております。菅首相の「政局好き」が上手く利用されていることが分かります。それだけの脳でしかないと云うことが明らかになっております。菅政権の政策は、政権交代時マニュフェストを意図的故意の反故、執拗な「小沢パージ」、国策不況化政策、財政悪化政策、自給政策の放棄等々で悪事を重ねております。結論として誰の目にも明らかな逆走政治を続けております。

 これらにより政権交代効果はすっかり色褪せてしまいました。これは武運つたなく生まれた過ちではありません。現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の指令に基づき、ワザと日本を破産させるよう御用聞きしていると看做す必要があります。見返りに地位保全と大臣ポストを主とする登用機会が与えられ、これに喜々としている貧相な生態が見えてまいります。これを見抜いたところから人民大衆の失望が怒りに転化しつつあります。

 この政治事象を疑惑すべきです。漫然と批判するのではなく、国際金融資本帝国主義のシナリオを御用聞きしているのではないかと疑ってみる必要があります。菅政権の醜態を偶然的事象と捉えるようでは歴史の真実が見えてまいりません。鳩山政権然り、菅政権は鳩山政権以上に御用聞きに忠勤していると捉えるべきです。こういう輩をシオニスタンと命名しています。

 今や日本の政界はシオニスタンに籠絡されています。自公政治もそうでしたが民主党連合政権になっても相変わらずのシオニスタン政治が続いていることになります。共産も社民もその他諸新党も同じ穴のムジナです。してみれば、国際金融資本帝国主義の支配力が与野党、右派左派問わず及んでいることが分かります。そろそろシオニスタンどもを一網打尽に追放せねばなりません。

 こう読み解くことで、次の政治課題が見えてまいります。一刻も早く三番手政権を登場させ、自律自存の政治を取り戻し、2009衆院選の政権交代の意義に添った政治を実現させるべきです。その為にもう一度政権交代が必要です。この結論が見えてきたのが2010年の政治教訓だったと考えます。問題の所在が明らかになったと云うことは半ば解決したも同然です。後は如何に実現するかです。

 当然、国際金融資本帝国主義側は、そうはさせじとして反動的対応に出てまいります。これが「小沢どんパッシング」の政治的背景です。小沢どんは政権交代派のドンとして位置づけられており、それ故に叩き続けられております。マスコミメディア一斉の「小沢どんパッシング」はこれに起因していると考えるべきです。菅政権下の「小沢どんパッシング」は菅政権の単なる延命策ではありません。国際金融資本帝国主義の指令に基づく御用聞きと考えるべきです。

 こう考えないと、政財官学報司警軍の国家権力中枢八者機関の一斉砲撃の構図が見えてまいりません。その昔、ハト派政治のドンたる田中角栄も、この手でやられました。菅政権は今、民主党内を分裂させ、その分裂騒動により党への期待をすっかり褪せた状態に追い込み、その上での衆院解散を画策しつつあります。国際金融資本帝国主義にとって、2009衆院選の結果としての300議席を越える民主党議席がよほど邪魔になっていると云うことです。菅政権は、この思惑に基づくいわば民主党潰しの請負政権と化していることになります。

 こう捉えると自然に対応策も出てまいります。菅政権が小沢派の追い出しをすればするほど、出て行くのは手前たちであると云い渡すことです。マニュフェスト履行派こそが正統な民主党であり、これをサボタージュする側が出て行くのが筋です。これによると、民主党内から出て行くのは小沢派ではなく菅派シオニスタンであるべきです。

 そういう意味で、菅派による小沢派パッシングの不正を糾弾し、菅派シオニスタンどもをこそ放逐するべきです。菅派は、こうまで正体を露わにした以上、もはや民主党内に居残ることは許されません。目下、大臣ポストを餌にしながら自公やその他諸政党との連立を図ろうとしておりますが醜態と云うべきです。惨めな末路しか残されておりません。仕舞いには誰からも相手にされなくなるでせう、自業自得です。

 歴史の流れは、民主党正統派による三番手政権の創出を不可避としています。次の政権交代は小沢派連合によって切り開かれるでせう。どうせそうなるのなら早いのに越したことはありません。菅政権が日延べするほど一日一日国益を失います。

 思い返すに、世界史的称賛に値する戦後日本の奇跡の復興と発展は、政治上は自民党のハト派政権の能力によってもたらされてきたものです。しかしながら、その政治能力はロッキード事件を境に掣肘され、1980年代初頭の中曽根政権誕生と共にタカ派政権が日本政治を牛耳り始め、それと同時に世界史的侮蔑に値する日本凋落が始まり、今日に至っていると考えるべきです。

 以来、30余年にもわたる悪政により、もはや日本にはかっての国富がありません。国家財政もとみに悪化させられており、待ったなしの局面に至っていると考えるべきです。日本政治史上1980年代初頭に終焉して以来長らく地下に押し込められてきているハト派政治を復権する以外、日本再生の方法はないと考えます。わが党はこのことを強く訴え、ハト派政治の再興に尽力いたします。

 ここ二年余続いている小沢パッシング運動に対して、我が党の観点を明らかにしております。「真の政治とカネ」問題とは、収支報告書に克明に記載した者が、記載した故にあれこれと「天の声」まで精査され訴追されるべきではありません。まずは収支報告書に記載しなかった側が裁かれるべきです。史上の政治疑獄はこの種のものです。但し、このところ冤罪も増えており、検察的正義に眉つばせねばならぬことは言うまでもありません。現下のように収支報告書に記載しなかった側が免責された上で、小沢パッシング運動に陰謀を凝らしている姿は正視に耐えません。

 菅首相が、執拗に小沢どんを政治訴追し続けるのなら、その論拠論法を我が身に当てて潔白を証してから論ずるのが筋です。こう問う時、菅首相自身に纏わる杜撰な政治資金収支報告書問題があります。菅首相はまずは自身の政治資金団体の収支報告書不正記載問題を釈明すべきです。この物差しは、当然他の小沢パッシング派にも適用されます。目下の小沢パッシング運動は党利党略、私利私略のものでしかありません。

 日共流の「政治とカネ問題論」も不正です。その論理論法に従えば、政治家は井戸塀政治家になるかカスミを食って生きる仙人政治家になるしかありません。常に自身を正義であるかのように吹聴し、吹聴しただけで責任を果たしたかの観点から「政治とカネ問題論」を説き続けていますが有害理論です。

 「政治とカネ問題論」は代議員制政治に纏いつく宿アのようなものであり、政治活動に必要な資金が豊潤に集められ、それが有効に使われるシステム構築こそが本来の「政治とカネ問題論」となるべきです。少数党にして且つ云うだけで事足れりの政治論の政党が、「政治とカネ問題論」如意棒で、ハト派系政治家に特化して叩きまくる政治主義の背景こそが胡散臭いと云うべきです。そろそろ日共の悪質さに気づくべきです。

 2010年は、東京地検特捜部の政治主義的な立ち働きが露呈する年になりました。震源地は大阪地検特捜部でしたが、証拠捏造で現役3検事がイモヅル式に逮捕されると云う前代未聞の事件が発生しました。但し、関係者全員不起訴と云う事態になりました。

 この悪事に報道管制が敷かれているかの如くまともな報道が為されませんでした。先進言論の誉れを持つネットでもそれほど問題にされていないのは奇妙なことです。昔のことならともかく、今現に起きていることをそれとして評論するのはジャーナリズムの第一歩です。大阪地検特捜部の体質は東京地検特捜部のそれを真似したものに過ぎません。そう云う意味で、検察正義の虚構が露わになったことの政治的意味は大きかったと考えます。

 以下、「2010.1.1たすけあい党新年声明」を書き直し復唱しておきます。

 日本は、太古の昔から今日に至るまで、世界史上稀なる「なんだかんだ云っても割合と良い社会、国」であった。他国との相対的な比較に於いてですが、まずかく認識する必要があるように考えております。

 この点で、左翼は早急に半身構えの悪い癖を直さねばなりません。日本は良い国と思うべきです。否定をすれば賢いと思うのは青年期特有のものです。全体として日本は世界的に稀な豊かな助け合い精神で世の中を創って来た「良い国」と認識し直すべきです。ここを間違う故に、闘争対象があらぬ方向へ行ってしまうことになります。これが、れんだいこの学生運動検証の果実です。

 更に云えば、戦後日本は、大東亜戦争の敗戦を通じて、歴史の僥倖か必然かは定かではありませんが結果的に、戦後憲法秩序に体現されたプレ社会主義的体制を獲得していたと窺うべきです。ソ連邦の解体後もマルクス主義の魅力が踏みとどまり得ているのは、「実はソ連邦、中国、東欧等々の社会主義は社会主義ではなかった。戦後日本が具現したものこそ社会主義であった」とする知見によってです。

 戦後日本はそれほど魅力的な社会だったと考えるべきです。その「割合と良い社会、国」が次第に、中曽根-小泉政権以来は急速に破壊されつつあり、故に闘わねばならないと考えております。この時代に、中曽根-小泉政権的構造改革路線と親和するような動きを見せた日本左翼運動内の党派、自称インテリ左派が居たとすれば論外として放逐、自己批判を迫らねばならないと考えております。

 我々が今闘う基点は、日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の護持だと考えます。故に、この基盤を壊す者たち、制度、手法と対決せねばなりません。このことをしっかりと踏まえなければなりません。

 日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の擁護と発展を目指すのが是の流れであり、これを壊す流れを邪と分別すべきです。これを論証するのは別の機会に譲りますが、世界史上に於ける日本の位置づけをかく確認すべきです。この認識に至らない自称インテリばかりを輩出しておりますが、根本のところが分かっていない無知蒙昧な輩でしかありません。

 それもその筈で巷に溢れているのは邪道テキストばかりであり、それ故に下手に学問すると学んで余計にバカになります。そういうバカな自称インテリが大量生産され、その一部がマスコミの寵児となって日ごとに我々を説教し続けております。現代日本を牛耳っている政財官学報司警軍の八者機関の上層部は、こういう連中ばかりで占められております。そういう日本にされている訳です。

 我々はまず、この構図を打破せねばなりません。その為に各戦線に於いて有益な学問テキストを創出しなければなりません。その見分けをどうすべきか。これを簡単に申せば、我々の脳のシワを増すような学問に営為せよ、脳を骨粗鬆するような学問を唾棄せよ、云い伝えされてきているところの年齢に応じた季節感のある寿命の費やし方を工夫せよ、規制強化による生きた屍的生活化への謀りごとと闘え、著作権フェチ糞喰らえ云々と云うことになります。この観点から、各自が営為努力すれば宜しかろうと云うことになります。

 れんだいこは、階級闘争論を拝戴致しません。ああいうものの見方は思想の通過点として反面教師的に学ぶべきです。学ばないより学ぶ方が良いのですが、学んで咀嚼すべきです。生硬な階級闘争論は害にはなっても役に立ちません。

 もっとも、学ばずして排撃するばかりの手合いに対しては、階級闘争論の値打ちを語り反駁したいとも考えております。しかしながら、階級闘争論はそのままでは使えない、もっと練らねばならないと考えております。世の中の生業をを事業と考え、生産管理、職場管理の思想を打ち出し磨くべきです。労農階級は歴史の主人公足る能力を身につけ、その大道へ歩を進めるべきです。

 我々は、「外治より内治優先、軍需費より公共事業優先、軍事産業ではなく平和環境産業の育成、中小零細企業まで活性化する経済成長政策による税収の自然増、国民の生活と諸権利擁護、消費税の利率アップどころか悪税の廃止、公務員の天下りに伴う高給制度の廃止、公務員給与の適正化、国際友好親善協調政策への取り組み」等々を掲げて、これと真っ向から敵対するシオニスタン政治と闘わねばなりません。

 思い描くべきは、戦後日本の国土復興から高度経済成長時代の在りし日の日本の姿です。軍事予算はGNPの1%枠に閉じ込められ、消費税などなく、雇用・年金・医療制度が確立していました。必要な公共事業が次々と着手され社会資本基盤が整備され続けました。あの頃の日本は、世界史上のお手本的な善政であったように思います。これを論証するのは別の機会に譲りますが、かの時代の日本をかく確認すべきです。その時代のコンピューター付きブルドーザーが角栄であったのは云われる通りです。れんだいこが角栄を信奉する所以です。

 その時代は、ロッキード事件勃発、続く1980年代初頭の中曽根政権の登場とともに壊されました。「あれから40年」、日本はかくも惨めな国に転じてしまいました。国債の累積債務は天文学的です。遂に国庫収入が新規国債発行額を下回ると云う異常事態に陥ってしまいました。2010年は更に事態を悪化させました。一体、誰がこんな時代を呼び水したのか、憤りなしには認められません。

 とはいえもはやあれこれ云ってもキリがありません。後悔よりもこれからが大事です。2011年は2010年に引き続き、失われた日本の値打ちを認め、再興すべき新時代の年とすべきです。れんだいことたすけあい党は不惜身命、歴史に身を預けたいと思います。本年も熱い支持と御カンパよろしくお願い申し上げます。党員志願者の続々入党頼みます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする