江戸時代とは・・・のシリーズでは、過去色々書いてきました。
2006年9月4日 武士の収入はどうなっているの?
2007年12月17日~2008年1月21日 江戸時代の庶民の生活
2008年11月6日~2009年1月21日 江戸時代の中枢 江戸城のなりたち
2009年10月19日~2009年3月24日 江戸時代の生活 庶民の一日
ここまででは、一般の武士の生活については、あまり書いていませんでした。
今回、神田の古本屋から「金沢藩士猪山家文書」が見つかり、それが「本」や「映画」になりました。
そこで、磯田道史著「武士の家計簿」をもとに、映画には描かれなかった部分を中心に書いてゆきたいと思います。
下記は、2006年9月4日のブログで武士の収入について書いた部分を再現したものです。
「 これには、知行と蔵前があり、知行は先祖からのその家に伝わった格式の一つで小なりと言えども大名と同様に領地を持っています。この土地から上がる収穫を米に換算し、大名と同じく農民と分けますが、その割合は、かなり厳しかったと言われています。
蔵前取りは自分の領地を持たず、領主や幕府から給料として年に何表という米を貰っていました。
一俵は約四斗、十斗が一石と決められていましたから百表の蔵前取りは四十石ということになります。
蔵前取りは、豊作や飢饉に係わらず天候に関係なく毎年決まっただけの米を貰えるのが特徴で す。
また、それ以外に役高という役付手当もありました。
例えば、三十俵2人扶持という蔵前取りのうち2人扶持というのが、その役付手当です。 一人扶 持は、一人が1日に食べる米の量のことで、玄米5合と定められています。
つまり二人扶持は1日に1升、1年を現代風に365日として計算すると三石六斗五升という米が 月払いに換算して支給されます。
当時の勘定方の役人は、このややこしい計算をそろばん片手にしていたことでしょう。」
つまり、以上が、映画「武士の家計簿」の主人公の御算用者の主な仕事の内容です。
武士の年俸は、石高で表されます。
中級武士の石高を50石とした場合、それは米の収穫量であり、年貢の割合は、四公六民というのが標準的だとすると、取り分は20石となります。
米1石は1両というのが平均的だったらしいので、年収は20両ということになります。
では、1両とはどのくらいなのでしょうか?
1両といっても、価値は、慶長時代と天保時代とでは、まったく異なります。
天保時代の金の含有量が6.4gしか含まれておらず、1g1500円として計算すると、1両は約1万円となります。
とすれば、50石取りの武士の年収は20万円ということになりますが・・・・。
しかし、その時代の米価は、どのくらいだったのでしょうか?
江戸時代の諸物価を基準にすると、4文が100円という説から計算すると1両は15万円。
20石は、300万円となります。
別の計算基準では、当時の庶民の日当から計算した例があり、それによると20石は、600万円といわれています。
どちらにしても、色々な計算方法があり、江戸時代の武士の懐具合の実体は、はっきりしません。
ニュージランド マウント・クック
今年、9月の個展出品作を連載します。 その1