再び、江戸時代の話に戻ります。
武士の身分は、武士内部に複雑な身分階級は成立していました。
その身分制度が、そのまま行政組織にもなりますが、大名家によって、分け方や名称が異なります。
大きく分けて、上士、中士、下士に分かれます。
この区分は、絶対であり、下士から中士には、ほとんど上がる可能性はありません。
上士の筆頭は家老職で、以下側用人、用人格、大寄合、物頭等です。
中士には、側頭、供頭、寄合席、留守居、奉行、納戸役、目付、小姓頭、医師などです。
そのなかで、奉行には、町奉行、郡奉行、勘定奉行、寺社奉行などがありますが、「武士の家計簿」の主人公の算用者は、勘定奉行の配下です。
下士は、徒士小頭、組頭、徒士格などです。
藩士は、格式、俸禄、役職によって藩内での位置ずけがされます。
格式は、藩主との位置関係を家単位で示したもので、その格式に応じて俸禄が与えられ、役職も決められました。
ということは、格式は、先祖代々変わらないので、役職も基本的に変わりませんでした。
が、唯一例外があります。
江戸時代の事務を司る職には、機密文書を取り扱う「奥祐筆」、書類の作成する「表祐筆」があり、そこには帳付けする勘定方という職があり、その職には、算術に心得のある下士が当たっていました。
しかし、「算術」の出来る人材がいつも不足しかちであり、算術には、世襲に向かず、この職種だけは例外としているところがほとんどだそうです。
今年、6月に訪れたディズニーランドにて 個展出展作 その3
武士、特に上士は、算術を賎しいものと考える傾向があり、子弟には学ばない方が良いとさえ考えていました。
つまり、ソロバン勘定などは「徳」を失わせる小人の技であると考えられていたからです。
算術は、世襲に向かず、個人の出来不出来が如実に表れて、ソロバンにかかる職種だけは、例外になっており、身分にとらわれない人材登用がなされていたということだそうです。