徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

秋の福井・金沢の旅行 ① -一乗谷朝倉氏遺跡ー

2012年11月15日 19時28分26秒 | 旅行・観光

今年も、夏ごろから紅葉を求めての小旅行を、どこに行こうか考えていました。
以前に北陸の温泉と東尋坊は行ったのですが、永平寺は行っていませんでしたので、今年は永平寺と金沢の兼六園を主にしてその周辺に行くことにしました。

ところが、時期的には11月中旬というのは、ある交通会社の人のアドバイスもあり、紅葉には良かったのですが、さすが天候だけは分かりませんでした。

天気予報では、13日から北陸方面は寒気が入り、大荒れで、13日午後は、降雨確率が80%、14日は100%でところにより雪という予報で、この二日間は、雨と寒さとの闘いになるのを覚悟して出かけました。


一日目は、大阪からサンダーバードで福井に出て、そこから一乗谷朝倉氏遺跡、永平寺、丸岡城をタクシーでめぐり山中温泉で一泊する予定です。

日中は薄日さえ射してていたのが、旅館に帰ってから雷雨となりました。
日頃の行いのよさが証明されました???のでしょうか???

 

  

さて、最初の訪問先の一乗谷の朝倉氏遺跡は、行くまでは、余り期待していませんでした。
なにしろ、遺構と言っても、礎石が置いてあるだけとおもっていました。

ここ一乗谷は、福井一体を治めた朝倉氏の本拠地で、豪壮な館を中心とする城下町があり、初代朝倉孝景から5代義景までの103年もの間栄華を極めていました。

しかし、織田信長に敗れ、ここは焼け野原となり、その後は柴田勝家が治めますが、勝家の本拠地は北の庄に移したため、この一乗谷は忘れられた存在だったようです。

この地が、3方を山に囲まれて、戦になれば袋小路になる不利な地形になっているのが、朝倉氏が滅びた理由の一つだったように思われます。

この遺構は、長い間埋もれていたのを、昭和42年から発掘調査が進められ、昭和46年に国の特別史跡に指定されました。

  

  

  

現在は、そこに街並みが復元され、館跡には、唐門だけが再現されて、この地に広大な館や寺院があったことが想像されました。

寺院と町屋群、復原武家屋敷を見学し、一乗谷川を渡って、朝倉館にある湯殿跡庭園、中の御殿跡、諏訪館跡庭園に至る約1時間、見学しました。
ここから標高473mの山頂に一乗谷城跡がありますが、その余裕がありませんでした。

今は原っぱになっているところに立派な館があった事を思えば、当初、思った以上に、興味深いものがありました。
一部町屋などが復原されていますが、館の方も復原されるのでしょうか?
ここは、想像するだけにして、このままにしておいた方が良いのか考えさせられました。