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秋の福井・金沢の旅 ② -一乗谷朝倉氏遺跡②-

2012年11月16日 19時18分00秒 | 旅行・観光

朝倉氏の遺跡は、写真だけでは、なかなかその様子・雰囲気は現地に行かなくては分からないと思います。
そこで、動画とパノラマ写真でその一端でも見て下さい。


 朝倉氏遺跡 <動画>

 

 

   


なぜ、朝倉氏は、滅びたのでしょうか・・・・・

その昔、福井を治めていたのが朝倉氏で、その本拠地が一乗谷でした。
その後、織田信長との戦いに敗れたあとは、信長の家臣である柴田勝家が治めました。
しかし、勝家が築いた城は、本拠地を北の庄で、9層の天守閣があったそうです。

この城も、秀吉に滅びされ、焼失します。
その後、徳川家康の次男・結城秀康が関ヶ原の戦いのあと、越前68万石を与えられ福井城を築城します。
この福井城は、現JR福井駅の北、徒歩で約5分のところにあります。
北の庄城祉は福井城の南で、現在は柴田公園になっています。

朝倉氏が103年もの間、栄えたにもかかわらず、この地から出て行くことがなく、そしてこの地、一乗谷は、海に遠く、街道筋からも外れ、山に囲まれた袋小路という戦略的に悪い地形に留まっていたことが、結果的に朝倉氏が壊滅した理由ではないでしょうか・・・・

その後も、この地は、政治的に重視されることはありませんでした。