滋賀県彦根市金亀(こんき)町にあり、別名を金亀城とも云われています。
別名には、縁起もの、創建の由来、お城の姿、それにその地元の地名があります。
この彦根城は、地元の地名が別名となっています。
彦根城は、12の現存天守閣のお城のひとつですが、明治の廃城令により、取り壊される予定だったのですが、取り壊されなかったのには、諸説があります。
明治天皇が巡幸の際、保存を命じたとか、大隈重信が保存を奏上したとか言われています。
天守が国宝指定された4城の1つで姫路城とともに遺構を良く残している城郭ですが、未だ世界遺産には登録されていません。
1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストには掲載されているのですが、実現されていません。
関ヶ原の戦いの功績により、井伊直政は、石田三成の居城であった佐和山城を与えられました。
直政が戦のキズが再発して没し、後を継いだ直継は、直政が磯山に移そうとしていたのを、彦根山に築城することにしました。
12の大名の手伝い普請により3年の歳月をかけ完成させたのが、この彦根城です。
これが第1期工事といわれ、主として大津、安土、佐和山などの旧城址から石材や瓦を運び突貫工事で進めたと言われています。
1616年から22年まで第2期工事が行われました。
城は琵琶湖を西に控え平山城で彦根山の頂上を本丸とし、東のふもとに表御殿がありました。
井伊家は、関ヶ原の功績で5万石加増され、さらに10万石加増され30万石となり、譜代大名としては破格の扱いを受けました。
天守閣は、国宝、西の丸三重櫓は重要文化財、天秤櫓、佐和口多聞櫓も重文です。
今年 春に訪れた彦根城 玄宮園から天守を望む。 池に映った逆さ天守
彦根城博物館 表御殿の再現と武具などが展示 今や彦根城の代表 ”ひこにゃん”