昨夜、TBSテレビ『金ズマ』でオリラジスペシャルが放送されていてコ
ンビ解消危機などのサクセスストーリーと挫折、復活の経過の人間ド
ラマを取り上げていた。しかし、漫才コンビの人生ドラマは大なり小
なりこういった風な軌跡を辿るものだと思いながら、現代漫才がどう
なっているのか興味がわいた。中田と藤森は自動車事故の受付のオペ
レーターバイトで知り合う。互いを知り合う内に、大学に通いながら
NSCへ入学するが、コンビ名は「オリエンタル」を中田が持ち寄った言
葉の中から選び「ラジオ」を藤森が持ち寄った言葉から選んだとい。
中田の父親が自動車保険販売業を営んでおり「いい車には、名前には
ラ行(ラ・リ・ル・レ・ロ)の文字が入っている。」(例:カローラ、
センチュリー、プレジデント等)と言われ、「自分もコンビ名には、
ラ行を入れたい。」と思い、ラ行が3文字入っている「オリエンタル
ラジオ」としたという。コンビ名を決定した理由のひとつに、この単
語をネット検索にかけたところ1件もヒットしなかったため検索ヒッ
トで自分たちの人気がわかりやすいだろうということだったとか。
2005年4月に、TBS『ゲンセキ』にてテレビデビュー。『武勇伝』ネタ
で一気にブレイクするが、最近はコンビとしてではなく、それぞれが
単独で出演することが多く、中田が「オタク・インテリ」キャラを確
立し、遅れて藤森が「チャラ男」キャラを確立して再ブレイクを果た
している。ところで、漫才の発祥と言われる萬歳(まんざい)は、平
安時代かに起源をもつ芸能で、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌舞である
といい、二人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、1人
片方が打つ鼓に合わせてもう1人が舞う。江戸時代には、全国各地で
その地名を冠した尾張万歳、三河万歳、その後、大和万歳などが興り、
歌舞のみでなく言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味を
増し発展していった。しかし、第二次世界大戦後にはほとんど行われ
なくり今は保存会などが復興・継承しているとか。現代漫才は、大正
末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年頃に吉本
興業宣伝部が漫才と名付けたという。漫才を行う者を「漫才師」と呼
び、関西圏の漫才を特に上方漫才と呼び、横山エンタツ・花菱アチャ
コのコンビが、万才を会話だけの話芸「しゃべくり漫才」として成立
させ、絶大な人気を博し定着普及してきた。
1950~1960年代が漫才の全盛期で、上方では中田ダイマル・ラケット、
ミヤコ蝶々・南都雄二、かしまし娘、夢路いとし・喜味こいし、海原
お浜・小浜、暁伸・ミスハワイ、タイヘイトリオ、鳳啓助・京唄子、
人生幸朗・生恵幸子、漫画トリオなどが、東京では前述の千太・万吉
のほか、内海突破・並木一路、コロムビア・トップ・ライト、大空ヒ
ット・三空ますみ、宮田洋容・布地由起江、都上英二・東喜美江、内
海桂子・好江、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじなどがラジオ・テレ
ビで活躍したが、幼いころから漫才をシャワーのように浴び育ってき
たからいまでも鮮明に彼らの活躍を記憶している。
1970年代も、上方では中田カウス・ボタンやコメディNo.1、レツゴー
三匹などが台頭して新たな笑いを築いていったが、東京はコントに笑
いの主流が移ってしまい停滞気味になっていったが、1970年代後半に、
関西テレビの番組『花王名人劇場』やフジテレビの番組『THE MANZAI』
から漫才ブームが起こり、横山やすし・西川きよし、B&B、ザ・ぼんち、
星セント・ルイス、ツービート、島田紳助・松本竜介、西川のりお・
上方よしお、オール阪神・巨人などの中堅や若手漫才師が人気を集め
た。彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が
多いが、漫才は寄席で行われる演芸として発達したがテレビ・ラジオ
の普及力が力に多く披露されていく。米国 イツ、韓国、中国などの
国々にも似たようなものがあるが、日本との文化的な違いから漫才の
ように空気を読んだノリツッコミやドツくのようなパフォーマンスは
見られないという風に日本独特の大衆演芸文化スタイルを確立する。
漫才は主に二名で演じられる話芸だが三名以上のグループで演じられ
る場合、背景音楽が使用される場合も、演者自身が楽器を演奏する場
合もあるあるが、二人の演者は、ボケ役とツッコミ役と呼ばれる二つ
の役割に分けることができる。ボケ役は話題の中で面白い事を言うこ
とが期待される役割である。話題の中に明らかな間違いや勘違いなど
を織り込んで笑いを誘う所作を行ったり、冗談などを主に言うが一方、
その相方は、ボケ役の間違いを素早く指摘し、笑いどころを観客に提
示する役割を担う。ボケ役の頭を平手や軽い道具で叩いたり胸の辺り
を手の甲で叩いて指摘する事が多い。この役割はツッコミと呼ばれ、
もともとボケ役は、そのとぼける行為によって笑いを誘うことが多か
ったことからとぼけ役と呼称されていた。芸席において紹介のつど
「つっこみ(役)・とぼけ(役)」と称されていたことが、後に音だ
けで「つっこみ(役)とぼけ(役)」→「つっこみ(役)と、ぼけ
(役)」のように転じたことから、現在のように「つっこみ(役)・
ぼけ(役)」と言われるようになる。また、ボケ役が話の進行役を担
当する漫才師も少なくなく、その役割分担も固定的ではなく、れによ
って自然にボケとツッコミが入れ替わる手法を用いる場合もある。
ところが、1980年代にはいると980年代の漫才ブームで頭角をあらわし
た漫才師達は『オレたちひょうきん族』に代表されるようにボケばか
りが注目を浴び、ツッコミは食いっぱぐれ、ボケに食わされる状況に
追い込まれた。同番組内のうなずきトリオは、地味なツッコミをまと
めて売り込む苦肉の策でもあったが。1990年代になると、ダウンタウ
ンの浜田雅功の登場でツッコミは番組を取り仕切る司会を任されるよ
うになり、爆笑問題の田中裕二等、ツッコミがいじりの対象として登
場するようになったように時代とともに変化がみられる。コントのよ
うなストーリー展開をもたないのがオーソドックスな漫才で、正統派
漫才とも言われるが、コントに入ってもコンビの片方のみが役に入り
きる場合や、同じシチュエーションを繰り返すことも多い。当てはま
るのは中川家、ますだおかだ、タカアンドトシ、品川庄司、スピード
ワゴンなど。最近ではしゃべくり漫才に自らのスタイルを取り入れた
ものもいる。その例はスローテンポ漫才のおぎやはぎ、ケンカ漫才の
ブラックマヨネーズ、妄想漫才のチュートリアル、Wボケ漫才の笑い飯、
ズレ漫才のオードリー、Wツッコミのマシンガンズ、ノリボケ漫才のハ
ライチなどがある。
ところで、オリラジの漫才は中田がボケ、藤森がツッコミを担当して
いるが、普段のトークでは、藤森のトークに中田がつっこむという構
図もよく見られるという。『武勇伝』を見ていると、アフリカン・ア
メリカ音楽であるラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティは四大
要素を取り込んだヒップホップミュージックの影響を受けた振り付け
掛け合いが最大の特徴がありその意味では、漫才のグローバル化を無
意識で?スタイル化したという功績がだろうが、今後彼らの漫才スタ
イルがどのようになるのか、そして吉本興業の事業形態が変化してい
くのかなかなか予想できない。
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