しかし市民主義がたどりつく結末はいつも、収賄、贈賄の不正を個人倫理の問題に摩りかえ、
責任の所在を、個人の犯罪におきかえて追及することにたどりついてしまう。これは問題を
はっきりさせているのではなく、問題の在り方を脇の脇にそらしているのだ。なぜそうなる
かはわかりきっている。この市民社会の成り立ちの根本にメスを入れて責任を背負える理念
を自分で作り出した経験が一度もないため、ただ袋の綻びから洩れ落ちてくる個々の不正に
目くじらをたてるよりほかに能がないからだ。
「経済指数の現況:情況との対話」サンサーラー No.44 1997.02
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012
【電動エアプレイン時代】
先月、日本触媒とNHKが共同で百日でも劣化しないシート型有機ELを開発に世界で初めて成功する。それによ
ると、従来のOLEDは、基板上に陽極、有機層、電子注入層、陰極の順序で積層して成膜していくが、基板材料とし
てフィルムを使った場合、時間の経過とともに基板側と陰極側の両方向から、大気中の酸素や水分が進入。電子注
入層と陰極を劣化させ寿命が短かったが、(1)酸素や水分の影響を受けにくい電子注入層の材料を開発。(2)
劣化しにくい陰極用材料を使用。これらの材料を積層して成膜できるよう、陽極と陰極の位置を入れ替えた逆構造
とすることで、長期間安定に発光する「iOLED」(逆構造型)を実現した。iOLEDでは基板上に陰極を成膜するので
下地の劣化を考慮しなくて済む。この結果、百日間大気中にさらしておくと発光面積が約半分になってしまうが、
同期間でも劣化しない。また、NHKは、スーパーハイビジョン(SHV/7,680×4,320ドット)映像の地上放送を実現
するため、超多値OFDMと、偏波MIMOを組み合わせた大容量地上伝送技術を研究開発している。昨年の5月に、地上
波でのSHV野外伝送実験に世界で初めて成功している。
さらに、英国の市場調査会社であるIDTechEx Researchの調査報告――有機ELディスプレイ市場予測:プラスチック
/フレキシブル有機ELディスプレイの台頭――で、16年の同市場規模は約20億米ドルに達し、20年には18
0億米ドル規模に拡大する見込み。これは、わたし(たち)がミレニアムで予測した数値より10年遅れることに
なるが、有機ELディスプレイの2大主要メーカーであるSamsung DisplayとLG Display は、いずれも生産能力を拡大
するための大規模な投資を発表している。Samsung Displayは、2015~2017年の間に30億米ドルを投じて、新しい製
造ラインを建設する予定。また、ライバル企業であるLG Display は、90億米ドルを投入して新しい製造工場を2カ
所に建設する。
新型プリウスでソーラーパネル掲載のことを「最新弥生工学の此岸」(2016.05.31)で触れたが、ネットで関連特
許下調べして、全景を掴んでみる(上図)。これ以外にエアコン用のヒートポンプシステムも加え、自動車も「デ
ジタル革命渦論」に巻き込まれて進化しつづけていることを確認する。ソーラーの詳細仕様は今夜の段階ではわか
らなかったが、下図のようなシャープのフレキシブルソーラーも調べている。発電と蓄電、レシプロとモータ、住
宅と自動車などなど至る所でシームレス、ボーダーレスが浸潤している。
太陽電池で発電し、リチウムイオン蓄電池と組み合わせてモーターを回し、飛行する「太陽光発電飛行機」。米国
Aero Electric Aircraft(AEAC)は、このような特徴を備えた練習機「Sun Flyer(サンフライヤー)」を開発。16年
5月には、米コロラド州デンバーのCentennial空港で、コンセプト実証機を初公開。今後は、コンセプト実証機の性
能データを用いて量産機の仕様を確定し、米連邦航空局(FAA)の認証を得る予定。米国で認証の一番乗りを目指
す。空もドローンと同様に電動プレーンが飛ぶようになると静粛性に優れている。これは、面白くなりそうだ。
It’s true these people
were once real people. But who
now remembers?
Tell me, horse, what rider?
What banners? What
strange hands unstrapped your bucklers?
Horse, what rider?
Raymond Carver
不将な鰻
南フランスにいるときに、別れた女房が電話を
加けてきた。これはあなたのコ生にコ藁」のチャソスなのょと
彼女は言った。そのメッセージを留守番電話に
吹ぎ込んでいったのだ。ちょうどパーティーがたけなわで
お馴染みのその声に耳を澄ましているあレだにも、友人たちは続々と
姿を現していた。秘密めかした、でもきっぱりとした声色。
何か世の中に尽くそうという熱フほさがうかがえる。
私はどんどん落ちぶれているわ。でも
それが言いたくて電話したんじゃない
のよ。私か言いたいのは、今がそれこそ濡れ手言葉、
千載一遇の犬チャンスだっていうこと。
詳しい事情を教えるから帰ったら電話ちょうだいね。
そしてがちゃん。もうはるか三週間前のことだ。でもすぐにまた
電話をかけなおしてくる。もう一刻も待ちぎれないみたいに。
ねえハニー、聞いて。これはよくあるイソチキ話
なんかじゃないのよ。もう一回言うけど、これはホントに
ちゃんとしたやつなの。「旅客機」っていう名前の
ゲームなの。あなたはエコノミー席からスタートして
そこからどんどん上にあがっていって、
副操縦士の席までたどりつけるし、
あるいは操縦士の席だって夢じゃないの。
ツイテいればそこにだって
たどりつけるのよ。あなたツイテいるでしょ?
いつだっていつだって、あなたはツイテいた
じゃない。あなたはこれで大金を手にすることが
できるわよ。これ冗談なんかじゃないのよ。詳しいことを
教えてあげる。だから電話をちょうだいね、
あなたの方から。
夕方の遅く、もう目暮れどきだった。それはちょうど
穀物が結球しはじめる季節で、野原には花々が見事に
咲き乱れていた――花は夜が深まるにつれて、頭を
垂れていった。それは文字どおりの「闇の衣」をまとった
夜だった。テーブルは屋外に出され、花がまさに満開の
梨の木のあいだには蝋燭がともされた。
蝋燭はそこで、月の明かりをおぎなうように、ほどなく
おこなわれる帰郷の祝いを照らし出すことになるのだ。
彼はテープに吹き込まれた彼女の甲高い、うわずった声に
耳を傾けていた。電話をちょうだい、とその声は何度も何度も繰り返した。
でも電話をかけるつもりは彼にはなかった。そんなことはできない。
できるわけがない。物事はすっかり終わってしまったのだ。
このメッセージを受け取るほんのちょっと前には、彼の心は熱い情熱に
溢れていた。そしてとにかく数分の間は、いろんなしがらみを忘れて
開けっ放しになっていた。でも今ではその心も、もとの居場所に縮みあがって
喜びもなく黙々と責務を果たすただのこぶし大の筋肉のかたまりに
なりはてている。自分にいったい何ができるだろう?
彼女は遠からず死んでしまうだろうし、自分だって
それは同じことだ。二人にわかっていて、今でも合意でぎるのは
それくらいのものだった。彼はこれまでの人生で実にさまざまな
ことを見聞きしてきたし、それらはどれをとっても奇妙さにおいては、この土壇場になって
彼女が持ち込んできた「旅客機」の儲け話とどっこいどっこいだったが、
彼にはずっと前からわかっていた。自分とこの女とは、
若い日に交わした誓いとは裏腹に、ずっと遠く離れた場所で、
別々の生活の中で死んでいくだろうということが。
二人のうちのどちらかは-j-それは彼女の方だろうという暗激たる確信を
彼は抱いていた-すっかり零落して錯乱のうちに死ぬことになるかも
しれない。今になってみれば、この予感はそのまま実現しかねない。
この先、何が起こっても不思議じゃない。俺に何かできるというのだ?
何もできない。できない。でぎない。できない。
あの女と口をきくことも、もう俺にはできない。
できないというだけではなく、話すのが恐ろしい。あいつはもう
狂っている。電話をちょうだい、と彼女は言った。
いや、電話をかけたりはしない。彼はそこに立って
じっと考えていた。それから二日ほど前のことを何の
脈絡もなくはっと思い出した。大西洋上空5万5千フィートを
時速千百マイルで突っ切っているとぎに
彼は本のなかにその一節を発見した。
とある若い騎土がおのれの報賞、つまり花嫁を迎えに、はねあげ橋の上に
馬を乗り入れる。彼はその女をまだ一度も
目にしたことがない。女は城の中で、やきもきしながら
待ちつづけ、何度も何度もその長い髪を槐いている。
騎士は馬に乗って雄々しく悠然とやってくる。その腕には瞰が止まり、
黄金の拍車が軽やかに鳴り、緋色のかぶりものには
プランタジェネスタの小枝が差してある。彼の背後には
家来たちが馬に乗って従う。磨き上げられた兜の長い列。太陽が
騎士たちの胸当てに眩しく輝く。
暖かい微風にのって、見渡すかぎり旗印がひるがえり、
城の高い石壁から垂れ下がっている。
読みとはしていくと、少し先のほうでこの同じ男が、
今は君主なのだが、幻滅と不幸の中に沈んでいて、粗野で乱暴な
人間になっていることがわかった。あるページの
真ん中あたりで、彼は酔っぱらって、朧料理を喉に詰まらせて
苦しんでいる。これはあまり心愉しい絵ではない。
家来の騎士たちぱ(彼らもまた粗暴な殺し屋集団と化している
のだが)なすすべもなくただ主君の背中を
どんどんと叩いたり、うす汚い指を喉の奥に突っ込んだり、
足首をつかんで逆さに吊り下げたりするのだがその甲斐もなく、
彼はやがてぐったりと息絶える。
その顔と首はタ焼けみたいに赤く染まっている。
それから家来たちは彼を下におろす。彼の指の一本ぴんと立ったまま
そこに凍りついている。自分の胸ぐらをフ」こだ」とでもいわんばかりに
ぎゅっと指さして。そこにそいつはひっかかっているのだ。
心臓のちょっと上のあたりに、その不埓な鰻はあるのだ。
この物語に登場する女性は黒の喪章をつけているが、
それからいったいどうなったものか、タペストリーの中にふっと
姿を消してしまっている。これらの人々はかつてはたしかにこの世に
生身の人間として生きていたのだ。でも淮がそんなことを覚えているだろう
馬よ、私に教えてくれ。どんな騎手だった? どんな旗印だった?
どんな見知らぬ手がお前たちの鎧を外してくれたのだ?
馬よ、どんな騎手だったのだ?
The offending eel
● 今夜のアラカルト
イントロダクション
テス・ギャラガー
村上春樹 訳
これは最後の一本である。そして最後の『何か』というものは、それだけで自立したものと
してそこにあることを我々ぱ重い知る。そわらは我々の介在在を必要とはしない。しかし我々
の側の必要性によって、我々はそれをひとつの記念物に仕立てていけ、その「最終性」をより
際立たせようとする、我々のまわりを取り囲み、あらゆる死ががその中心に含む命題――「人
生にはどのような意味があるのか?」という命題――へと我々を引き戻すその最終性をだ。
レイモンド・カーヴァーにそれに付する自らの回答を実際に生き、そして書き記したた。「私
は常に無駄遣いをしてぎました」と、彼はあるインタヴューで語っている。その舵取りは疑い
の余地なく、高尚で優作な生き方というには程遠い苦難の旅路を彼にもたらすことになった。
彼の場合、それはほとんと法則に近いものだった。カーウァーの法則、というところだ。
「将来を夢見て蓄えることなく、いま自分の中にある最良のものを片っ端から使う。先になれ
ばより良きものが来ると信じる」ということ。彼のお気に入りの煙草の箱にさえ、そのような
彼の信念が命令法で印刷されていた。NOW、と。
この本を完成させようとする中で、私たちはそのような訓令が次第に強さを増しながらひし
ひしとのしかかってくるのを、いやおうなく感じることになった。レイは1987年の9月に
吐血したあと、肺癌の診断を下された。それはチェーホフの死に先立って起こった出来事に(
レイは『使い走り』という近作の中でチェーホフに敬意を捧げていたのだが)気味が悪いくら
いよく似ていた。その後十ヵ月にわたる闘病生活がつづけられたが、その間に癌は脳に転移し
て脳腫瘍となった。3月の初めのことである。複数の医師による脳手術の勧告を二度断ったあ
とで、彼はみっちり7週聞かけて、胴金誠にわたる放射線治療を受けた。短い小康状態はあっ
たものの、やがて6月の初めに再び肺の中に癌、が発見されることになった。
それが、その当時の状況だった。私たちをリアリストにするに十分な――もしそれまでの私
たちがリアリストではなかったとしたらということだが――状況である。にもかかわらず、ち
ょうどチェーホフが、結局そこで死ぬことになる町から出ていく列車の時刻表を読みつづけた
ように、レイは仕事をやりつづけ、計画を立てつづけ、自分に残された時間の重要性を信じつ
づけた。そしてまた彼は信じつづけた、何かの運命の変転によって自分がこの窮地を脱するこ
とができるかもしれないと。あとになって彼のシャツのポケットの中に私は買い物のリストを
見つけたが、そこには「卵、ピーナッツ・ハター、ホット・チョコレート」とあり、それから
ちょっと空白を置いて「オーストラリアにするか? 南極にするか?」と書いてあった。
自分には逆境をのりこえて、回復を可能にする力があるのだという執拗なまでのレイの信念
はその闘病生活を通して、私たち二人に強さを与えてくれた。日誌の中に彼はこう書いている、
「希望が消えてしまったときには、藁にもすがるということが究極の理性なのだ」と。かくの
ごとく彼は希望というものを、意思表示から生まれてくるものとして遠くに、遥か遠くにまで
手を伸ばすこととして捉えて生きた。約束された対象が幻以外のなにものでもなかったにもか
かわらずだ。それに代わる選択肢といえば、死を受容することだったが、まだ50歳になった
ばかりの彼にはそれは無理な相談だった。日誌の別の記述は病気の進行がだんだん早まってい
くことに対する彼の苦悩を見せつけている。「もう少し時間があればと思う。5年とは言わな
い――3年もなくてもいい――何もそこまで求めない。でもせめてあと1年あればと思う。あ
と1年、自分が生きていられるということがちゃんとわかりさえすれば」
スティーヴン・スペンダーの『日誌・1939-83』に触発されて、1988年の1月か
ら彼は日誌をつけはじめた。脳腫瘍の存在が明らかになったことによって、その3月にそれぱ
中断されたが、その後、別のノートを使って再開されることになった。しかし当面のところ我
々の関心は、ハートフォード大学(そこでレイは5月に文学博士号を受けることになっていた)
の卒業式のための小冊子に彼が書くことになっていた短いエッセイの下書ぎに向けられること
になった。
この時期の大半、私はチェーホフの短篇に夢中になっていて、エッコ・プレスから出ている
全集を次から次へと読みまくっていた。そして、彼が私の詩の本から引き出してエッセイの冒
頭にエピグラフとして使うことにしていた聖テレサの言葉(「言葉が行いを導くのだ……言葉
が魂に準備をさせ、用意を整わせ、それが優しさへと動かす」)の意味を際立たせるために、
『六号室』の中から二ヵ所の部分を私はレイに見せた。レイはこれらのチェーホフの一節を自
分の作品に組み入れたわけだが、結局これが始まりとなって、私たち二人は最後の最後まで寄
り添うことになるかけがえのない魂の同伴者を得ることになったし、また彼が本書を執筆する
上でもそれは重要な役割を果たすことになった。
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