(何の職業であっても)自分の中の問答の行き来が豊富になって、
自分の中にたまっていくことが、いちばん(大切)です。
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012
※ これは二度目の掲載となる。
イントロダクション
テス・ギャラガー
村上春樹 訳
私たちが二人とも『六号室』のこのふたつの情景にこれほど激しく引かれたのば、おそらくそれがレイの病
気のことで私たちがくぐり技けていた苦しい試練に直接結びついていたからだろう。それは二番目のパッセー
ジにおいてより明確である。そこでは二人の登場人物(不満を抱いている医師と、年長者の横柄な郵便局長)
がふとした成り行きで人の魂について討論することになる。
「じゃあ、あなたは人間の魂の不滅性を信じてはおられんわけですな?」
「信じてはおりませんとも、ミハイル・アヴェリヤーヌィチさん。そんなものを信じなくてはならない理
由もありませんからね」
「私もまあそれを疑わんではない」とミハイル・アヴェリヤーヌィチは認めた。「しかしこれでも、私は
心の底でふと感じるんですよ。私は決して死んでしまったりはしないのだとね。『おレ爺さん、もう死に
どぎだぞ』と誰かが言う。でも私は、自分の魂の中で小さな声がこう言うのが聞こえるんですな。『そん
なことを信じてはいけない。お前は死にはしないんだ』とね」
その一節を組みこむにあたって、レイは「行いとしてそこに残る言葉」の力を強調した。そこから「魂の中
の小さな声」が生まれてくるのだと。彼はチェーホフのこの短篇の中で「生について、死について、さまざま
な思いを放棄してしまっていた我々の姿勢が、見るからに脆くはあるけれど執拗な性質を持った信念に、思い
がけなくも突然、道を譲りわたす様」を目にして、ほとんど感謝に近い思いを抱いているように見受けられる。
私は私たち二人の生活にチェーホフを持ち込みつづけた。毎日朝いちばんに一篇の彼の小説を読み、朝食を
取りに下に降りていったときに、その話をレイにして聞かせた。私はできるだけその語り口に忠実に話をした
ので、レイは話にひきずりこまれないわけにはいかなかったし、結局午後には自分で本を開いて短篇を読む羽
目になった。そして夕方までには私たちはその短篇について討論ができるようになっていた。
レイが影響を受けたもうひとつの書物は、その年のはじめに彼が読んでいた、チェスワフ・ミウォシュの『
到達されざる大地』であり、それは彼自身の本にふさわしいフォームと広がりについての彼の考え方に影響を
与えはじめた。ミウォシュは彼が言うところの「より広い空間を持ったフォーム」のために、カサノヴァの『
回顧録』の散文を引用し、ボードレールやら、彼の叔父であるオスカル・ミウォシュやパスカルやゲーテやら、
その他彼が自分で詩を書いていく上で影響を受けた思想家や作家たちの書物から断片を引用し、編入した。
彼はまた告白やら、問いかけやら、自己洞察やらのかたちを取った内省的思索を、本の中に取り入れていた。
レイはそのようなミウォシュのアプローチの包括性にとても強く引かれていた。その他、レイがこの時期に読
んでいた本としては、ガルシア・ロルカ、ヤロスラフ・サイフェルト、トマス・トラソシュトレマー、ローウ
ェル、ミウォシュの『詩撰集』、トルストイの『イワソ・イリイチの死』の再読などがあげられる。これらの
中から彼は完全なかたちでの詩をいくつか選び出し、私たちは後口それらをこの本の各セクションの冒頭に置
くことにした。
しかし六月の初めに、肺の中に癌細胞が再び発見されたという悪夢のようなニュースが伝えられたとき、自
分たちの確固とした姿勢をたてなおすべく私たちがほとんど本能的に立ち戻った場所は、チェーホフだった。
ある夜、私は彼の短篇小説の自分でしるしをつけておいたいくつかのパッセージを読みかえしていて、それら
がまるで当時レイが書いていた詩に向かって直接に語りかけているように見えることを発見した。私はその詩
の書き直しを手伝い、それをコンピューターに清書する役をつとめていたのだ。ふとした衝動に駆られて、私
はタイプライターに向かい、それらの抜粋部分を適当に改行して詩のかたちにし、タイトルをつけてみた。私
がその結果をレイに見せたとき、我々はなんだかチェーホフの中に含まれていたもう一人のチェーホフを発見
したような気持ちになった。でも私は頭の中にレイの書きかけの詩を置いてそれらのパッセージを見ていたわ
けだから、むしろチェーホフの方が我々に向かってつかつかと歩み寄ってきたような感じもした。
彼はちゃんと自分の時代の中にとどまりながら、その一方で、まるで我々の同時代人と化してしまったみた
いだった。吹雪の中での猛烈な馬車レースやら、にしんの頭のスープやら、牡牛の目玉を材料にした料理やら、
野菜スープを作るためにカタバミを摘む料理人たちやら、酔っぱらいの親たちの汚らしい言葉を当たり前のも
のとして育っている百姓の子供たちやらの世界――こういった世界はレイモソド・カーヴァーの世界とうまく
馴染んでとけあった。城の中を見物してまわっている途中で首切り台の上に頭を置いてみて、連れの手刀を斧
がわりに首筋に受けてみる男とか、酔っぱらった父親がかなりいかがわしい目的で見知らぬ女と台所に二人で
いるところにばったり出くわす息子とか、ヘリコプターの金属ばさみで遥か樹上にまでつり上げられる溺死し
た子供とか、そういった人々が登場するレイモソド・カーヴァーの世界とだ。
ひとたびチェーホフの中に詩人を見出すと、レイは本に取り入れたいパッセージ(※文章の一節)を自分で
マークして、それを自分でタイプするようになった。その結果生まれたのは、いねば韻文と散文の中間に位置
するもので、これは我々をいたく喜ばせた。というのはレイの新しい詩のいくつかは、詩と短篇小説の境界線
をかなり不明確な ものにしていたからだった。彼の短篇小説がしばしば演劇の、あるいは詩のやり方からパ
ワーを獲得していたのとちょうど同じようにである。レイは彼の言語と思考のあいだの乖離を徹底して潰して
いったので、その結果生じた手法の透明性は、破壊的な感じや、場ちがいの領域に踏み込んでしまったような
違和然もなしに、各ジャンル間の区別を溶解させてしまうことになった。詩という形をとってはいても、物語
は、詩的に強調された「いかにも」という語法や言語の使用を避けることができたし、その結果として物語の
本来の力を損なうこ となく、のびやかに進行することができた。そしてまた、それは詩として構想されたこ
とによって、物語ではありながらいつもとは違った種類の読者の注意を喚起することができたのである。
この項つづく
【帝國のロングマーチ Ⅷ】
● 折々の読書 『China 2049』29
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
マイケル・ピルズベリー 著
野中香方子 訳
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マ
ラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十
年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容と
なっている。
【目次】
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第6章 中国のメッセージポリス
樹上開花-樹上に花を開す
『兵法三十六計』第二十九計
彼女は、中国政府がいかにして国民の政策への批判を日常的に監視(そして抹殺)しているかを教えてく
れた。特別なメッセージを考案する際にはタカ派とハト派の衝突がしばしば起きた、と彼女は言う。これは
ホワイトがもたらした情報と一致した。ホワイトによると、1980年代、タカ派が共産党の宣伝局を掌握
し、国内の聴衆に向けてアメリカをどれほど悪党として描くかをめぐってハト派と論争していたそうだ,彼
らは海外の大使や中国の諜報機関からフィードバック情報を集め、一種のフィードバック・ループの中でメ
ッセージを調整し直すようにしているという,
ミズ・リーによると、その作戦には120億ドルの年間予算が充てられ、党の常務委員会によって運営さ
れていた。メンバーは毎週、北京の密室で集まり、多くの時間を費やして、宣伝システムに流すメッセージ
を作成した,そのシステムには、中国の新聞、テレビ番組、海外で出版された雑誌、それに、中国のインタ
ーネットが含まれた。この作戦のもう一つの部門は、党の本部がある地区から道路を隔てたところを拠点と
する秘密組織で、1000人以ヒのスタッフが働いていた。そこは「統一戦線工作部」と呼ばれ、独自に情
報を収集し分析している。わたしは1999年にそこを訪れた。責任者はわたしに、当組織の関心は「国内」
問題にある、と言った。当時のわたしたちは、その裏の意味を理解していなかったが、中国の指導者が直接
管理するこの集団は、確実に「正しい」メッセージだけが、まずは国内へ、そして海外へと発信されるよう
にしようとしているのだ,このことは、中国のプロパガンダの多くが、中国人にはわかるが、外国人にはわ
からない奇妙な諺やスローガンを伴っている理由を説明するかもしれない。
このプログラムの成果としてミズ・リーがまず挙げたのは、中国とアメリカとの貿易正常化と、中国の世
界貿易機関(WTO)への正式加盟を決めた2000年の米議会投票への影響だった。いずれの決定も、中
国経済を大いに後押しした。この件に関して中国の戦略は、国内でも国外でも、中国に社会主義経済を放棄
するつもりはまったくないという情報を打ち消し、代わりに、中国のハト派の改革論者は自由市場への移行
を望んでおりそれが成功しそうだ、とほのめかすことだった。疑い深いアメリカ議会を味方に引き入れるに
は、どうしても必要な戦略だったのだろう。
彼女が示した次の例は、ダライ・ラマのチベット帰還を巡る交渉で、ピル・クリントン大統領が圧力をか
けようとするのを中国が回避したことだ。中国は、ダライ・ラマの政治的要求を誇張し、また、彼を「僧衣
をまとったジャッカル」と呼ぶことで、宗教的指導者ではなく政治家なのだというイメージを強め、別の人
間をチベットの指導者の地位に据えようとした(注14)。
三つ目の例として彼女は、中国の人権活動家や、亡命した元上級官僚へのアメリカの支援を、中国政府が
どのように妨害したかを詳しく語った。以上、三つの事例のうち、最も成功したのは、中国のWTO加盟を
決める投票の操作だった、と彼女は言った。
ミズ・リーの説明を聞いて、わたしたちは大いに驚いたが、アメリカ政府の内外には、中国がアメリカ議
会とホワイトハウスに手を伸ばしていることを疑う者もいた。しかし、上院議員のフレッド・トンプソンと
ジョン・グレンが率いた1996年の調査では、アメリカの政治プロセスに直接影響を及ぼそうとする中国
の試みが明らかになった。「ザ・プラン」と呼ばれるその計画では、アメリカの選挙資金法を無視して、中
国の現金が直接、親中派の選挙活動費に役人された(注15)。2000年3月、FBIとCIAによる、機
密扱いでない議会宛ての報告書には、北京は「世界の中国観を……監撹し、それに影響を及ぼしている」と
記されていた。その報告書によれば、中国は、「中国の利益に影響する国の動きと重要人物に関する情報」
を集めようとしており、「アメリカの諜報機関への潜入を重要な目標としている(注16)」。ミズ・リーに
よると、2000年までに中国は、アメリカの政治家への違法な選挙資金の提供をやめたそうだ。上院の調
査を受けてのことだ。しかし、アメリカの政治を操ることをあきらめたわけではなく、別の合法的な方法を
見つけたのである。中国のメディアやシンクタンクからワシントンにいる親中派に送られるメッセージを操
作し、好ましくない思想を排除したり、国を警戒させそうな情報を流さないようにしたりするやり方だ。ミ
ズ・リーの説明は、わたしたちが考えていたよりはるかに中国が有能であることを示していた,
ミズ・リーによると、中国は何年もかけて、自分たちに都合のいいメッセージを発信する程度に応じて、
外国の重要人物をさまざまなカテゴリに分類したそうだ。主要国の中国大使館は、これらの人々を追跡する
ための「友愛委員会」をつくり、主な政治家、財田t指導者、メディアで影響力のある人物を評価し、「友
好的」から「敵対的]までのランク付けをした。そして特に友好的な人物を中国の「親友一と呼んでいる。
アメリカの「親友」のリストには、多くの学者、政府官僚と元政府官僚、それに両政党の国家安全政策アド
バイザーが含まれている。
ウィリアムC・トリプレットニ世は上院外交委員会の前顧問で、中国に関する2冊の本を共著し、アメリ
カの親中派を表す「レッド・チーム」という新しい言葉をつくった,実際のところ、レッド・チームの大半
は、人民解放軍の共産党的本質を理解できていないか、あえてそれを無視しているかのどちらかだ。レッド・
チームに対抗するグループを、トリプレットは「ブルー・チーム」と名づけた。親中派とのイデオロギート
の戦いに巻き込まれた人々である。当然ながら、レッド・チームというレッテルを貼られた人々は憤慨し、
中国の傀儡であることを否定する。彼らは、中国政府は彼らにも、他の誰に対しても、嘘をついていないと
断言する。
注14. Chai Yuqiu,ed.,Moulue ku [A Storehouse of Deceptive Strategy ](Guangxi: Guangxi Renmin Chubanshe, 1995),
152
注15.Nick Mulvennev, “China to Meet Dalai Lama Aides amid Tibet Tension.” Reuters, April 25, 2008, 以下のサ
イトで入f可能。
http://mg.co.za/article/2008-04-25-china-to-meet-dalai-lama-aides-amid-tibet-tension.
注16 Brian Duffy and Bob Woodward, “FBI Warned 6 on Hill About China Money,” Wαshinton Post,March 9. 1997,
以下のサイトで人手可能。
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/politics/special/campfin/stories/cf030997.htm
この項つづく
【イタリアン野外料理: アサリとムール貝のトマト煮】
春になるとアサリは海水がぬるむと同時に、活発に活動を始めるので美味しくなる。殻が大きく重たいものを選び、
砂抜きは、海水と々温度、濃度の塩水(2~3%)漬す。あまり冷たいと殻が開けにくい。煮すぎると塩気が強く
なるので注意すること。火を通しても、殼の開かない貝は、無理に開けると砂がつまっていることがある。
● 材料(2人前):アサリ(殻付き)/400グラム、ムール貝/6個、白ワイン/50ミリリットル、トマト
ソース/百ミリリットル、赤唐辛子/1本、水/50ミリリットル、レモン/半分、オリーブオイル/大さじ
2杯、ニンニクなど香辛料は好みで
● 作り方:(1)フライパンにオリーヴオイルとつぶしたニンニク、赤唐辛子を入れ(A)、香りが出たら、アサ
リ、ムール貝、白ワインを加え(B)、蒸し煮する。(2) 白ワインが煮つまってきたら水を足す。アサリの
殼が開きはじめたら、煮汁の塩味を確かめ、もし濃いようなら水を少し足す。(3)トマトソースを加え(C)
レモンを絞り(D)、ひと煮立ちさせてから皿に盛る。
「トレッキングと修景」を掲載しはじめたので、イタリアン・アウトドアクッキングの掲載を再開させる。国立公
園内での火気は禁止、もしくは、指定以外での使用は厳禁なので要細心。材料は原則2人分とする。また、ゴミは
持ち帰りを原則とする。
Cole & Mason® Croft 6 Jar Herb & Spice Rack
あれから、しばらく、自家製のフェンネルシード・ローストパウダーの使い道を考えていたが、あるとき、口に
するものにすべて振りかけようと思いつき実践する。日本酒-これはお屠蘇であることに気付き、ビール-これ
は、似たもの同士でパットしない有意差なしに、ご飯以外の食事で口にする料理にはすべて振りかけるたが、す
べて効果ありであることがわかっる。面白いは、生ニンニクペーストにオリーブオイルを和え、そこにフェンネ
ルパウダーを加えると、ぎゅっと水飴状になることを発見する。理由?これから考えることにして、次に、テイ
ブルトップ・ハーブスパイス・ストッカーというかジャー物色し、英国はコール・エンド・メイソン社(願上写
真ダブクリック)に目をつけした。スパイス・ハーブの種類を増やしていき、時宜をみて取り寄せること決める
(この計画は彼女には内緒)。
大阪の海遊館では、絶滅のおそれがあり、人工孵化に取り組んでいたミナミイワトビペンギンのヒナが3羽かえ
った。人工授精によるヒナなら世界初の成功と期待されている。このサザン・ロックホッピング・ペンギンは、
4日~6日朝にかけて3羽かえり、8センチほどの大きさに成長。ミナミイワトビペンギンは国際自然保護連合
のレッドリストに指定されていて、海遊館では5年前から人工繁殖に取り組んできたす。今後DNA鑑定を行い、
もし、人工授精によるヒナとわかれば世界初。海遊館でミナミイワトビペンギンのヒナがかえるのは6年ぶりに
なる。へぇ~そうなんだ、知らなかった。これで、大阪の子供たちは大喜びだし、入場者数や観光客数もぐっと
増えるかも。
Madagascar Penguins Best and funniest Team work
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