A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

自由な音の記憶Vol.6:北(NORD)の導きで出会った阿部薫とスロッビング・グリッスル

2013年10月19日 00時19分42秒 | 書物について


『阿部薫写真集 OUT TO LUNCH』
写真 : 五海ゆうじ


伝説のアルトサックス奏者阿部薫没後35年、初の写真集が発売!

過激なサウンドと生き方で、70年代を駆け抜け、1978年、29歳で夭折した稀代のアルトサックス奏者、阿部薫。どこまでもスピードを追求し、他に類をみないサウンドで70年代日本フリーミュージック・シーンに強烈な傷跡を残した彼の、初の写真集『阿部薫写真集 OUT TO LUNCH』が2013年10月16日、没後35年にして、ついにベールを脱ぐ。初回限定装丁、和英並記、未発表写真多数収録。撮影は、日本のフリージャズシーンに伴走した写真家、五海ゆうじ。

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『INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE!!!: 雑音だらけのディスクガイド 511選』
持田 保 (著)


燃え尽きるより、サビつきたい!!!

世界初、ノイズ、インダストリアル専門ディスク・ガイド。
ノイズとマシン・ビートにまみれた厳選盤511枚。

「工場産業従事者のための工業産業音楽」
スロッビング・グリッスルのデビュー作のジャケットに記載されたこのスローガンにより誕生したといわれる
「インダストリアル・ミュージック」。
ポスト・パンクやニュー・ウェイヴの流れの中でも「反音楽」「脱個性」「悪趣味」で一際異彩を放っていたこのジャンルですが、
その(反)音楽性の幅広さ、アーティストの過度なマイナー志向による作品アーカイヴの難しさなどから、
今まで所謂「ディスクガイド」が出版されたことはありませんでした。本書はそこに一石を投じるものです。
入手が容易な作品も、ほぼ入手が不可能な作品も並列に紹介し、
底なしともいえる「インダストリアル・ミュージック」の世界をわかりやすく整理、カタログ化しています。
また、コラムではインダストリアル・ミュージックのトリビアを多数紹介。
著者は長年ディスクユニオンでノイズ/アヴァンギャルドの名物バイヤーとして活躍した持田保氏。
氏の面白すぎる筆致が、本書を単なるディスクガイドとは違う「読んで楽しいインダストリアル/ノイズの本」にしています。

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期を同じくして人間存在の核心に迫るふたつのテーマを持った書籍が出版された。どちらもざっと目を通しただけで詳細なレビューはできないので、個人的な経験を綴るにとどめよう。

 

フリージャズとノイズの体験はほぼ同じ時期だった。大学に入り通い始めたジャズ喫茶とライヴハウス。ジャズ喫茶でアイラーやオーネットをリクエストしてシカとされながら貪り読んだ一昔前のジャズ雑誌でフリージャズの勉強をし、中途半端な知識を頼りにライヴハウスでサックスを吹きまくった。知り合った同好の士と組んだバンドでフリージャズとノイズのアマルガムを目指した。正確には当時は「ノイズ」という音楽カテゴリーはまだなかったので、「インプロ」と呼ぶべきかもしれない。拠点にしていた吉祥寺ぎゃていのカウンターに10数枚レコードが立てかけてあり、その中に阿部薫・吉沢元治デュオ『北・NORD』というLPがあった。阿部の名前だけは知っていたが音を聴いたことがなく、先に聴いて影響を受けていたピナコテカのNORD『NORD』の元ネタ(ほんとのルーツはセリーヌの小説)でもあり、面白いと借りて帰ったのが最初だと思う。最初の一音で身体中を電撃が走った、というのは嘘で、実はあまり印象がない。なるほどこれが伝説のサックス奏者か、とは思ったが、プレイ自体はその頃テレビタレントとして人気があった坂田明のほうが派手で面白いと思った。



90年代に映画『エンドレスワルツ』で再評価され、鈴木いづみとの壮絶な生き様はシド&ナンシーの日本版としてカルト的な人気を集める。大量の未発表音源を含めCDがリリースされ入手が容易になった。映像も動画サイトで観ることができる。しかし裸のラリーズと同様に、どんなに記録物(音源・動画・写真)があっても根源的な本質は明らかではない。実際に体験しないとわからない、とよく言われるが、実際に阿部を観た人でも「観たのは確かだがよく覚えていない」という証言が少なくない。大音量で空気を塗りつぶすラリーズとは異なり、阿部の身体的小宇宙の情念のわだかまりを吐き出す演奏は、意識レベルが通じ合う少数の人間にしか共有できなかったに違いない。もしくはロックとジャズの違いに過ぎないのか? 阿部を感じるためには聴き手の想像力が試されるのかもしれない。この写真集はLSDと同様にイマジネーション拡張の手引となるだろう。






同じく『北(NORD)』が導いたノイズ/インダストリアルは、80年代当時は「聴く」よりも「演る」ことが圧倒的に多かった。オリジネーターとされるスロッビング・グリッスルは評判の割には退屈で見かけ倒しだと思ったし、輸入盤割引コーナーの主ホワイトハウスはジャケットからして粗悪品っぽくて避けていた。サブカル誌を毎号飾ったハナタラシの物騒なライヴには嫌悪感しか覚えず、本当に足を切断して死んじまえばいいと思った。当時はレジデンツの幼児にも判る諧謔性と、灰野敬二の孤独な暗黒と、19(JUKE)の革新(確信・核心)的即物性と、非常階段の出口のない混沌以外は必要なかった。



90年代に耽溺したサイケ・レア盤蒐集の旅の果てに辿り着いた21世紀頭のノルウェー・オスロのレコード市。欧州ジャズとユーロプログレの宝庫が並ぶ中、パンク/ニューウェイヴ・ブースで掘ったレコ10数枚の値段は五桁半ばの高値。そんなにレア盤はないはずと確認すると、馴染みの殺人鬼ジャケが数万円とのこと。かつて3枚1000円でも売れなかったレコが激レアとは!それがきっかけで愛好家根性に火が付き、久しく触れなかった80'sを探す日々に突入。『ノイズ・ウォー』と『電子雑音』を頼りにノイズ・アヴァンギャルド・セールに朝から並び争奪戦に参戦。90年代ノイズバブルの名残で未だ値段は高かったが、数万円のブツも躊躇いなく購入。ネット・オークションで入札合戦に熱が入り過ぎて市場価格の何倍の値段に吊り上り何度か後悔したが、落札できず悔しい思いをした回数のほうが多い。



数年前に熱は冷めたが、こうして一冊のガイドブックを手にすると喩えようのない感慨に浸る。有名どころは勿論、B級C級含め体系的に総括した書籍は嬉しい。ざっと読んだところでは著者の主観と思い入れが強い文章に好感が持てる。何よりも持田自身がリアル・インダストリアル・ワーカーであることが本書の説得力を高めている。この本を頼りにレコ屋やオークションでプレミア盤を買いまくり、経済的危機に陥りインダストリアル・ワーカー化する若者が現れるかもしれない。それはそれでノイジーで善き哉。




★参考ブログ記事
・自由な音の記憶:フリージャズの復習~基本のキのオリジネーターたち⇒コチラ
・自由な音の記憶 Vol.4:工業人間のための工業音楽~インダストリアル・ミュージックのおさらい⇒コチラ

若者よ
過去の遺産に
最敬礼

アーカイヴ化の波はこの先どこへ向かうのだろう。
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山崎春美『天國のをりものが』出版記念トークショー @渋谷UPLINK FACTORY 2013.8.28(wed)

2013年08月30日 00時59分23秒 | 書物について

(写真の撮影・掲載については主催者の許可を得ています。以下同)

山崎春美の覆水盆に返らず
祝・単行本初出版!!!『天國のをりものが』

出演:山崎春美、野々村文宏、ECD
司会:畠中実(ICC)

70年代後半、彗星のように現れた天才、山崎春美。阿木譲の『ロック・マガジン』でデビュー、松岡正剛の「工作舎」へ入塾、吉祥寺マイナー、伝説のバンド「ガセネタ」と「タコ」、自販機本『JAM』『HEAVEN』、山口百恵ゴミ漁り?、1stアルバムが同和問題で自主回収、自殺未遂ライヴ、天国注射の昼、鈴木いづみとのベッド・イン・インタビューなど……数々の《事件》を起こし、禍々しい煌めきでカルチャー・シーンに火を放った。その《伝説の人物》が、2013年夏、55歳を目前に、これまで書き紡がれた原稿を自選した集大成本『天國のをりものが』(河出書房新社)を、満を持して出版。70年代後半の劇団時代を共にしたECDと、80年代『HEAVEN』編集部を共にした野々村文宏を迎えて、過去の《言い訳》に終始する一夜!



竹田賢一に続き、80年代サブカルチャーのトレンドセッター、山崎春美の著作集が出版された。ここ数年過去音源や音楽活動再開により、パフォーマー/(非)ミュージシャンの面がクローズアップされてきたが、実際の山崎の影響力はむしろ秀逸なライター兼編集者という部分が大きかった。初めて彼の文章に触れたのがいつどこだったか覚えていないが、「宝島」「Fool’s Mate」等のサブカル誌で数多くの文章を読んだはずだ。山崎がメインで参加し編集長も務めた「Jam」「HEAVEN」は読んだことはないと思うが、名前だけは他誌や他ライターの文中に度々登場したので馴染みがある。タイトルの”天國”とは”HEAVEN”を意味し、昔馴染みのデザイナー羽良多平吉により「HEAVEN」 創刊号と同じ写真をあしらった装丁で、当時の空気をヴィヴィッドに伝えている。読み進むうちに、多感な頃の自分を追体験するような気持ちに捕らわれた。すっかり忘れていた同級生の顔を思い出すように拡がる記憶のパノラマ。はっきり言って饒舌な文章の大部分は空虚なロジックと無(非)意味なレトリックの垂れ流しだが、(非)芸術的な美意識に貫かれた流麗な文体が読む者の心を捉えて離さない。マインドコントロールに似た魔性の罠である。30余年前に山崎の罠に心惑わされた者が如何に多いことか。

天國のをりものが:山崎春美著作集1976-2013』発刊を祝って幾つかのイベントが開催される。この日は『HEAVEN』時代の編集パートナー、野々村文宏と当時から付き合いの深いラッパーのECDとのトークショー。アップリンクは予約で満員になる盛況ぶりだったが、JOJO広重のイベントとは異なり、90%男性で年配者の多い客層。騙されても欺かれても教祖に忠誠を誓う信者の群れの如し。かく言う私も亡者のひとり。かつての盟友の晴れ舞台を祝うため、伊藤桂司、近藤十四郎、羽良多平吉等編集・デザイン・出版繋がりの猛者も顔を揃える。



30年以上も昔の記憶を辿ると往々にして忘却の罠に陥りがちだが、三人共に驚くほど鮮明な記憶力を備えている。文章や言葉を生業とする者は、そうじゃない者より頭脳の箪笥が整理されているらしい。ECDは別として、メインふたりと進行役の畠中実は「活字の人」という印象を受けた。音楽・美術人に比べ事実関係やディテールへの拘りが強い。ガセネタやタコに於ける機関銃のような歌の迸りは、活字の行間に生きる男の性だろう。空白を埋めることへの強迫観念が無(非)意味な言葉の羅列を産み、痙攣・自虐パフォーマンスはパトスを言葉に出来ないもどかしさから生まれたのかもしれない。被害者妄想にも似た自嘲癖と露悪趣味。それが輝やいて見えた時代の空気。自ら好んで巻き込まれたメディアの寵児たち。自販機本を舞台にした表現の自由がカオスを助長した。



面白かったのは、一蓮托生に見える吉祥寺マイナー周辺人脈に派閥?があったという事実。左に白石民夫&工藤冬里(うごめく)、右に灰野敬二&ガセネタ(けはい)、どこでもないところに光束夜=金子寿徳&ミック&成田宗弘(きず)。三者が協働したしたのがマイナーのキャッチフレーズ「うごめく・けはい・きず」。






地下文化
自販機文化
携帯文化

『天國のをりものが』が主に俯瞰するのは1976~1983年。その時代を生きた者は勿論、間に合わなかった者にとっても、カオスを求め自浄(嘲)に突き進んだ時代の意思の極端な表層を追体験し追試することが、同じくカオスの時代を生きる我々の道標になるかもしれない。
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【推薦図書】目から鱗の「思想としてのロック」論~林浩平『ブリティッシュ・ロック 思想・魂・哲学』

2013年08月24日 00時33分57秒 | 書物について


講談社選書メチエ
ブリティッシュ・ロック
思想・魂・哲学

著者: 林浩平

発行年月日:2013/08/10
定価(税込):1,680円

TO BE A ROCK AND NOT TO ROLL
絶対のエイトビートが魂を解放する!!
ビートルズに始まる「イギリスの侵略」から半世紀──。世界中を熱狂させ、若者の「生の哲学」となったブリティッシュ・ロック。その誕生からの歴史をたどり、未来をさぐる。鼓動するドラムとベース、咆哮するエレキギター、絶叫のヴォーカルが、呼び起こす「ディオニュソス的陶酔」!
ニーチェ、ハイデッガー、アガンベンの哲学が提示する、もっと音楽を愉しむための、思想としてのブリティッシュ・ロック。
ハイデッガーの実存の「開け」の概念とロック。「新たな霊性を啓くメディア」としてのロック。テクノロジーとロックの関係、新たな芸術ジャンルとしてのロックなど、思想の側からロックという「現象」を深く読み解く未曾有の論考。
講談社BOOK倶楽部ホームページより)


著者の林浩平は1954年生まれの詩人、文芸評論家、日本文学研究者。3冊の詩集、数冊の文学に関する評論・エッセイを著す一方、学生時代ロックに耽溺し、今でも時折バンド活動を行う音楽好きが高じて、2011年に『ロック天狗連 東京大学ブリティッシュロック研究会と七〇年代ロックの展開について知っている二、三の事柄』という書籍を共同編著。ポスト学園紛争時代の日本において、ロックが如何にして受容されたか描いたエッセイと評論は、あまたある「プロの」評論家や作家による70年代ロック論とは全く違う大多数の「素人」の視点から書かれた日本のロック誕生物語は実に新鮮だった。



自らのロック史を綴るだけでは林のロック衝動は収まらなかったに違いない。2年後に単独執筆によるロック評論を著した。「ロック」「思想」「魂」「哲学」と並ぶと、頭でっかちな学者が知ったかぶりをして書いた胡散臭い社会文化論を連想しがちだがとんでもない。ここに描かれたのはロックを心から愛する筆者による魂の籠ったロック論なのである。最近の音楽メディアについては詳しくないが、70年代の音楽評論において思想論や状況論は欠かせないテーマだった。中村とうよう(ニューミュージックマガジン)、渋谷陽一・松村雄策(ロッキング・オン)、森脇美喜夫・鳥井賀句(ZOO)、北村昌士・秋田昌美(Fool’s Mate)、阿木譲(Rock Magazine)等の論客がそれぞれのメディアで独特のロック論を展開した。読者やリスナーも同様にロック喫茶やロックバーで薀蓄交じりのロック論争を毎晩のように繰り広げていた。ロックは他のどの娯楽・芸術に比べても格段に主観的な思い入れが大きい。ロックを愛することは、考え方や生き方に大きな影響を及ぼし、人生を左右するほど強力な体験だった。

林にとって、ロックとはブリティッシュ・ロックであり、エイトビートである。そしてロックは80年代にサブカルチャー化することで創造力を失った。そう断言し自らの立場を明確にしていることこそ、この書籍が嘘偽りなきロック評論であることを証明している。職業ライターとは違い、真摯なロックファンにとっては、音楽的知識や正確性などより、自ら信じるロックへの想いを自らの立場で語ることこそ「ロック」なあり方であることは間違いない。林が書いているように「ロックを語ることは、語るものに取ってまさに一種の『自己表出』」であるわけだ。そして自分の持つあらゆる知識を総動員してロック論を展開することこそ、真のロック・ラヴァーにとっての至上の歓びである。それは私がブログを書き続ける大きな動機でもある。

ロックを哲学思想、神秘思想、現代美術などで解析する方法論は、まさに私がロックやアイドルを革命思想や精神分析や童話等に結び付ける発想と同質である。ただし私の分析が思いつきの付刃に過ぎないのに比べ、林の論評にはしっかりした学術的裏付けがあるので、説得力には雲泥の差がある。
【参考】「きゃりーぱみゅぱみゅは曼荼羅である」はコチラ



生涯の半分以上の年月ロックを聴き続けて、最近やたらと聴きたくなるのが70年代プログレやハード・ロック、それもかつて好んだB級未満のレアものではなく、赤面するほどの王道、いわば基本のキであることに我ながら戸惑っている。学生時代に散々コピーしたキング・クリムゾンやジェネシスではなく、当時はテクニカルに過ぎるとして聴こうともしなかったイエスやEL&P、またパープリンと呼び蔑視していたレッド・ツェッペリンやディープ・パープルのレコードをターンテーブルに乗せてしまう自分がいる。15歳で衝撃を受けたパンク/ニューウェイヴは今聴くと野暮ったく時代遅れの印象だが、それ以前のオールドウェイヴは逆に時代を超越したエヴァーグリーンな魅力があるように感じる。これは一体どうしたことか?オールドウェイヴは打破するべき体制側の商業音楽ではなかったか?

その疑問が林のロック論で一気に解決した。ロックが最も本質的な存在として君臨したのは、ニューウェイヴにより商業化する80年代以前の1970年代の10年間に集約される。その時代にロックの王道であるイギリスから登場したハード・ロックとプログレッシヴ・ロックこそが究極のロック表現なのだ。70年代ロックの堂々たるエレキギターの爆音とドラムの暴力的なエイトビート、そして中心に屹立するヴォーカリストの「声」のキメ。それが揃ってこそロックの最高峰に到達し得たのである。そのことを証明するのがニーチェの「音楽の魂」であり、ショーペンハウアーの「意志」であり、ハイデッガーの「開かれ」であり、萩原朔太郎の「月に吠える」なのである。嘘だと思ったら、ぜひともこの革命的なロック論をお読みいただきたい。目から鱗、この本を読むこと自体が「開かれ」に違いない。



JOJO広重が『非常階段ファイル』で繰り返し70年代ハードロックやプログレへの愛着を語っているが、それを学問的に、しかも超マニアックに解析しているのがこの本である。マル非をはじめとする地下音楽ファンにもおススメである。

密林での購入はコチラ
林浩平ブログ「饒舌三昧」はコチラ

ロック論
語ってみたら
好きになる

なぜアメリカがロックの本拠地ではないのか?林が言うようにアメリカは「ロックの怪物的な消費国であっても、ロックをジャンルを創造し展開した国ではない」のである。そのことは先ほど出版された『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』に描かれたプラスチックスの全米ツアーの記述を読めば明らかだ。ニューヨーク以外のアメリカにはロック文化は存在しないことが良く分かる。中西俊夫のギョーカイ口調で書かれたこの本も、昭和末期オルタナ文化のドキュメントとして貴重である。





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一生ノイズ人生の極意は「なんとかなる、どうにかなる」~JOJO広重『非常階段ファイル』

2013年08月23日 00時43分20秒 | 書物について


■書名:非常階段ファイル
■著者:JOJO広重
■出版社:K&Bパブリッシャーズ
■価格:3,000円+税

"キング・オブ・ノイズ"と称され、関西音楽シーン・日本ノイズシーンでその名を知らないものはいない伝説のバンド「非常階段」。
その音楽性と同時に多彩なコラボでも知られる「非常階段」のコラボレーションの歴史を一冊にまとめた書籍が8月12日に発売する運びとなりました。2010年に発売された「非常階段 A STORY OF THE KING OF NOISE」を非常階段の正史のドキュメンタリーとすると、こちらは非常階段のサイドストーリーともいえる内容です。古くは80年代の「スター階段」「原爆階段」から近年話題になっている「もんじゅ君階段」「初音階段」「BiS階段」まで。14に及ぶ非常階段のコラボの背景がJOJO広重氏本人により、克明に描かれております。
12のコラボレーション企画のライブ映像を収めたDVDも付属。約60分、貴重映像多数で非常階段コラボの歴史を一挙に振り返ることができます。
30年に渡る非常階段コラボの歴史をまとめてどうぞ。
K&Bパブリッシャーズホームページより)

収録コラボ企画一覧(括弧内は共演者名)
スター階段(スターリン)・原爆階段(原爆オナニーズ)・S.O.B.階段(S.O.B)・サバート階段(SUBVERT BLAZE)・とうめい階段(とうめいロボ)・ACID MOTHER階段(ACID MOTHERS TEMPLE)・原爆スター階段(原爆オナニーズ&スターリン)・Jazz非常階段(坂田明&豊住芳三郎)・もんじゅ君階段(もんじゅ君)・BiS階段(BiS)・POWER階段(POWER EMPIRE)・3階33段(3月33日)・初音階段(初音ミク)・頭脳階段(頭脳警察)



思いがけない非常階段本第2弾。表紙にBiS階段ミッチェルの写真を使って研究員に売り込むあざとさは流石商売人のJOJO広重だが、この本を読んで実感するのは、広重が昭和末期の地下カオスカルチャー出身者にしては、誠に理路整然とした思考回路の持ち主である、ということ。わけの分からないこと、人に嫌われること、自分自身であること、を実践した30年以上の活動の原動力のひとつが、「成り行き任せ」だったという真相暴露本。それがトラップでもスクープでもないことは、広重の真っすぐな語り口に明らかだ。騙されるな、との声もあるだろうが、上告されたとはいえ、第2審で無罪を勝ち取った男を信じてみてもいいじゃないか。

それぞれのユニットがどのように企画され実現に至り、その結果何を得たのか、広重が事細かに語り尽くす。嬉しいのは、登場するコラボ企画の半数を自分自身で体験し、ブログでレポートしていること。ひとりの観客の感想を、企画者・演奏者である広重の述懐と対比出来て面白い。広重の意図がかなりの部分聴き手に伝わっていることが分かるだろう。

●ACID MOTHERS階段⇒コチラ


●原爆スター階段⇒コチラ


●JAZZ非常階段:2012.4.9⇒コチラ / 2012.9.23⇒コチラ / 2013.4.6⇒コチラ


●BiS階段:2012.11.18⇒コチラ / 2013.8.7⇒コチラ / 解析⇒コチラ


●初音階段:2013.2.2⇒コチラ / 2013.6.8⇒コチラ


情報伝達のスピードが速くなる一方の現代社会において、過去の記憶をアーカイヴすることは非常に重要である。SNSの情報は長くても24時間で消滅してしまう。目まぐるしく移り変わるトレンドを追うだけではなく、残すべきものはTLから救い出してアーカイヴしなければならない。そういう意味で非常階段の2冊の書籍は意義深い。当ブログの存在意義の一端もその点にあると言えないだろうか?

UK音楽誌「WIRE」記事
"BiS階段のノイズとJ-POPアイドルの激突は、天国のショットガン・ウェディングである"


ロック愛
溢れる本を
頷いて読む

JOJO広重が白波多カミンに伝授したノイズ処世術は「なんとかなる」と「どうにかなる」、しかし最後のひとつを忘れた。やはりアーカイヴしとかないとアカンね。
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竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』刊行記念トーク&ライヴ@渋谷Last Waltz 2013.8.4(sun)

2013年08月06日 00時15分54秒 | 書物について


竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』刊行記念トーク&ライヴ

アンダーグラウンド音楽シーンに絶大な影響を与えてきた稀有なイデオローグ/オルガナイザー、竹田賢一待望の初評論集『地表に蠢く音楽ども』(月曜社)を記念したトーク&ライヴ!!!!!!!!

【出演】竹田賢一、平井玄、中原昌也、チヨズ

竹田賢一の名前を知ったのはいつだっただろうか。70年代末に吉祥寺のライヴハウスやレコード屋に出入りしていた頃に目にしたチラシかもしれないし、ピナコテカレコードからリリースされたLP『愛欲人民十時劇場』かもしれないし「Fool's Mate」や「Marquee Moon」といった雑誌や「Player」誌の連載「Pipco's」の記事中かもしれない。いずれにせよ、最初の認識では竹田は大正琴奏者だった。音程を無視した耳に突き刺さるハイピッチな音色は、白石民夫のサックスのフリークトーンや灰野敬二の轟音ギターと喘ぎ声や山崎春美の痙攣パフォーマンスと共に、当時の地下音楽の代名詞だった。1983年のA-MusikのデビューLPの解説書に竹田が書いたライナー/プロパガンダを読んで、彼が優れた著作家・思想家であることを知った。当時吉祥寺や高円寺界隈のライヴハウスやレコード店やカフェで配られたミニコミやフリーペーパーには、佐藤隆史、山崎春美、工藤冬里、科伏(T.坂口)、荒俣宏、霜田誠二、八木康夫、大里俊晴などと並んで竹田の名前があった。概ね虚偽妄言ばかりの文章の掃き溜めの中に、ただひとり竹田だけは(晦渋な漢字熟語を気にしなければ)極めて理路整然とした論考を綴っていた。ジャズやインプロやプログレに関する博学ぶりを惜しみなく開示しつつ、80年代の音楽状況論を現場から語る竹田は、濃い顎髭と鋭い眼光が相まって、マイナー音楽の守護神的な存在感があった。

竹田が1975年~1990年にかけて雑誌やレコード解説などに発表した60編余りの評論が『地表に蠢く音楽ども』として500ページの書籍にまとめられた。鞄に入れて通勤途中で読むには些か重過ぎる。取り上げられた音楽とレコードは昭和末期を彩る先鋭的な作品ばかりで、当時の自覚的な音楽リスナーにとっては、他の誰よりも音楽聴取の手引きになったと言われることも多い。まさに80年代地下音楽の旅先案内人だったことが判る。出版を記念したトークイベントが渋谷Last Waltzで開催された。前夜のライヴイベントに比べて驚く程の動員で満席。Last Waltzのオーナーも参ったという顔をしていた。

●チヨズ


トークが先と思っていたら、第五列のGESOこと藤本和男率いるチヨズの演奏から始まった。基本的には歌謡曲やテレビ主題歌を即興演奏でカバーするバンド。非在主義者の空想的連合体の第五列からの派生ユニットなので、似てるとか上手いという基準は無意味。ヘタウマとも破壊とも異なる、カバーでもオマージュでもない曰く言い難い演奏は、80年代の混沌を現代に継承している。後半ゲストに竹田を迎えて非力オーラ全開の演奏を聴かせた。



●トーク:平井玄+竹田賢一+中原昌也


思想系・音楽文化論系フリーターを自称する評論家、平井玄と90年代以降のサブカルを代表する音楽家・著作家、中原昌也とのトーク。7-80年代竹田と平井は共闘し、時代を先取りする文化論を展開した。その頃の想い出から、現代に至る竹田の歩みを語る。決して話術巧みではない竹田の一言一言考えながらの朴訥とした語り口は、大正琴という不器用な楽器同様の独特のテンポ感を持つ。中原の毎度の下げトークと相まって、放送事故ギリギリのスリリングな時間を産み出した。

●竹田賢一+中原昌也/竹田賢一SOLO


中原の演奏を聴けるとは予期していなかったので嬉しい驚き。2,3年前からライヴを辞めたい、と言っている中原は、毎年6月4日の誕生日には六本木スーデラで「お誕生会」を開催し、ミュージシャン仲間と共に演奏を繰り広げる。床屋で勝手に切られたという短髪姿は15歳若返ったかのよう。機材をかなり売り払ってしまい、福岡から帰ったばかりで寝不足だと言うが、久々に観る演奏は感慨深い。機材が減っても豊富なアイデアを音像化する才能は変わっていない。初共演のふたりのセッションは、ジャンクなエレクトロノイズの渦を切り裂く大正琴が見事な親和性を見せた。



20分の中原との共演に続き竹田のソロ。キーンという高音が耳に刺さる感覚は、1980年に初めて演奏を聴いた時そのままだった。当時学生運動的なイベントで大音量で演奏し、余りの騒音に警察沙汰になりかけたという逸話もある。



大著『地表に蠢く音楽ども』は是非とも購入し、ゆっくりと読み解いていただきたい。
密林での購入はコチラ

地表へと
蠢き出した
幼虫の危機

山崎春美の著作集『天國のをりものが』が8月末刊行予定。
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アヴァンギャルド革命のドキュメント~「世界フリージャズ記」

2013年06月12日 00時22分26秒 | 書物について


副島輝人 世界フリージャズ記

前衛ジャズ/即興音楽の昨日、今日、明日
アフロ・アメリカンの先鋭な表現として産み出された「フリージャズ」は世界各地に飛び火し、いかなる変容と発展を遂げたのか。激動の現代史のもとでラディカルな表現を追い求めるミュージシャンたちに肉迫し、ヨーロッパ辺境からアジアまで世界の革新的ジャズシーンを先取りしつづける著者渾身のドキュメント。

2002年に「日本フリージャズ史」を著し、それまで語られることの少なかった日本の前衛ジャズ/即興音楽の詳細にして克明な歴史を詳らかにした評論家・プロデューサー副島輝人の最新刊。今回は世界が舞台だが日本のフリージャズ運動に関わるうちに興味に駆られ独自にヨーロッパのフェスティヴァルに乗り込んで行った著者だけに、伝聞や記録に頼った評論とはまったく質の違う生々しさと真実味に溢れたドキュメントになっている。


冒頭で紹介されるのはエヴァン・パーカーのマルチフォニック奏法、マルチ・リードの巨星アンソニー・ブラクストン、二つの対照的なジャズサキソフォン・カルテット、音楽解体者ジョン・ゾーン。このラインナップを見ただけで尋常なジャズ論ではないことは一目瞭然。判りやすく言えば、ロック・ギター教本で最初にジミヘンのギターの燃やし方とピート・タウンゼンドの風車奏法とリッチー・ブラックモアのギター破壊法を解説するようなもの。82歳の著者は今でもジャズの改革と解体に強い関心を寄せている。一生非常階段ならぬ一生前衛主義者に他ならない。

「日本フリージャズ史」と本書を読めば、著者の行動の根本動因が未知のものへの興味と探究心であることが判る。日本のニュージャズの胎動に突き動かされ「ニュージャズ・ホール」を開設・運営し、「フリージャズ大祭」等のイベントを企画。同時に海外シーンを探るためにメールス・ジャズ祭をはじめ様々な現場を訪れ、日本にいては知り得ない生の息吹を身体で感じてきた。そこで得たミュージシャンやプロデューサー等との繋がりが日本と海外の太いネットワークに育つ。R.I.O.&レコメンがロック・シーンに産み出したのと同じ、自主・独立・自由なコミュニケーションの場を即興の世界で創造してきたのである。方法論の革命~ヨーロッパ、ロシアのムーヴメント~昨年までの現場体験による即興音楽の現在へと著者の冒険は広がる。

21世紀も10年を過ぎ、国境は勿論、ジャンルを隔てる障壁も完全に消え失せた。混沌・カオスこそテン年代以降の創造力の源泉である。そんな時代に前衛音楽の現在を克明に描いたドキュメントが登場したことは啓示的である。存在自体がカオスを目指すアヴァンギャルドが現代カルチャーにとって欠かせない要素であることは確かだし、混沌という革命を経てこそ人類が大きく進化する可能性があることは間違いない。いわば本書は新世代への黙示録なのである。

●Evan Parker



●John Zorn's Naked City



●Cecil Taylor



時代の亀裂
けものたちは
前衛へ向かう

間違いなく世界はアヴァンギャルドへ傾斜している。
「恋と革命とアーバンギャルド」





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デレク・ベイリー理論によって描かれた絵本~デヴィッド・ケファー「キノコ人間の物語」(未翻訳)

2012年12月25日 01時17分45秒 | 書物について




単行本「捧げる 灰野敬二の世界」のディスコグラフィ・活動記録の重要な情報源にしたアメリカの灰野敬二サイトAn Unofficial Keiji Haino Websiteの管理人デヴィッド・ケファーから航空便が届いた。デヴィッドは灰野本に掲載のヒグチヒケイコ「愛・魔術・勇気 世界から見たKeiji Haino」に4ページに亘る寄稿文を寄せている。彼がサイトを始めたのは1995年12月。当時はミネソタ大学の学生だったため「アメリカの学生による灰野サイト」と紹介されずっと学生の姿をイメージしていたのだが、当然とっくに卒業・就職して家庭を持っている。化学博士号を持ち現在テネシー大学で教鞭を取ると共に文学を学び数々の小説や詩集を執筆している。前衛音楽への探求も怠らず、講師として音楽クラスも開講している。

▼講義「非イディオマティック・インプロヴィゼーションの黄金期」紹介ビデオ



前衛音楽をお子様向けに描いた秀逸な動画も制作している。

▼デレク・ベイリー&灰野敬二



▼ハンス・ライヒェル



灰野さん関連資料でも送ってきたかと思ったら絵本だった。彼が主宰する出版社The Poison Pie Publishing Houseの発行である。「Tales of the Mushroom People(キノコ人間の物語)」「Tales of the Mushroom People II:Call of Cthulhushroom(キノコ人間の物語2:クトゥルフダケの呼び声)」の2冊。作者クレジットはケファー・ファミリーとなっている。デヴィッドと奥さんと二人のお子さんの共作である。ビデオに登場する指人形のキノコ人間キャラクターが第1巻では韓国、第2巻ではテネシーの風景の中で活躍するストーリーで平易な英語で読み易いし英語が判らなくても写真だけでも楽しめる。

▼紹介ビデオ。出演は彼の実の息子さん



デヴィッドの最新作は「The Sutra of Reverse Possession: A Novel of Non-Idiomatic Improvisation(所有逆転の教典:非イディオマティック・インプロヴィゼーション小説)」。簡単に記せば人生の意味を探す主人公が様々な体験を経て悟りに接近するというストーリーで、主人公の冒険の即興的展開と共に、ストーリー案を用意せず筆の向くまま書き連ねるという執筆方法にも非イディオマティックな即興性を取り入れたという。デレク・ベイリーの著書「インプロヴィゼーション」で論じられる非イディオマティック・インプロヴィゼーションの難解な概念を判り易く噛み砕いた画期的小説である。

The Poison Pie Publishing Houseの作品のいくつかはamazonでキンドル版が購入できる。キノコ人間の絵本はないがPoison Pie Publishing House Shopで電子版が無料閲覧可能、YouTubeにも音声付き動画あり。

キノコ=ジョン・ケージ
キノコ=マリアンヌ東雲
キノコ=灰野敬二?

どこかの出版社が日本語版を出してくれないだろうか? 
加藤さん、如何ですか?
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ネコとロックの融合~CDジャーナル・ムック「ねこみみ~猫と音楽~」

2012年10月16日 00時24分46秒 | 書物について


<猫軸と音楽軸が交わる視点から見える幸せ…>

まさにこのブログのために出版されたようなムックを発見!書店で目にした時は「ありがちな猫ジャケ写真集だろう」と思いつつ中を見ると「ス、スゴい!」と思わずため息。「新感覚猫音楽書の決定版!」と帯に書いてあるが全くその通り。ここまで"猫目線"で音楽との関係を追求した書物は今までなかった。昨日レポしたイベントに引き続き"ネコとロックの融合"というこのブログのもうひとつの命題に応えた本だといえる。

初めて「ネコ動画」をブログに掲載したのは2010年7月7日である。父が他界する10日前。「可愛い子猫ちゃん」というタイトルでたまたま見つけた子猫の動画を貼った記事。告白すると私は特にネコ好きという訳ではなかった。イヌ派かネコ派かと訊かれればネコの方が好きと答えるが、ネコを飼ったことも飼いたいと思ったこともない。他にブログネタがなかったので適当にありモノを載せただけだった。最近はFacebookでもネコネタばかり投稿しているので相当なネコマニアだと思われているかもしれないが、ネコに興味を持ってからまだ2年しか経っていない。

ネットニュースやYouTubeの人気動画を追っていくと「ネコネタ」がとても多いことに気がつき、思わず首を傾げたくなるネコの微妙な表情や不可解な仕草に興味を持つようになる。灰野さんや洋輔さんがネコ好きだと知り、音楽とネコの間に何か深い関係があるように思い始めた。この謎に満ちた小動物に次第に惹かれ「ネコ動画」としてシリーズ化。殆どがネットニュースの転載だが既に80数回を数えるまでになった。前衛音楽の硬派な記事の翌日にほのぼのしたネコ話を読んで読者の方々がどう思うかは分からないが、何人かの知り合いに尋ねるとネコネタも楽しみだと言う人が多い。以前書いたようにブログを書く動機は自分が楽しむことが第一番である。誰が何と言おうとネコ動画を続ける所存である、などと意気込む必要はないが、ネコネタに文句を言う人は相当のネコ嫌いでもない限りいないだろう。

そんなところにこのムックが登場。ネコと音楽の関係を追求するマニアックな世界が展開されていることは内容を見るだけで明らかだ。

【主な内容】
● 観て楽しむ猫と音楽
★定番! 猫ジャケ100選
★ネコメンド! にゃんこサントラに進路を取れ!
● 聴いて楽しむ猫と音楽
★必聴! 猫ソング100選 necoTunes
★検証! 猫の好きな音楽とは? 他
● 歩いて楽しむ猫と音楽
★ぶらり猫散歩~谷根千 嶺川貴子
★よりみち 猿山修 猫グッズ紹介
● 読んで楽しむ猫と音楽
★猫とアーティスト/インタビュー:ECD
★世界に広げよう! 猫友の輪:OPQ、コーネリアス、末光篤、遊佐未森、ゴメス・ザ・ヒットマン(山田稔明)、Pierre Barouh他
★猫レーベル紹介:モンチコン!
● 猫対談 谷山浩子×持田佳織
● 猫は猫だから猫である(湯浅学)
● 猫マンガ「ねこすバンド天国」(金子デメリン)
● 猫エッセイ「MILK 猫と僕と君」イノマー 他

フレンチポップの大家ピエール・バルーにネコ・アンケートをしたのも凄いが、最高なのはネコに色んなジャンルの音楽を聴かせ反応を調べた実験である。歌謡曲がいしだあゆみ、ロックがクイーン、ヘヴィメタルがジューダス・プリースト、プログレがキング・クリムゾンはいいが、ジャズがソニー・シャーロック、現代音楽がシュトックハウゼン、あげくにノイズがホワイトハウス! ちなみにホワイトハウスへの反応はネコ1="雄叫び!凶悪顔"、ネコ2="前足を揃えてちょこんと聴いている"、ネコ3="ふせたまま目が開きっぱなし"、ネコ4="不機嫌そうに寝室に去る"というもの。他のジャンルも4ネコ4様で人間と同じくネコの趣味志向も様々であることが判る。

猫好きアーティストOPQ氏が猫の気持ちになって作った珍妙な猫用楽器や「猫に居心地のいいスピッツの世界」「中島みゆきの歌詞にすむ猫」「シューゲイザーと猫」「昭和歌謡と猫」などのコラムも新機軸で面白い。猫ソング100選ではタイトルだけじゃなく歌詞にネコが登場する曲やネコっぽい歌手の曲も選曲。知ってる曲でもあの曲が!という新たな発見に満ちている。





「ネコの立場で音楽を聴く」というリスニング革命を提案するこの本はネコ好きには勿論、全音楽ファンにおススメの一冊である。

付録には、猫イラストレーター、ルイス・ウェインのエコトートバッグ付き。


ねこみみで
聴いてみようよ
不失者を

劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏と女優の緒川たまきさん夫妻の愛ネコ、ごみちゃんの写真集「Gommi」も購入。お二人のネコへの愛情に溢れたステキな本である。購入方法はコチラ


果たして先鋭的アーティストがネコ好きなのか、ネコが音楽好きなのか、その答えは永遠の謎のままである。
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ゾーイ・ストリート・ハウ「もし僕のパパがロックスターだったら」出版記念トークショー

2012年10月03日 00時45分39秒 | 書物について


ゾーイ・ストリート・ハウ「もし僕のパパがロックスターだったら~コネと七光と醜聞と~」出版記念トークショー@渋谷Bar Isshee 2012.10.1 (mon)

ゾーイ・ストリート・ハウはイエス~エイジアのスティーヴ・ハウの長男ディラン・ハウの奥様。音楽ライターでもある彼女が2010年に出版した「How's Your Dad?: Living in the Shadow of a Rock Star Parent」が「もし僕のパパがロックスターだったら~コネと七光と醜聞と~」というタイトルの日本語訳で出版された。今回ウィルコ・ジョンソン・バンドのドラマーとして来日したディランに奥さんも同行、その機会にディラン&ゾーイ夫妻のトークショーが開催された。

ウィルコの来日公演には行く予定だったが、ドラムがスティーヴ・ハウの息子だとは知らず、ましてや奥さんがライターであることもBar Issheeのスケジュールで初めて知った。勿論この本のことも知らなかったがネット検索してみるといくつかのブログで紹介されておりとても面白い内容のようだ。チャージ無料というので出掛けてみた。

Bar Issheeには一番乗り。ハウ夫妻とウィルコ・バンドのベースのノーマン・ワット・ロイ、サポート・アクトのベンジャミン・テホヴァル、ウィルコのマネージャー氏の5人がいた。それぞれに挨拶をして席に座っているとゾーイさんが差し入れの人形焼きをくれた。徐々にお客さんが来て最終的には10数人の集客。もっと宣伝したら大勢集客できたかもしれないが、急遽決まったイベントで、会場も小さいので丁度良かった。

ゾーイさんは音楽ライターとして雑誌やネットで活躍し、スリッツの伝記「Typical Girls? The Story of the Slits」も出版している。2006年にディラン・ハウと結婚。ジャズ・ドラマーとして活動する彼のライヴ終了後、知り合いやファンの第一声が「How's Your Dad?(パパは元気?)」であることに興味を持ち、大物ロックスターの子供たちに取材し逸話をまとめたのがこの本である。欧米では俳優や芸術家に比べてロック・ミュージシャンの生活は「セックス&ドラッグス~」という言葉に象徴されるように普通と違う乱れたものというイメージがあり、その子供たち向けられる世間の目も好奇と偏見に溢れているという。その中で育った二世達の人生は如何に?

「オズボーンズ」というテレビ番組に出演していたオジー・オズボーンの娘ケリーが思春期に嫌々番組で歌った話、ツアーから帰宅したら子供に「ママ、髪の毛の膨らんだ泥棒が来た!」と泣かれたロバート・プラントの話、幼少から父親の"ロック・サーカス"ショーに出演して育ったアリス・クーパーの娘キャリコの話、赤ん坊の頃の丸裸の写真が父親の手で世界中に晒され恥をかいたショーン・レノンの話など逸話の一部が披露される。ディランも幼い頃の失敗エピソードがそのままハリウッド映画に使われてしまった話などを語る。エピソードは尽きず、質疑応答を含め1時間半のトークショーだった。

日本でも二世タレントがテレビ番組でいじられたり週刊誌ネタにされたりして世間の見世物にされている。ましてや世界的な大物ロッカーの家庭に育つという経験はどんなものなのだろうか。本は入手したばかりなのでまだ読んでいないが、内容紹介を見るだけで興味深い。



●ロックスターの子供たちはどんな暮らしをしているの?

ジョン・レノン、スティーヴン・タイラー、フランク・ザッパ、オジー・オズボーン、ボブ・ゲルドフ、カート・コバーン、アリス・クーパー、ジャック・ブルース、スティーヴ・ハウ、ロッド・スチュアート……。
超大物ミュージシャンの子供たちへの取材から浮かび上がる真実とは?"

第1章 コネ あなたもロックスターの子供に生まれてみたかった?
第2章 七光 "光"は強ければ強いほどいい?
第3章 子供時代 「普通だったよ」(普通のレベルが違うけど!)
第4章 学校 名門校に行かせるか、それとも公立校か
第5章 ツアー、スタジオ ステージやツアーバスの中で育つ子どもたち
第6章 不在 親はなくとも子は育つってホント?
第7章 取り巻き イザってときに助けてくれる強い味方
第8章 ドラッグ ロックスターの周囲につきまとう暗い影
第9章 おいしい思い 「ロックスターの子に生まれてよかった!」と思うとき
第10章 困惑 「ロックスターの子に生まれてイヤだな」と思うとき
第11章 醜聞(スキャンダル) ロックスターとその子どもたちの避けられない運命
第12章 後継 継ぐべきか継がざるべきか、それが問題
第13章 影 ビッグな親とひとくくりにされないために
第14章 「ところで、パパ、元気?」ロックスターの子どもたちを悩ますひとこと

出版社: ヤマハミュージックメディア
定価:\2100(税込)

自分の子供が出来たらどうする?との質問に「猫を飼っているから十分だわ」と答えたゾーイさんは初来日だそう。2週間前にはロンドンで開催されたセックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」リリース35周年記念イベントにパネラーとして出演したそうだ。

▼ファミリー・バンド「スティーヴ・ハウ・レメディ」。ドラムがディラン、キーボードは次男のヴァージル・ハウ。



ロックスター
楽なもんでは
ないわいな

中学時代の同級生に有名なプロ野球選手の息子がいて父親のチームが勝った翌日はやけに自慢げだったことを思い出す。今はどうしているかな~。

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騒恵美子著「ライブ・アット 騒 (GAYA) ─ 阿部薫、鈴木いづみ、フリージャズメンとの日々 ─」

2011年12月23日 00時45分05秒 | 書物について


伝説のサックス奏者、阿部薫が晩年に拠点として出演していたことで知られる初台のライヴハウス「騒(GAYA)」の女性オーナー騒恵美子さん(通称エミさん)による回顧録。"全く音楽に関しては素人同然の"エミさんが、20代後半に長野県伊那で近藤等則、梅津和時、土取利行らの衝撃的な音と出会いフリージャズに開眼、自分が聴きたい一心で開店したのが「騒」だった。過激派の拠点だったビルを格安で借り防音のために壁や天井一面に段ボールの卵のケースを貼り巡らせキュウリのQちゃんの瓶を椅子代わりに並べる、という手作りの店で、1977~84年の7年間、阿部薫、梅津和時、坂田明、加古隆、近藤等則、浅川マキ、つのだ☆ひろ、友部正人などフリージャズからフォークまでアンダーグラウンドなミュージシャンが多数出演していたという。

この本にはジャズ評論家や他のジャズ喫茶オーナーの著作に必ず出てくる小難しい音楽論やディスクガイドなど全くない。ミュージシャンとそれぞれひとりの人間として本音で付き合い、時に頼られ時に大喧嘩をする日常の姿がヴィヴィッドに描かれている。特に付き合いの深かった阿部薫と鈴木いづみとの逸話は、伝説的に語られてきた偶像ではなく、必要以上に人間臭いふたりの知られざる興味深いエピソードが満載。

そのエミさんはこの本を書き上げて間もなく今年10月に他界してしまった。しかしこの本の中にエミさん、阿部薫、鈴木いづみをはじめ今は亡きミュージシャン達がしっかりと生きている。1970年代フリージャズやアングラ音楽に少しでも興味のある人なら必ず読むべき一冊である。長らく廃盤だった阿部薫の「ソロ・ライヴ・アット騒」全10タイトルが再発され、来年1月には1970~73年の録音の7CD BOXと、若松孝二監督 広田玲央名, 町田町蔵(町田康)主演の阿部薫&鈴木いづみを描いた映画「エンドレス・ワルツ」DVDが発売される。再び時代は阿部薫を求めているようだ。



好きだから
本音でぶつかる
音楽と

フリージャズの熱かった時代が真空パックされている傑作。
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