A Challenge To Fate

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【クラシックの嗜好錯誤】第九回:知られざるハンガリー現代音楽のディープな世界~イェネイ/シャーリ/ダブロヴァイ/エトヴェシュ/ヴィドツキー/ドゥカイ

2021年01月06日 01時29分11秒 | 素晴らしき変態音楽


筆者が一方的に敬愛するハンガリーの現代音楽家、故ゾルタン・イェネイ氏が1979年~2002年の間にハンガリーの国営レコード・レーベル「Hungaroton」からリリースしたアルバム・ジャケットには彼の名前「ZOLTAN JENEY」がロゴとしてデザインされている。ポップス/ロック/ジャズならともかく、クラシックの作曲家で名前のロゴがある例は他に知らない。アートワークのデザインを一貫して担当したのは1933年生まれの女性画家イローナ・ケセル Ilona Keserü。60年代からハンガリーのアート界で活躍する現代美術家である。そんな専属デザイナーまでいたゾルタン・イェネイとは、当時ハンガリーでどんな存在だったのだろうか?"大きいことはいいことだ"のCM等で有名な山本直純のように、タレントとして知られていたのだろうか?あいにくハンガリーに知り合いはいないので、確かめるすべはない。天国に召されたイェネイ師にはもう会うことはできないが、彼と同期のハンガリーの現代音楽家たちはまだ生きている。いつかはブダペストを訪れて、彼の地の異端音楽を生で体験したいものである。

●ゾルタン・イェネイ Zoltán Jeney(1943年3月4日 – 2019年10月28日)


ハンガリーのソルノク生まれ。最初にピアノを学び、デブレツェン中等音楽学校でポングラーツの作曲クラスに参加。その後1961–66年ブダペストのリスト・フェレンツ音楽大学でフェレンツ・ファルカシュに作曲を学び、1967–68年ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアでゴッフレド・ペトラッシに師事した。1967年に作曲し1968年に初演されたフルートのための「ソリロキウム第1番」が高く評価される。
1970年にエトベシュ、コチシュ等志を同じくするハンガリーの若手音楽家たちと共にブダペスト新音楽スタジオを設立。このスタジオは作曲家や演奏家のための国際的に有名なワークショップとなり、1972年から1990年の間に600曲以上の現代音楽作品が発表された。
1986年からリスト・フェレンツ音楽大学の教授を務め、1995年からは作曲学科の学科長を務めた。90年代以降、ハンガリー作曲家協会、国際現代音楽協会(ISCM)、セチェニ文学芸術アカデミーなどで理事を務め、ハンガリー現代音楽界の重鎮として活動した。
2019年10月28日 ブダペストにて死去。享年76歳。

Zoltan Jeney - Landscape ad Hoc (1980)

【クラシックの嗜好錯誤】第七回:ハンガリーのハングリーな新前衛主義者、ゾルタン・イェネイ Zoltán Jeney への遅すぎる追悼


ハンガリー現代音楽の中心となったブダペスト新音楽スタジオの設立にイェネイと共に参加したのは当時(1970年)20~30代だった1940~50年生まれの新進気鋭の若手音楽家たち。現在もハンガリー現代音楽シーンの重鎮として活躍している音楽家を紹介しよう。

●ラースロー・シャーリ László Sáry(1940年1月1日 -)


ハンガリー北西部のGyőrasszonyfa(en:Győrasszonyfa)の生まれ。1966年、ブダペストのリスト音楽院を卒業。1970年、ラースロー・ヴィドツキー、ゾルタン・イェネイ、ペーテル・エトヴェシュ、ゾルターン・シモン(アルバート・サイモン)らとブダペスト新音楽スタジオを設立。
1970年代からミニマル・ミュージックの様式で作曲を始める。また、日本、フランス、イタリア、ベルギー、エストニアで音楽教師のための講座を受ける。
1990年、ブダペストの演劇・映画大学の教授となる。1994年、MUSEプロジェクトに参加。1996年、東京に3ヶ月間滞在し、日本の伝統音楽・芝居などを勉強した。

Pebble Playing in a Pot



●ラースロー・ダブロヴァイ Dubrovay László (1943年3月23日 –)


4歳の時父親のピアノのレッスンから音楽を始める。ベーラ・バルトーク音楽学校で作曲を専攻、その後リスト・フェレンツ音楽大学に学び、1966年に優秀な成績で学位を取得した。1966年から1971年まで大学で演劇と映画芸術を教え、1971年から1972年までハンブルグのハンブルク国立歌劇場で講師を務める。

1972年から1974年にかけてケルンで、カールハインツ・シュトックハウゼン、ハンス・ウルリッヒ・ハンパートに師事し、20世紀の最新の音響研究の結果、さまざまな作曲技術を習得し、電子音楽に精通した。実験的で探索的なタイプであり、楽器の新しい革新的な組み合わせとサウンドの両方の開発を続けた。1974-75年には西ドイツ放送局の電子スタジオで働く。1976年以来リスト・フェレンツ音楽大学の音楽理論学科で教鞭をとっている。1985年にアーティストプログラムの下でベルリンに招待され、様々な電子スタジオで働いた:ケルン、フライブルク、ベルリン、リューネブルク、ブルジェス、ストックホルム、ブダペスト。作曲家としてオペラ、ダンス、オーケストラ、室内楽、ソロ、ブラスバンド、合唱、そして電子音楽とコンピューター音楽を作曲してきた。

László Dubrovay ‎- "A² "/ Oscillations Nos. 1-3 (1979) FULL ALBUM



●ペーテル・エトヴェシュ Peter Eötvös,(1944年1月2日 - )


当時ハンガリー王国領のセーケイウドヴァルヘイ(現在はルーマニア領)の生まれ。ブダペストとケルンで作曲を学び、1962年からハンガリーで映画音楽の作曲を始める。1968年から1976年にかけて、定期的に シュトックハウゼン・アンサンブルと演奏する。1979年、ピエール・ブーレーズの後を継いで、アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督兼指揮者となり、1991年までその職を続ける。教育の方はケルン音楽大学の現代音楽アンサンブルの指揮の教授を経て、現在カールスルーエ音楽大学の指揮科教授を務める。

エトヴェシュの音楽は、さまざまな作曲家の影響を示している。特殊奏法、例えば過度の圧力をかけたボウイングが叙情的な民謡と一緒にサウンドを合成する。またエトヴェシュは技術的な力量もあり、エレクトロニック・マニピュレーションまたはアンプリフィケーションのためにマイク機器をどう使うかの細かい指示を与えている。エトヴェシュの最初の大作の作曲は映画音楽で、それはエトヴェシュの後の小品の、趣のある陽気なところに再現されている。

Tücsökzene



●ラースロー・ヴィドツキー László Vidovszky(1944年2月25日 - )


1959年にセゲド音楽院でゲーザ・サトマーリ(Géza Szatmári)に作曲を学び、1962年から1967年にかけてブダペスト音楽院でファルカシュ・フェレンツに師事した。1970年から1971年にかけてパリで学び、「実験音楽家集団」(Groupe des Recherches Musicales)やオリヴィエ・メシアンの作曲のクラスに参加した。1970年、ゾルタン・イェネイ、ラースロー・シャーリ 、ペーテル・エトヴェシュ、アルバート・サイモンと共にブダペスト新音楽スタジオを共同設立して以来、作曲家および演奏家として精力的な活動を行っている。
1972年から1984年にかけて、ヴィドツキーはブダペスト音楽院教員養成科で音楽理論を教えた。1984年にハンガリー南部に位置するペーチ大学音楽学科の学科長に抜擢され、1988年まで務めた後、1996年に同大学に新しく設立された芸術学部の初代学部長に任命された。1983年にエルケル賞、1992年にバルトーク・パーストリ賞を受賞。1996年にはハンガリー共和国の名誉ある美術家(Merited Artist of the Hungarian Republic)に指名された。

VIDOVSZKY László: Kettős két preparált zongorára



●バルナバシュ・ドゥカイ Barnabás Dukay (Szőny、1950年。7月25日-)


1969年から1974年の間、リスト・フェレンツ音楽大学で学び、1976年に卒業。1970年から20年間ニュー・ミュージック・スタジオのメンバーだった。1974年から1991年の間、ベーラ・バルトーク中等音楽学校と小学校の教師を務める。1980年から全米ハンガリー芸術家協会の会員。1991年から1995年の間リスト・フェレンツ音楽大学のブダペスト教師養成研究所の教師を勤めた。1994年からハンガリー作曲家協会の会員。1995年以来、リスト・フェレンツ音楽大学で音楽理論の教授を務めている。

A fény megjelenése


ブダペスト
豚の黒死病では
ありません

▼ハンガリーの1980~1994年のフォークミュージックと現代音楽のミックス音源

TRACKLIST:
EAST - Árverés = Auction
SEBESTYÉN MÁRTA - Holtak Felkelőben
BINDER KÁROLY - Utószó (Epilogue)
LÁSZLÓ SÁRY, MANUEL ZURRIA - Landscape In C (1982) For 3 Flutes And Synthetizer
ISTVÁN MÁRTHA - Blasting In The Birdcage
TIBOR SZEMZŐ, THE GORDIAN KNOT - The Easy One
GABOR G. KRISTOF - Folie
DIMENZIO A CLOWN - Szerelme
ZOLTAN JENEY - Landscape Ad Hoc
MAKÁM - Vízóra = Clepsydra
KÁROLY CSEREPES - Garabonciák
KÁROLY CSEREPES - Sermons Of Meister Eckhart (Part 7)
ROBERT MANDEL - last song
GRYLLUS DÁNIEL, WEÖRES SÁNDOR - Tíz Erkély
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