芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

柴田道文君のレストラン・ガティー

2008年12月02日 | Weblog
やっとのこと体調が戻って来たので、また、蜂谷丸の柿を軍場山に採りにいった。残りがわずかで、直ぐ採り終わったので、帰りに、柴田道文君が接骨医の傍ら経営するレストラン・ガティーに寄った。この店は、田舎にしては、内装、料理共に凝っていて、その存在は、彼が芳賀邸オープンの時に子供三人を前、背中、手をつないで見に来てくれた時に知ったが、軍場山の帰りに良く寄るようになったのは、柿もぎに行くようになってからだ。彼が「河北新報」に書いた「仙北鉄道の登米の駅舎取り壊しを嘆く」文章に好感を覚えていたので、今回、治療の合間にレストランに昼食に出て来たのでその旨伝えることが出来た。
今回の駅舎取り壊しに始まったことではなく、合併して市になる前から、町をどうするかにまるでヴィジョンを感じられないので、これからは、ヴィジョンを持った政治が望まれることを述べて、彼の賛同を得ることが出来た。彼も彼なりの独自な町起こしのやり方をしていて、つい最近も彼の奥さんの実家が造った安全な米を音楽と関連づけて売り出したところだ。首都圏と関西に売れると良いと思う私の考えと同じ考えを彼も持っていた。