芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米の神棚の祀り方

2008年12月31日 | Weblog
朝、守んツアンから電話で、夕べ酔っていたので、置いて行った車と、空になった酒の肴の入っていた器を取りにくるからその足で登米神社にお札を買いにいぎすぺと言われたので、車で神社に行った。守んツアンは、大国主の尊やよだれなど私より2、3余計に買っていたが、私は、守んツアンの勧めに従って、天照皇大神宮、大年神、悪魔払いを買った。天照皇大神宮は神棚の中央に飾り、大年神は神棚から垂らすのだそうだ。それに従って、夕方に各部屋に悪魔払いの御幣を振りながら「悪魔払い」を連発して歩き、その御幣を大通りの十字路角に挿して来た。これらのお札の入っていた袋に、「祝祭日には国旗を揚げましょう」と表書きしてあった。天照皇大神宮が伊勢神宮から招かれたいるから、天皇家の神であり、国家神道として国旗掲揚を呼びかけているのだ。大年神は、須佐之男命の子供と言うから、朝鮮系の伊勢神宮の神に征服された日本土着の国つ神である。明治維新流に行けば、徳川家を滅ぼした天皇家の神を国の神にして、殺人を嫌う仏教の廃仏毀釈により、人殺しを奨励して、人殺しの過程で逆に殺された人達を靖国に祀るという仕組みを作ったのであるから、現在は、負けたキリスト教やユダヤ教の神を中央に置かなければならないのであろうが、神棚の上では、そうはなっていない。しかし文化的には今や、米国支配下にある。