芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

日本の先行き

2008年12月21日 | Weblog
輸出企業優先という政策から、農水産業優先という政策に切り替えて、内需型経済によって日本の経済を立て直すというのが、荒唐無稽と見る向きもあるかと思うが、そう言うのに何ら材料を持ち合わせていない点では、そう思われても致し方ない。
しかし、現在の日本は、都市に富が集積していて、地方の土地は一山3文と言われた昔と同じ状況だ。地方を囲む海も日本の領海域は相当広いから、安い土地と領海を利用して太陽光などと併せれば、米国のようにエネルギー独占の為に戦争しなくても、エネルギーを自給できるようになるのではないか。政治はその仕組みを作ることだが、縦割り行政のままでは、難しいであろう。農水省は、農協、厚労省は生協などという傘下に利権団体をおくことで、予算の分配をしている現状では出来ない相談ではあろう。東シナ海の海底油田を掘る既成事実を作られてから、中国に抗議しているようでは、国策のない国と見なされこれからも北海道の周辺もロシア、中国、北朝鮮にその上がりを持っていかれるであろう。政治家と経団連がつるんでいる今の自民党と財界が組んでいる仲良し倶楽部には出来ないことであろう。このような仕組みでは、植民地日本の行く先は、植民地本国の米国が、採っている軍需景気をあてにした、財界と政治家の協同しか道はなくなるであろう。そうなれば、次は、アフガーニスターンでの戦争による軍需景気ということになる。しかし、これはFoolish Bush がとって失敗した政策だ。尤も、ブッシュもその取り巻きも相当に儲けたであろう。政権を取ったものだけが儲かれば、あとは他人はどうでもいいという発想では、政治家としては、Foolishである。そのような人には、早く政治家を辞めてほしいが、そのような人が日本でも大勢官僚や政治家にいるところに先行きが暗いと思わざるをえないのだ。
しかし、湯浅誠氏のような人がいて、その考えを変節させられないでくれれば、救いはある。

再び湯浅誠氏のこと

2008年12月20日 | Weblog
前々回のブログにトラックバックがつけられていたので、見ると、湯浅誠氏の思想家としての面をいち早く取り上げ、これからの活躍を期待している内容だった。しかも、その人のブログにはほかにも沢山の方達のコメントがあり、私ばかりでなく、多くの人々の期待が湯浅誠氏に寄せられいていることが分かった。
私自身は、瀬戸内寂聴尼をイラークに誘っていって、米国の誤った政策を世に知らしめられれば良いくらいの気持ちだったが、持続的にそれを続けるほどに熱心な考えの持ち主ではない。先日のNHKスペシャルでの厚労省副大臣に対する湯浅誠氏の反論は、今の派遣労働者法のもとでの派遣労働者切りは、社会不安を起こす、直ぐ改善しなければならないと言っていた。
私などは、今のような政治家の大勢いる状態で、社会不安がおこるのは当然で、それは、政治家自身にいずれ跳ね返っていくから放っておけば良いくらいの考えだが、湯浅誠氏は、健全な社会の為にしなければならないことを自ら行なっている立場を明確にしていた。私のようないい加減な立場からすれば、彼に期待せざるをない。

内需型経済の再構築を望む

2008年12月19日 | Weblog
サブプライムローンの破綻に発した金融危機が、日本には影響は小さいという意見があったとき、そんなことはない、日本にも影響があり、失業が増えるであろうことを以前のブログで記したが、それが現実のものになって来た。なぜ、日本だけが金融危機から逃れられるわけがないかというのも、記したが、それは、日本が農水産業を切り捨て、輸出企業優先の政治だからだ。しかも、数年前から、人材派遣法を作り、正規社員を減らし続けて来たから、ここに来て、米国の企業の代用としての日本の輸出企業が赤字に陥ると、人材派遣法にのっとって、どんどん派遣労働者を解雇をする。この人材派遣法を作ったときは、輸出企業優先のために、労働者を解雇しやすくするだけで、その労働者たちが、健康保険も厚生年金にもはいりにくい仕組みにしていたため、労働者の三分の一の1500万人に上る人達が非正規社員となり、それを払わないので、健康保険も厚生年金も基金不足になったのだ。これは、米国の命令を積極的に聞いた小泉・竹中内閣以来のものだ。これからおこることは、治安の悪化だ。すでに、収入のない人達が、振込詐欺などで稼ぎ始めているが、強盗など、訳の分からない盗難事件がこれから増え続けるであろう。食も住も失なった人達が食べる為に何でもせざるをえなくなるのだから、これは防ぎようないではないか。
これを防ぐには、輸出企業優先ではない農水産業による生活が出来る内需を起こす政策が望まれるが、今の政治にそれに取りかかる様子がまるで見られない。

湯浅誠氏がまたNHKに

2008年12月18日 | Weblog
先日、NHKの19:00のニュースのあとで、NHKスペシャルがあり、湯浅誠氏がまた出演していた。
最近良く湯浅誠氏はマスコミに出てくるようになった。先日の河北新報では、湯浅誠著『反貧困ーーすべり台社会からの脱出』が朝日新聞の論座賞を受賞と報道していた。前のPCJF賞とダブル受賞である。彼自身貧困者の救済に日時関わっているから、貧乏な生活をしているようで、この受賞で少しでも良い食事をしてもう少し太ってほしいと思うほどの痩せ方だ。
彼の意見はいちいち尤もで、論戦相手の厚労省副大臣に、福祉政策の欠陥を突き、今直ぐに企業から切られた非正規社員を助ける施策をしなければならない、と言うと、厚労省副大臣は、ここぞと、福祉予算は膨らみつづけるから消費税上げをしなければならない、と答えていた。それにたいして、彼は、それでは、消費税上げを永遠にしなければならないではないか、と言うと、厚労省副大臣は黙ってしまった。日経連寄りのもう一人の論者は、労働者を救うのは、企業だけては無理であると言っていたが、終わりには、湯浅誠君のペースで、日本の今の企業優先のありかたを哲学を持って変えていくのが望ましいというように変わっていった。
湯浅誠君は、今や、日本を良い方向に持っていく論客になっているではないか。今の体制の政治に取り込まれないようにしながら、これからも頑張ってほしいものだ。

登米の小学生たちとイラーク記者の挨拶の違い

2008年12月17日 | Weblog
桃生町でのそば打ちは、中田町の千葉さんの都合で、行けなくなったが、たまたまそばを貰ったので、これで年を越せそうだ。
最近は、貰い物が多く、一昨日には元ちゃんから東京では「しるこ」というのに近い、「あんこ餅」を貰った。しるこより汁が少ないが、おいしかった。また、その夜に照るちゃんが呑みに来た時、手づくりの味噌を持参してくれ、これは、以前に直ちゃんが持参したのと同じ小川勝太郎さんの作ったものだった。小川さんは我が家の小作人で、その味噌作りに参加させてくれるように頼んである。来春に登米の大豆を使って我が家の直ぐ前にある小学校の元給食室で味噌を作るのだそうだ。ここの小学校の多くの生徒は、逢うと、知らない人でも挨拶をかけてくる。
世界に冠たる米国のブッシュ大統領は、イラークの知らない記者に靴を投げつけられる挨拶を受けたが、それが世界中に知れ渡り、米国民は世界を支配する米国の凋落を認識させられたのではないか。特に各地のイスラーム教徒たちからは、その記者は英雄とあがめられるまで賞賛されているようだ。その各地のイスラーム教徒たちは、その記者を即時解放するよう求めるデモまで行なっていると言う。米国が世界中で如何に嫌われているかという証しだ。その植民地日本もFoolish Bush におもねった為、嫌われる仲間入りしてしまった。米国に対してだけ輸出しているのではない輸出大国の日本の道は金融危機でさらに厳しくなる。


自由と民主主義の裏

2008年12月16日 | Weblog
男女別学の良さは、女子にとって良いと、長谷川俊雄君は言っていた。彼は、教育大で教育全般について関わって来て、女子高の女子は、男女共学の女子より、男子に押し付けている全校生徒の代表者になったり、社会性を早く身に付けるので、良いと言う。
仙台一高では、私の在校中に生徒会で、修学旅行をするのはナンセンスという言葉で、修学旅行はしなかった。クラスの写真がないので、せめて、修学旅行の写真でもあれば良かったとも思うが、生徒たちが自分たちで決めて行なっているのだから、それはそれで良かったのではないか。
広島三育学院高校の生徒を見ると、髪型も様々で、中にはモヒカンの男の子もいて、笑ってしまった。仙台一高も私の在校中は、髪型は自由だったが、モヒカンはさすがにいなかった。当時の宮城県の高等学校は、男子は殆ど坊主頭を義務づけられていたのではないかと思う。
一見、男女共学で自由そうな米国式教育にして、実は、アメリカン・スタンダードというやつにするわけだが、それ自身が良く言われるように、ダブル・スタンダードというので、特にイスラーム圏の人達から嫌われている。
つい最近のニュースでFoolish Bush がイラークを電撃訪問して、自らの間違った政策を糊塗する演説中に地元の記者に沓を二回立て続けに投げつけられて、それは、自分に対する侮辱ではないと抗弁していた。記者の属する報道機関は、民主主義的な行為であるから、記者を即時解放するように要求していると言う。記者は、自国の婦女子たちを殺したことに対する贈り物だと言って投げつけたのだそうだ。米国Foolish Bush政権は、イラークに民主主義をもたらすと称して、数万人のイラークの婦女子を殺しているのだから、これこそ、ダブル・スタンダードの最たるもので、イラークの記者は、ご都合主義のブッシュに対してクリスマス・プレゼントをしたのだ。その記者の報道機関がいう、民主主義とは、米国Bush政権が進める民主主義化への痛烈な皮肉である。

仙台一高の男女共学化に反対

2008年12月15日 | Weblog
長谷川俊雄君は、自分の子供たちをみな、広島県にあるキリスト教系の全寮制の高校、広島三育学院高等学校【広島県三原市】に入れて教育している。彼は厳格なキリスト教徒であるから当然なこと思っていたが、先日、彼にその高校がテレビで紹介されたのをDVDで見せられた。全校300名余の生徒のうちの200名以上が、聖歌隊という部活をしている様子が映された。みな、生き生きと活動しているのが好感が持てた。
仙台一高も制服などもなく、自由に活動できたところで、それが気に入っている。
宮城県教育委員会は、すでに、仙台二高を男女共学化しているが、再来年には、仙台一高も男女共学化することを粛々と進めると言っている。最近の役人は、国民の望まない施政を無理矢理進める時に、「粛々と進める」と言うようになった。
私も男女共学化には反対であるが、問題なのは、敗戦直後に米軍施政下のGHQによって、『男女共学化』と『武道廃止』命令された宮城県教育委員会は、殆どの高校を男女共学化と、武道廃止に追い込んだ。しかし、当時の仙台一高の校長は、その命令をはねのけて、男子校を守り、武道を守ったのであった。その努力を全く知らないのか、今の宮城県教育委員会の委員たちがその地位にしがみつくことに甘んじるだけの木っ端役人なのか、日本占領時には、折角拒否した占領政策を今ごろになって受け入れるのだ。このような役人と政治家が今の日本を動かしているのが現実だ。先日の政府高官を殺した事件なども、今の官主主義による植民地政策に対する不満の現れであろうか。

農水産業切り捨て、輸出企業優先の政策

2008年12月14日 | Weblog
田舎暮らしをして数年になるが、都会や隣町の病院に行くことを我慢すれば、都会より良いものを食べられる点は、それには変えられない。
野菜、米、肉などは、地元のもので生産者が分かるものが食べられるのだが、魚介類に関しては、宮城県産と表記されているものには注意が要る。
一般に石巻、塩釜、気仙沼、南三陸町という水揚げされた港の産地の表記があるのに、宮城県産とうのは、おそらく、女川原発のある港から水揚げされたものと推定されるからだ。
特に牡蛎は、女川原発の冷却水で育てたものだから、宮城県産牡蛎は食べないようにしている。仙だいの、かき徳でだしている牡蛎は南三陸町産だと言っていた。店の言葉を信用して食べるしかない。
私は、かつて、牡蛎であたったことが数回あり、その牡蛎の産地がどういうわけか全て広島産だった。
国家政策が、農水産業を切り捨てて、工業優先、特に工業製品の輸出企業優先之政策であるから、輸出企業の製品には銘柄を記す仕組みを作っているが、農水産業の品物には輸入品も含めて産地をちゃんと表示する仕組みが作られていないのが現状だ。
今、起きている金融危機は、日本の輸出企業に大きな打撃を与えるから、日本政府が日本は金融危機の打撃がそれほどでないように言っていながら、次第に労働者の大規模な首切りとなって現れている。首相は、百年に一度の金融危機などと言いながら、工業優先の日本の産業の構造改革までは踏み込む気など丸で無いところに、日本の危機はある。

医師会の圧力

2008年12月13日 | Weblog
長谷川俊雄君との話で、教えられたのに、今、医者が少ない原因は、しばらく前に、医師が増えて、民間医師の収入が、一般人の収入の8倍強から6倍強に減ったとき、医師会が、時の自民党政権に圧力をかけて、医科大生を減らさせたので、今に至って医師の数が足りなくなったのだということだった。彼は、エジプトやスリランカーで理科教育の発展に尽くして来ているが、教育全般も見ているのは、さすが、教育大の教授であるからだ。本来、彼の専門は、恒星からの光を色に分解してその星の研究をすることのようだが、専門外のことにも詳しい。
旭川から持ち帰った本が沢山書棚に入っていたが、私同様、なかなか読むことは出来ないのではないかと思う。私も持ち帰った書籍の入るところがない為、取りあえず、押し入れに段ボール箱に入れたまま突っ込んでいる。これから冬場は、寒いので布団の中では読めないし、そのままになるかもしれない。

長谷川俊雄君の先祖は貝塚市の願泉寺の由

2008年12月12日 | Weblog
昔はあまり興味もなく良く聴かなかったが、長谷川俊雄君がお母さんから聴いた話をしてくれたので、以下記す。
長谷川俊雄君の先祖は、貝塚市の願泉寺から出ていて、願泉寺を継承している人は、卜半という姓を名乗り、長谷川俊雄君のお母さんは、それを継がなかった人で日野姓を名乗った人の子孫なのだそうだ。
卜半の初代は、紀伊の根来寺から出ていて、豊臣秀吉と親しかったため、支配権を確立し、その寺内領を徳川時代を通して認められ、今でも願泉寺はあり、法事の時に招ばれるそうだ。
織田信長と合意した顕如が、石山本願寺を出て、一時この願泉寺に滞在していたので、ここが浄土真宗の総本山の役割をはたしていて、寺格が高い為、身分の低い貴族だった岩倉具視はその娘を、いったん、富小路家に養子にだしてから、願泉寺の日野氏に嫁入りさせたのだそうだ。長谷川俊雄君のお母さんはその孫ということだ。