冤罪がつくられるところ、それは警察署の留置場である。
静岡県は、「冤罪のデパート」といわれるほど冤罪事件が多い。無実の人をつかまえてきて、大勢の警察官が脅迫し、拷問し、厳しく問い詰める。その中心にいたのが、紅林麻雄であった。
わたしは、冤罪事件としてあった小島事件、幸浦事件については書いたことがあるが、そこにも紅林の名があった。容疑者とされた人が逮捕され、警察署の留置場に監禁される。留置場は、署内にあるから、取り調べはいつでもできる。長時間でも可能である。長時間の取り調べで、容疑者に苦痛を与え、とにかく自白させようとする。あまりの暴力に耐えかねて、やってもしない犯行を自白する。自白したら、あとは取調官の言うとおりに、「ハイ、ハイ」と応え、取調官の筋書きとおりの「事件」がつくられる。
そして裁判。裁判官と検察官、いずれも国家公務員である。多くの裁判官は、警察官、検察官がつくりあげた事件の概要を認め、有罪としていく。裁判では、有罪とする証拠しか提出されないから、有罪にするしかないということもある。
そして再審。しかし再審にもっていくためには、新たな証拠が必要となる。証拠のほとんどは、無実を証明する証拠ですらも、検察官が持っている。残念ながら、現行の法では、検察は、みずからが持っている証拠を開示させる義務はない。
袴田事件は、完膚なきまでに、静岡県警察、静岡地検の誤謬が明らかにされたが、しかし一度犯人扱いされた人が無罪となっても、それを疑問視する人はいる。
わたしは幸浦事件を調べ、いろいろな資料を求め、それをもとに記述した。有罪とする根拠がない、だから冤罪であることをしっかりと書いた。
にもかかわらず、地域の良識ある人から、冤罪被害者を犯人ではないかとみていることを聞いて驚いたことがある。
冤罪事件は、無実であることが証明されても、冤罪事件被害者は被害を受け続ける。