袴田巌さんが、最終的に無罪となった。死刑囚という軛からやっと解放された。
この無罪を獲得するまで、弁護団や支援者の労苦はたいへんなものだったと思う。
わたしも、戦後補償裁判に全面的に関わったが、それはそれはたいへんであった。時間もカネもたくさんつかう。刑事訴訟では、公判は期間を空けて行われるが、その間にも支援者と弁護団は、訴訟をどのように展開していくか、何度も集まって検討会をもつ(それは戦後補償を求める民事訴訟でも同様である)。それ以外にも、支援する会のニュースを作成、印刷、配布する、あるいは同じような他の訴訟を支援するために、全国各地に赴く。勝利を得るためには、できるだけ多くの市民の理解と協力が必要だからである。
袴田事件では、静岡市に住むわたしの友人も、支援者として活動していた。袴田事件に関わる報道がテレビで放映されるとき、かれの姿がいつも映っていた。それもどちらかというと、端の方に。彼は地道に、目立たない仕事を黙々とやっていた。
今日も、静岡放送が記者会見をネットで報じていたが、彼の姿が映っていた。ほんとうにお疲れ様、といいたい。無罪を引きよせた功労者のひとりである。
もうひとりの知人は、判決の日など確実にたくさんの報道がなされるときにやってきて、わざわざ弁護団や袴田ひで子さんの傍にいて、あたかも中心的にやってきたかのような位置でテレビなどに映される。しかし彼は、わたしの友人のように、地道な支援活動をほとんどしていない。
袴田事件は、冤罪事件である。国家権力は犯罪をおかしたのである。冤罪は国家犯罪なのだ。国家が権力という暴力をふるって、ひとりの市民を罪人とし隔離し、袴田さんの場合は死刑囚として拘禁していた。本来は、自分自身の人生を自由に、個性的に歩むはずだったひとりの人間を長期間拘束し、彼の人生を奪ったのである。
国家がひとりの人間を犯罪者として認定したとき、その人間が犯罪者ではないとして国家から奪い返すためにはたいへんな努力が求められる。
袴田事件にはたくさんの弁護士が関わっているが、こうした事件に関わっても、決してカネにはならない。わたしが関わった戦後補償裁判でも、弁護士の皆さんは手弁当であった。もちろんわたしも手弁当であった。何度も韓国に行き、控訴審で東京高裁に通うなど、多額のカネを投下した。
袴田事件の弁護団、支援者の皆さま、そしてもちろん袴田巌さん、ひで子さん、お疲れ様でした。