中泊町(なかどまりまち)は、青森県の津軽半島中央部に位置する町で、北津軽郡に属します。
元々隣接していない2町村(五所川原市の十三湖を挟んで北側の小泊村と南東側の中里町)が合併して誕生した経緯を持ち、旧中里町域、旧小泊村域の2つに分かれて存在しています。
富野千歳地区は、中泊町役場の南西約3.5kmのところ
中泊町役場からきたぐぁの道路を西へ、約1.3kmで左(南)へコメ・米ロードです
約2.3kmでガソリンスタンドのある信号機を右(西)へ、県道183号線です間も無く武田の集落へ入ります
やく1.1kmで突き当りの県道197号線を左(南)へ、約300m(武田小学校入口の直ぐ先)を左へ入ると
右手(北向き)に般若寺入口です
前の道路脇に車を止めさせて頂きいました
般若寺本堂です
本堂の左方に大きなイチョウの樹冠が見えます
説明版です
中泊町天然記念物 平成7年4月27日指定
般若寺のイチョウ
管理者 般若寺
学名 Ginkgo biloba L.
イチョウ目 イチョウ科
イチョウ属 イチョウ
樹齢 推定300年
樹高 約30m
幹周 530cm
中泊町富野に所在する天台宗富野山般若寺中庭の一角に佇立する町内最大のイチョウ。
かつては、同寺境内を囲んでイチョウ・ケヤキ・マツの三樹が植えられていたが、マツは明治34年(1901)頃、ケヤキは昭和59年(1984)に各々伐採され、現在唯一残されているのがこのイチョウの木である。
これら三樹については、金木新田の開発にともなって、岩木川の治水工事(土堤構築)を行った弘前藩4代藩主津軽信政が、工事の完成を記念して自ら植えたとする伝承が残されている。
中泊町教育委員会
*弘前藩4代藩主の津軽信政というひとは、あちこちに工事完成記念樹の植樹をされて方ですね
本堂前の池には弁財天です
西側には、東向きに富野猿賀神社です
社殿です
境内から南西側の岩木川土手下の県道197号線脇から、般若寺のイチョウを見ました
(残念ながら杉の陰になってしまって幹は見えませんでした)
では、次へ行きましょう
元々隣接していない2町村(五所川原市の十三湖を挟んで北側の小泊村と南東側の中里町)が合併して誕生した経緯を持ち、旧中里町域、旧小泊村域の2つに分かれて存在しています。
富野千歳地区は、中泊町役場の南西約3.5kmのところ
中泊町役場からきたぐぁの道路を西へ、約1.3kmで左(南)へコメ・米ロードです
約2.3kmでガソリンスタンドのある信号機を右(西)へ、県道183号線です間も無く武田の集落へ入ります
やく1.1kmで突き当りの県道197号線を左(南)へ、約300m(武田小学校入口の直ぐ先)を左へ入ると
右手(北向き)に般若寺入口です
前の道路脇に車を止めさせて頂きいました
般若寺本堂です
本堂の左方に大きなイチョウの樹冠が見えます
説明版です
中泊町天然記念物 平成7年4月27日指定
般若寺のイチョウ
管理者 般若寺
学名 Ginkgo biloba L.
イチョウ目 イチョウ科
イチョウ属 イチョウ
樹齢 推定300年
樹高 約30m
幹周 530cm
中泊町富野に所在する天台宗富野山般若寺中庭の一角に佇立する町内最大のイチョウ。
かつては、同寺境内を囲んでイチョウ・ケヤキ・マツの三樹が植えられていたが、マツは明治34年(1901)頃、ケヤキは昭和59年(1984)に各々伐採され、現在唯一残されているのがこのイチョウの木である。
これら三樹については、金木新田の開発にともなって、岩木川の治水工事(土堤構築)を行った弘前藩4代藩主津軽信政が、工事の完成を記念して自ら植えたとする伝承が残されている。
中泊町教育委員会
*弘前藩4代藩主の津軽信政というひとは、あちこちに工事完成記念樹の植樹をされて方ですね
本堂前の池には弁財天です
西側には、東向きに富野猿賀神社です
社殿です
境内から南西側の岩木川土手下の県道197号線脇から、般若寺のイチョウを見ました
(残念ながら杉の陰になってしまって幹は見えませんでした)
では、次へ行きましょう