ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県鹿角市、十和田大湯万座・野中「大湯環状列石」(世界遺産)です!!

2023-07-27 18:45:25 | 遺跡・史跡
 十和田大湯万座・野中地区は、鹿角市役所の北北東約7km、鹿角市役所十和田支所の東北東約4kmのところ

 鹿角市役所十和田支所から国道282号線を南へ、約600mの「上陣馬」信号を左(北東)へ国道103号線です

 道成りに約4.3kmで「腰廻」信号を右(南東)へ入ります

 河岸段丘斜面を約1.5km上って信号を右(南西)へ県道66号線です

 約200mの右側に「大湯ストーンサークル館」が有ります

 駐車場に入りました

 大湯環状列石とは、秋田県北東部の鹿角市米代川の支流である大湯川左岸、標高約180mの台地上に立地し。食料となるサケやマスが遡上し、捕獲できる川の近くであり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
 万座(まんざ)環状列石(最大径52m)と野中堂(のなかどう)環状列石(最大径44m)の二つの環状列石があり、いずれも大小の川原石を様々な形に組み合わせた複数の配石遺構を環状に配置し形成されています。
 それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置されています。また、環状列石の周辺からは、土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀・儀礼の道具が数多く出土しています。
 二つの環状列石のそれぞれの中心の石と日時計状組石は一直線に並ぶような配置となっていることから、両者を関連づけて構築した可能性は高いと考えられます。また、この直線上は夏至の日没方向ともほぼ一致します。
 本資産は、定住成熟期前半の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

 南西側のまずは万座環状列石を見にいきましょう


 県道沿いの南東側入口を入った所の標柱に案内図です

 北東側に環状列石です

 環状列石を見る展望台(低いですが)があります

 万座環状列石の東側に並ぶ石です

 南側から環状列石の縁を見ました

 掘っ立て柱建物が復元されています

 北側の「五本柱建物跡」を見ました

 西側の木立はクリの木でしょうか



 県道へ戻って南東側の「中野堂環状列石」です

 戻って、次へ行きましょう
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秋田県鹿角市、十和田大湯大湯「大圓寺の門杉」(県指定)です!!

2023-07-27 13:06:26 | 巨樹・大木
 十和田大湯大湯地区は、鹿角市役所十和田支所の東北東約6kmのところ

 鹿角市役所十和田支所から国道282号線を南へ、約600mの「上陣馬」信号を左(北東)へ国道103号線です

 道成りに約6.2kmで「こけし館・観光情報センター」の先の信号機の手前を右(南)へ入ります

 約300mの変形十字路が「曹洞宗 普門山 大圓寺」の入口です

 南東へ進むと

 参道杉並木の入り口脇の駐車場に車を止めさせて頂きました、目的の門杉が見えました


 今は、山門の楼門前まで車で入れますが、参道の杉並木へ入り歩きます

 間も無く参道左側に門杉です

 「杉 1本」だけの表記の天然記念物標柱です、文面には・・・
 寛永12年(1643)に大圓寺が毛馬内から移ってくる以前からある巨木で、人々は「寺の門杉」と称して大事にしてきた。
 当時は参道をはさんでもう一本あったが、江戸時代の中頃大洪水のため流失したと伝えられている。
 樹高42m、幹囲9m、樹齢500~600年(2000年と伝承もある)
   昭和30年1月24日指定


 傘の付いた説明版です、標柱の内容と同じですね



 門杉と言っても今は1本だけになってしまったのですね

 南西側から、低い位置の枝が伐り払われて綺麗ですね

 南東側から

 東側から


 北側から見上げました


 参道を進みましょう

 墓地の脇を通って



 山門の鐘楼門です

 梵鐘が見えました

 由来石碑です
   普門山 大圓寺の由来
 この寺は、〔曹洞宗〕普門山大圓寺といって、お釈迦さまを本尊として仰ぎ、大本山は、福井県の永平寺と横浜市の総持寺である。
 開創 大永2年(1522)5月15日、寺領17石
 開山 山形県東村山郡黒瀧村 向川寺9世 春林禅冬大和尚
 開基 毛馬内城主 毛馬内勒負秀範公(諡号・普門院殿融山圓公大禅定門)
 天文 5年(1536)始め毛馬内当麻館(古館付近)に建立され、当麻山大圓寺といった。
 慶長12年(1607)毛馬内柏崎館(新城付近9現在の仁叟寺のところに引き移った。
 寛永20年(1643)毛馬内勒負秀範氏、大湯知行替えにより、大湯村観音の道場であった現在地に引き移り、普門山大圓寺としょうした。その後、明暦2年に毛馬内家は絶家となった。
 寛文 5年(1665)盛岡にあった南部藩の御三家の一つとして重んじられた、〔北 九兵衛宣継〕小軽米より知行替えにより大湯城に引き移り、以後、北家の菩提寺として明治までつづいた。
 宝永 3年(1706)北家4代目、北 澄之助可継より茶湯料として3石を賜った。後に北家は輪無双鶴の紋を延享2年(1745)に、南部の名称を文政2年(1819)に許された。
   寺宝・文化財
 門闢本尊 千手観世音菩薩像 木造 御身丈 約 8糎(cm)
   脇侍 不動明王像    木造 御身丈 約10糎
   脇侍 毘沙門天像    木造 御身丈 約10糎(大圓寺略傳記によれば定朝作とある)
 門杉(樹齢約2000年)  秋田県指定天然記念物
 魚鼓(ほう という)    鹿角市指定文化財
 阿弥陀如来佛頭(佛体は不明)高さ約 1m 幅40糎
 弁財天座像         高さ 35糎 台座31糎
 真牌(北家家紋・・輪無双鶴入り)
     25世 泰暢代
     平成6年11月 大圓寺護持会 建立


 山門前から門杉を振り返ってみました

 山門脇には六地蔵様です

 手水舎です

 本堂です

 では、次へ行きしょう
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秋田県鹿角市、十和田大湯宮野平「八幡神社のイチョウ」です!!

2023-07-27 06:48:59 | 巨樹・大木
 十和田大湯宮野平地区は、鹿角市役所の北北東約9km、 鹿角市役所十和田支所の東北東約5kmのところ

 鹿角市役所十和田支所(市民センター)から国道282号線を南へ

 約600mの上陣馬信号を左(北東)へ、国道103号線です

 道成りに4.7kmの標識に従って腰廻信号を「大湯環状列石」方面の右(南東)へ、県道66号線です

 河岸段丘の坂道を登って約900mを左へ鋭角に曲がって細い道を更に道成りに登って行きます

 約300mで、段丘上の県道を過ぎて南西側の集落の中へ入って行きます

 約800mで右(南)へ、宮ノ平会館前を過ぎて右にカーブすると

 
 道路左側、北向きに鳥居です

 鳥居脇境内に車を止めさせて頂きました

 社殿です

 社殿の右手奥(西側)に目的のイチョウです

 社殿裏(東側)から見上げました

 南西側から

 西側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です{

 北西側から見ました

 では、次へ行きましょう

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