平舘太郎右エ門沢地区は、外ヶ浜町役場の北約16km、外ヶ浜町役場平舘支所の北約3kmのところ
外ヶ浜町役場平舘支所前から国道280号線を北へ、約2.8kmで国道右手に「道の駅たいらだて」があります

道の駅の南側の「おだいばオートビレジ」の案内図です、すぐ東側に「台場」が在りますので行ってみます

道の駅とオートビレジの間を東へ進むと「平舘灯台」です
南へ進むと、左手に台場跡が在ります


南側に広い
駐車場がありますので利用させて頂いました

説明版です
青森県指定文化財
外ヶ浜町指定文化財
史跡 平舘台場跡
平舘台場跡は、嘉永2年(1849年)に弘前藩が構築した砲台である。
弘化4年(1847年)に平舘に異国船が現れ、乗組員が上陸したことを受け、弘前藩が台場を設置した。
台場の遺構は、やや扇形をした土塁に囲まれており、大砲を据えたと考えられる窪地が7ヶ所、出入り口が2ヶ所残されている。
土塁の高さは、約2.3m、幅は概ね10m、土塁内部は南北80m、東西11m程である。土塁には33本の松が植えられている。
平坦地に造られた7つの砲台を持つ西洋流の台場として重要である。
外ヶ浜町教育委員会
*説明版の形が台場の形なのかな


道路を灯台方向(北)へ戻るように進みます


南側の砲台への入り口です、大きな松が土塁の上に生えています

中ほどに「松前街道」の石碑です

北側から見ました


北側の台場入口です

中へ入って北側から南側を見ました、東側に土塁の切れている部分に大砲があったようです



南側の台場入口で見た松を台場内(東側)から見ました



南側から、目通り幹囲3.5m(目測)の大木です

台場の東側陸奥湾沿いを南側から見ました

遠くに下北半島です

下北半島の佐井村、仏ケ浦の南側の岩場が白く見えます

沖を函館方面に客船が通ります
*直ぐ南側の松並木に「長寿の松」というクロマツの巨木があるようでしたが見付けられませんでした
では、次へ行きましょう
外ヶ浜町役場平舘支所前から国道280号線を北へ、約2.8kmで国道右手に「道の駅たいらだて」があります

道の駅の南側の「おだいばオートビレジ」の案内図です、すぐ東側に「台場」が在りますので行ってみます


道の駅とオートビレジの間を東へ進むと「平舘灯台」です

南へ進むと、左手に台場跡が在ります


南側に広い


説明版です
青森県指定文化財
外ヶ浜町指定文化財
史跡 平舘台場跡
平舘台場跡は、嘉永2年(1849年)に弘前藩が構築した砲台である。
弘化4年(1847年)に平舘に異国船が現れ、乗組員が上陸したことを受け、弘前藩が台場を設置した。
台場の遺構は、やや扇形をした土塁に囲まれており、大砲を据えたと考えられる窪地が7ヶ所、出入り口が2ヶ所残されている。
土塁の高さは、約2.3m、幅は概ね10m、土塁内部は南北80m、東西11m程である。土塁には33本の松が植えられている。
平坦地に造られた7つの砲台を持つ西洋流の台場として重要である。
外ヶ浜町教育委員会
*説明版の形が台場の形なのかな



道路を灯台方向(北)へ戻るように進みます



南側の砲台への入り口です、大きな松が土塁の上に生えています


中ほどに「松前街道」の石碑です


北側から見ました



北側の台場入口です


中へ入って北側から南側を見ました、東側に土塁の切れている部分に大砲があったようです




南側の台場入口で見た松を台場内(東側)から見ました




南側から、目通り幹囲3.5m(目測)の大木です


台場の東側陸奥湾沿いを南側から見ました


遠くに下北半島です


下北半島の佐井村、仏ケ浦の南側の岩場が白く見えます


沖を函館方面に客船が通ります

*直ぐ南側の松並木に「長寿の松」というクロマツの巨木があるようでしたが見付けられませんでした

では、次へ行きましょう

