稲垣町豊川千代島地区は、、つがる市役所の北約7km、つがる市役所稲垣出張所の南東約700mのところ
つがる市役所稲垣出張所西側の通りを南に進みます、約700mで左(東)へ、県道161号線です
約500mで突き当りの信号の左先岩木川の土手に目的の「一本タモ」の木が見えました
突然の雷雨のためしばらく車から出られなくなってしまったので、一度南に出て「春日神社のイチョウ」を見てから戻って来ました
(激しい雷雨の中でも、電柱に覆いをして配線作業をされている電力会社?の方々や、道路で誘導されている方々には脱帽です)
信号南側から見ました
土手への登り口から見ました
南側から
市指定文化財 樹齢1000年 一本タモの大きな看板です、枝が邪魔していますが信号西側からでも見えそうですね
説明版です
一本タモ
(つがる市指定文化財「ヤチダモ」)
弘前藩政期(江戸時代)の新田開発の頃、広大な湿地帯に立つこの樹は地域の目印であり、いつしか崇拝の対象ともなったと伝えられる。
このヤチダモの特性である幹のこぶは、夫人の乳房に似ていることから、子孫繁栄のシンボルである「乳の神」として信仰を集めるようになった。
地元で「一本タモ」ちして親しまれているこの樹を指定文化財とし、地域の歴史や郷土愛のシンボルとして保護するものである。
文化財指定 昭和56年9月30日(旧稲垣村指定:1981年)
平成17年2月11日(つがる市指定:2005年)
◆樹齢鑑定◆
樹種 ヤチダモ(モクセイ科)
樹齢 1000年
年月日 平成元年9月10日(1989年) 左記樹齢を経過していることを確認します。
日本樹木保護協会 樹医 山野忠彦
東側から祠です
石碑の文字はハングルの「タモ」と呼べばよいのでしょうか、ネットの五十音表記で調べてみましたが良く解かりませんでした
東北東側から、目通り幹囲7.6mの巨木です
北東側から
北側から見上げました
北側には庚申塔等の石碑が並びます
祠の間から南側の幹を見ました、幹は空洞になっていてモルタルで補修されています
では、次へ行きましょう
つがる市役所稲垣出張所西側の通りを南に進みます、約700mで左(東)へ、県道161号線です
約500mで突き当りの信号の左先岩木川の土手に目的の「一本タモ」の木が見えました
突然の雷雨のためしばらく車から出られなくなってしまったので、一度南に出て「春日神社のイチョウ」を見てから戻って来ました
(激しい雷雨の中でも、電柱に覆いをして配線作業をされている電力会社?の方々や、道路で誘導されている方々には脱帽です)
信号南側から見ました
土手への登り口から見ました
南側から
市指定文化財 樹齢1000年 一本タモの大きな看板です、枝が邪魔していますが信号西側からでも見えそうですね
説明版です
一本タモ
(つがる市指定文化財「ヤチダモ」)
弘前藩政期(江戸時代)の新田開発の頃、広大な湿地帯に立つこの樹は地域の目印であり、いつしか崇拝の対象ともなったと伝えられる。
このヤチダモの特性である幹のこぶは、夫人の乳房に似ていることから、子孫繁栄のシンボルである「乳の神」として信仰を集めるようになった。
地元で「一本タモ」ちして親しまれているこの樹を指定文化財とし、地域の歴史や郷土愛のシンボルとして保護するものである。
文化財指定 昭和56年9月30日(旧稲垣村指定:1981年)
平成17年2月11日(つがる市指定:2005年)
◆樹齢鑑定◆
樹種 ヤチダモ(モクセイ科)
樹齢 1000年
年月日 平成元年9月10日(1989年) 左記樹齢を経過していることを確認します。
日本樹木保護協会 樹医 山野忠彦
東側から祠です
石碑の文字はハングルの「タモ」と呼べばよいのでしょうか、ネットの五十音表記で調べてみましたが良く解かりませんでした
東北東側から、目通り幹囲7.6mの巨木です
北東側から
北側から見上げました
北側には庚申塔等の石碑が並びます
祠の間から南側の幹を見ました、幹は空洞になっていてモルタルで補修されています
では、次へ行きましょう