ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

青森県鰺ヶ沢町、釣町「来生寺のイチョウ」(町指定)です!!

2023-07-04 18:30:48 | 巨樹・大木
 釣町は、鰺ヶ沢町役場の西約3kmのところ

 鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西へ、約3.1kmで標識に従って鰺ヶ沢漁港方面右(北)へ

 すぐ先の丁字路を左(西)へ、道成りに坂道を下って一時停止の交差点の右(東)に

 西側の道路脇に車を止めさせて頂きました


 真宗大谷派 来生寺です

 釣町の標柱です

 境内に入ると目的のイチョウが見えました

 境内左手に鐘楼です

 北西側から

 西側から、目通り幹囲は4m程(目測)の大木です


 説明版です
   鰺ヶ沢町指定文化財
     記念物 いちょう 1本
       昭和62年8月20日指定
 いちょうは、イチョウ科イチョウ属に分類され、古い時代に日本に渡来し、社寺の境内や街路樹として広く植えられている。
 老木になると乳と言われる気根がでることがある。
 このいちょうは、樹齢約400年で来生寺建立の記念樹として植えられたと伝えられる。
     鰺ヶ沢町教育委員会

*また「水ふきのイチョウ」とも言われ、昭和7年の鰺ヶ沢大火の時、火災から寺を守ったという。
 
 南側(本堂前)から見ました

 本堂です 

 化石塚です

 説明版です
   鰺ヶ沢町指定文化財
     歴史資料 化石塚
       昭和58年4月20日指定
 小野化石は、津軽一帯で活躍した江戸時代後期の俳諧宗匠。鰺ヶ沢の釣町に住み、紺屋灰(染物のときに使う灰)等を商っていた。
 襲名して金兵衛を名乗っており、化石は俳号である。文政元年(1818)没。
 化石の句「磯山や 四月の袖に 桜散」を刻んだこの句碑は、化石の門弟らによって文政9年(1826)に建てられた。
 元は堀切沢の丘の上に建てられていたが、倒れたまま放置されていたのを現在地に移した。
      鰺ヶ沢町教育委員会

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青森県鰺ヶ沢町、日照田町野脇「日照田観音・高倉神社のいちょう」(町指定)です!!

2023-07-04 06:29:55 | 巨樹・大木
 日照田町野脇地区は、鰺ヶ沢まち役場の南西約6kmのところ

 鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西(深浦町方面)へ道成りに進みます

 約6.1kmで標識に従って赤石川渓流・くろくまの滝方面へ左の旧道(県道190号線)へ

 間も無くJR五能線の踏切を渡って、約3.4km左へ左へと県道190号線を進むと

 県道の左手(東側)に石の鳥居が見えて来ます

 高倉神社の参道入口です

 高倉神社の社號標です

 真っ直ぐに東へ入ります

 突き当りにイチョウの樹冠が確認できます

 ニノ鳥居は、木造の赤鳥居です

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 鳥居の南側には聖観音像です

 鳥居前から目的のイチョウを見ましたが幹は見えませんね~

 西側から

 「記念物 いちょう」の標柱ですが、消えかかっています

 説明版です
  鰺ヶ沢町指定文化財
    記念物 いちょう(1本)
      昭和62年8月20日指定
 いちょうは、中国原産で、老木になると「ちち」という気根が下がる。母乳の出が思わしくない女性がこの気根に触れて、お乳がいっぱい出るように祈る風習がある。種子は銀杏といって食用になるが、雄花が咲く木には実がならない。
 樹齢約800年、幹回り8.0m。
 日照田高倉神社は、明治以前は飛竜宮と称され、大同2年(807)坂上田村麻呂創建伝承のある古い歴史を持つ。
 津軽33観音第8番札所である。秘仏本尊は十一面観音で、その昔若者の姿に身を変えて、この村の田畑の仕事を手伝ったという伝説が残っている。
      鰺ヶ沢町教育委員会

 根元から見上げました

 参道石段を上ります

 横側(南西側)から

 立派な乳柱を見る事が出来ます

 真横から

 上側から見ました

 社殿は、参道石段にずっと先です諦めました

 説明版です(一ノ鳥居の所に有ります)
  白神赤石見所案内
    高倉神社・赤石城跡
  高倉神社
 伝説では、大同2年(807)、坂上田村麻呂による創建とされる。
 十一面観音を祀る津軽33観音8番札所。
  赤石城跡
 日照田集落の裏山全体を利用して築かれた大規模な城跡。
 段々山とも呼ばれ、蛇がとぐろを巻いた形に似ていることから別名・伏蛇城ともいう。
 種里城に入部した大浦光信が明応元年(1492)に築城し、後の津軽藩主・為信が生まれた城とされている。
 このため高倉神社裏の主郭は嫡子館と呼ばれる。
   作成:白神山地と赤石渓流の観光を考える会  
 
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