ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県大館市、松峰大山「松峰神社参道の大スギ」です!!

2023-07-23 18:30:00 | 巨樹・大木
 松峰大山地区は、大館市役所の北北西約6km、大館市役所花岡出張所の南西約2kmのところ

 大館市役所花岡出張所前から県道192号線を南西へ、約1.2kmで右からの道路と合流して南へ進みます

 約1.2kmで押し釦信号のある交差点を右(西)へ、約300mの橋を渡って直ぐ右(北)へ

 道成りに砂利道を進むと

 大山(大峯山)案内板があります

 砂利道をジグザグに登って行きます

 大峯神社一ノ鳥居が見えて来ました

 スギ並木入口です

 一番手前左側に目的の大杉です

 北西側から、二本の杉が合体した様なスギです

 北側から、目通り幹囲6.2mの巨木です


 参道を歩く人は少ないようです



 南側から見ました

 菅江真澄の道の標柱です、享和3年(1803)6月27日 松峰山に登る〈にえのしがらみ〉
 「松峰神社:いや高く しげるむら松 峯のこえ 千代ふき伝う 寿の寺」とあります。


 もう少し奥まで車で入れます

 車道左に、参道の大杉に次ぐ大木と思われるスギです

 北西側から見上げました、巨樹・巨木林データベースによる目通り幹囲5.4mの個体と思われます


 手水舎です

 長い参道石段です

 説明版です
   松峰神社縁起
 松峯神社は、言い伝えによれば、平安時代初めの弘仁8年(817)弘法大師によって開基され、金銅の大日如来を本尊とし、四民安全を祈願した。
 弘仁13年(822)には左大臣誠公が御堂を建立したが、天安3年(859)3月3日、当地方を襲った、大地震により、御堂、仏像、その他すべて、埋没してしまった。しかし、寛平7年(895)宇多天皇の御勅願所となり、奉行小野良房が再建した。
 以後五百余年間の状況はつまびらかでないが、室町時代に至り、秋田郡比内庄司となった浅利氏が応永9年(1402)御堂を修復して祈願所とした。
 浅利氏滅亡後、第3代大館城代佐竹義房(万治元年ー1658より27年間)が本尊として千手観音を祭り、真言宗松峰山伝寿院として再興した。その後、本尊が不動明王に変わり、再三火災に会ったが、その都度再建されて幕末に至った。
 明治3年(1870)、維新政府の政策に従い、主神を月夜見命とし、名称を松峰神社と改め、現在に至っている。



 周囲は松峰山信仰遺跡群です

 説明プレートです
  松峰山信仰遺跡群(まつみねさんしんこういせきぐん)
    市指定史跡  2009年5月1日
 松峯神社を中心に古代・中世に縁起を持つ密教遺跡が分布する史跡です。
 松峰山(大山 標高375.7m)には信仰遺跡が多数見られ、参道にスギの巨木が並んでいます。
 807年、弘法大師の開基という伝説を持ち、本尊は不動明王と言われています。
 江戸時代には、松峯不動堂の別当伝寿院が大館城代佐竹氏から扶持(給与)を受けています。
 現在の御堂は、1867年建立。明治政府の神仏分離政策により松峯神社と称することとなりました。
 祭神は月夜見大神、天照大神などです。

 長い石段を上がって来ました、石段を見下ろしました

  社殿です

 境内北端に手水舎があります

 南端にはイチョウの大木です

 社殿南側のカツラの大木です

 
 直ぐ上には薬師堂です

 では、車道を下って次へ行きましょう

 社殿の南側にはカツラの大木です
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秋田県大館市、花岡町七ツ館「信正寺のイチョウ」(ふるさと探訪名木)です!!

2023-07-23 12:28:00 | 巨樹・大木
 花岡町七ツ館地区は、大館市役所の北約7km、大館市役所花岡出張所の直ぐ北西側です

 大館市役所花岡出張所の前の道を北西へ花岡川の土手道を進みます

 約300mで次の橋に所に東向き参道で信正寺があります

 秋田第三十三満願霊場 信正寺です

 境内では大型トラックが入って作業中でしたので、入口脇に車を止めさせて頂きました

 境内へ入ると左手に目的のイチョウが頑丈そうな支柱に支えられています

 「ふるさと探訪並木名園名木保存事業」の標柱です

 北東側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

 本堂前境内中央から見ました

 本堂です

 東側の大枝です

 西側の大枝です

 説明版です
   信正寺由来
 当寺はもと岩本の男神女神の麓にあって、真言宗に属し「森昌寺」と号していた。
 天正の頃、七ツ館のの現在地に移転したと言われている。天正2年(1574)12月、花岡城浅利定頼公が、秋田実季と戦い戦死し、その後、子息の定友公が当寺を再建し、定頼公を開基とする。
 徳川初期には、今の「曹洞宗」に属していたようであるが、その後承応元年(1862)3月25日、大館宗福寺8世快厳存鷹大和尚を請して開山第1世とし、明確に「曹洞宗」として宗福寺の末寺となった。
 本尊は「千手観音菩薩」であり、秋田観音33番の札所である。
 尚「信正寺」の名称は、秋田家の家士、川田治郎信正の名によると言われているが、年代等不詳である。
 この境内のイチョウの老木は樹齢約650年である。

 アブが集まります、エンジンを止めて下さいですって、この辺りのアブの出現は7月下旬からでしょうか

 では、次へ行きましょう
 
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青森県弘前市、鬼沢菖蒲沢「鬼沢のカシワ(鬼神腰掛柏)」(県指定)です!!

2023-07-23 06:40:16 | 巨樹・大木
 鬼沢菖蒲沢地区は、弘前市役所の北北西約10km、弘前市役所親和出張所の西南西約3kmところ

 弘前市役所親和出張所前から、県道37号線を北西へ、約400mで左(南西)への県道133号線へ

 道成りに約2.9kmで丁字路を左(南)へ、約200mで自得小学校前信号の直ぐ先を右(西)へ入ります

 鍵の手に進んで、リンゴ畑の中の道路を西へ登って行くと

 右手に目的のカシワの木が倒れるようになって在ります

 上って来た道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から近付きます

 大山祇神社の祠です

 左手に倒れるように目的のカシワです

 立派な鬼神腰掛柏の石碑です

 説明版です
   県天然記念物
     鬼沢のカシワ
       平成10年4月22日指定
 昔、岩木山の大人(鬼)が、知り合いとなった村人に様々な知恵を授けたり、用水堰を作ってくれたという伝説をもつ。
 その時、鬼がこの木に腰を掛けたとされ、いつの頃からか「鬼神腰掛柏」と呼びまつられている。
   管理者 宗教法人鬼神社
   弘前市教育委員会

*管理者の鬼神社は、ここから東へ約700mです


 北西側から、太い幹が折れた様になっています

 南西側から、枝が支柱に支えられていました

 では、次へ行きましょう


 自得小学校前信号から南へ約800mの道路の広く成った所に、鬼沢名所案内図が有ります、カシワも記入されていました

 頂上付近に雲がかかった残雪ののこる岩木山が見えました
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