松峰大山地区は、大館市役所の北北西約6km、大館市役所花岡出張所の南西約2kmのところ
大館市役所花岡出張所前から県道192号線を南西へ、約1.2kmで右からの道路と合流して南へ進みます
約1.2kmで押し釦信号のある交差点を右(西)へ、約300mの橋を渡って直ぐ右(北)へ
道成りに砂利道を進むと
大山(大峯山)案内板があります
砂利道をジグザグに登って行きます
大峯神社一ノ鳥居が見えて来ました
スギ並木入口です
一番手前左側に目的の大杉です
北西側から、二本の杉が合体した様なスギです
北側から、目通り幹囲6.2mの巨木です
参道を歩く人は少ないようです
南側から見ました
菅江真澄の道の標柱です、享和3年(1803)6月27日 松峰山に登る〈にえのしがらみ〉
「松峰神社:いや高く しげるむら松 峯のこえ 千代ふき伝う 寿の寺」とあります。
もう少し奥まで車で入れます
車道左に、参道の大杉に次ぐ大木と思われるスギです
北西側から見上げました、巨樹・巨木林データベースによる目通り幹囲5.4mの個体と思われます
手水舎です
長い参道石段です
説明版です
松峰神社縁起
松峯神社は、言い伝えによれば、平安時代初めの弘仁8年(817)弘法大師によって開基され、金銅の大日如来を本尊とし、四民安全を祈願した。
弘仁13年(822)には左大臣誠公が御堂を建立したが、天安3年(859)3月3日、当地方を襲った、大地震により、御堂、仏像、その他すべて、埋没してしまった。しかし、寛平7年(895)宇多天皇の御勅願所となり、奉行小野良房が再建した。
以後五百余年間の状況はつまびらかでないが、室町時代に至り、秋田郡比内庄司となった浅利氏が応永9年(1402)御堂を修復して祈願所とした。
浅利氏滅亡後、第3代大館城代佐竹義房(万治元年ー1658より27年間)が本尊として千手観音を祭り、真言宗松峰山伝寿院として再興した。その後、本尊が不動明王に変わり、再三火災に会ったが、その都度再建されて幕末に至った。
明治3年(1870)、維新政府の政策に従い、主神を月夜見命とし、名称を松峰神社と改め、現在に至っている。
周囲は松峰山信仰遺跡群です
説明プレートです
松峰山信仰遺跡群(まつみねさんしんこういせきぐん)
市指定史跡 2009年5月1日
松峯神社を中心に古代・中世に縁起を持つ密教遺跡が分布する史跡です。
松峰山(大山 標高375.7m)には信仰遺跡が多数見られ、参道にスギの巨木が並んでいます。
807年、弘法大師の開基という伝説を持ち、本尊は不動明王と言われています。
江戸時代には、松峯不動堂の別当伝寿院が大館城代佐竹氏から扶持(給与)を受けています。
現在の御堂は、1867年建立。明治政府の神仏分離政策により松峯神社と称することとなりました。
祭神は月夜見大神、天照大神などです。
長い石段を上がって来ました、石段を見下ろしました
社殿です
境内北端に手水舎があります
南端にはイチョウの大木です
社殿南側のカツラの大木です
直ぐ上には薬師堂です
では、車道を下って次へ行きましょう
社殿の南側にはカツラの大木です
大館市役所花岡出張所前から県道192号線を南西へ、約1.2kmで右からの道路と合流して南へ進みます
約1.2kmで押し釦信号のある交差点を右(西)へ、約300mの橋を渡って直ぐ右(北)へ
道成りに砂利道を進むと
大山(大峯山)案内板があります
砂利道をジグザグに登って行きます
大峯神社一ノ鳥居が見えて来ました
スギ並木入口です
一番手前左側に目的の大杉です
北西側から、二本の杉が合体した様なスギです
北側から、目通り幹囲6.2mの巨木です
参道を歩く人は少ないようです
南側から見ました
菅江真澄の道の標柱です、享和3年(1803)6月27日 松峰山に登る〈にえのしがらみ〉
「松峰神社:いや高く しげるむら松 峯のこえ 千代ふき伝う 寿の寺」とあります。
もう少し奥まで車で入れます
車道左に、参道の大杉に次ぐ大木と思われるスギです
北西側から見上げました、巨樹・巨木林データベースによる目通り幹囲5.4mの個体と思われます
手水舎です
長い参道石段です
説明版です
松峰神社縁起
松峯神社は、言い伝えによれば、平安時代初めの弘仁8年(817)弘法大師によって開基され、金銅の大日如来を本尊とし、四民安全を祈願した。
弘仁13年(822)には左大臣誠公が御堂を建立したが、天安3年(859)3月3日、当地方を襲った、大地震により、御堂、仏像、その他すべて、埋没してしまった。しかし、寛平7年(895)宇多天皇の御勅願所となり、奉行小野良房が再建した。
以後五百余年間の状況はつまびらかでないが、室町時代に至り、秋田郡比内庄司となった浅利氏が応永9年(1402)御堂を修復して祈願所とした。
浅利氏滅亡後、第3代大館城代佐竹義房(万治元年ー1658より27年間)が本尊として千手観音を祭り、真言宗松峰山伝寿院として再興した。その後、本尊が不動明王に変わり、再三火災に会ったが、その都度再建されて幕末に至った。
明治3年(1870)、維新政府の政策に従い、主神を月夜見命とし、名称を松峰神社と改め、現在に至っている。
周囲は松峰山信仰遺跡群です
説明プレートです
松峰山信仰遺跡群(まつみねさんしんこういせきぐん)
市指定史跡 2009年5月1日
松峯神社を中心に古代・中世に縁起を持つ密教遺跡が分布する史跡です。
松峰山(大山 標高375.7m)には信仰遺跡が多数見られ、参道にスギの巨木が並んでいます。
807年、弘法大師の開基という伝説を持ち、本尊は不動明王と言われています。
江戸時代には、松峯不動堂の別当伝寿院が大館城代佐竹氏から扶持(給与)を受けています。
現在の御堂は、1867年建立。明治政府の神仏分離政策により松峯神社と称することとなりました。
祭神は月夜見大神、天照大神などです。
長い石段を上がって来ました、石段を見下ろしました
社殿です
境内北端に手水舎があります
南端にはイチョウの大木です
社殿南側のカツラの大木です
直ぐ上には薬師堂です
では、車道を下って次へ行きましょう
社殿の南側にはカツラの大木です