ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

青森県深浦町、岩坂「石動の夫婦イチョウ」(町指定)です!!

2023-07-03 18:50:55 | 巨樹・大木
 岩坂地区は、深浦町役場の東北東約17km、深浦町役場大戸瀬支所の南約5kmのところ

 深浦町役場大戸瀬支所から国道101号線へ出て、「折曽のイチョウ」から東へ進みます

 約400mで右(南)へ入ります、JR五能線を陸橋で越えて、工事中の道路を旧道へ

 間も無くJR陸奥柳田駅前から来た県道191号線に合流します

 道成りに約3kmで湯野集落です、道路を広い方へと進むと砂利道になってしまって間違いに気付きました

 しばらく進んで左下にイチョウの樹冠が確認出来ましたが、下へ降りる道路が有りませんでしたので、湯野集落まで戻りました

 集落の沢の橋の所まで戻って、集落の中を東へ、大童子川添いの細い舗装道路を南へ進みます

 約400mで道路の先にイチョウが見えて来ました

 間も無くです

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路の左手(東側、川側)に夫婦イチョウの片方です

 もう一本は、道路の右手(西側、山側)に在ります

 道路東側の一本を西側から

 南西側から

 南側から

 離れて見ました

 道路西側に「「町の巨樹・古木」の標柱です

 説明版です
   町指定天然記念物
     夫婦イチョウ
        平成7年11月28日指定
 このイチョウは道を挟んで2本並んでおり、2本とも幹周り11.2mで、10mを越えるイチョウは県内でも珍しいものです。
 昔、3人の杣夫(そまふ)が、マサカリでイチョウに穴を開け、ハチミツを取ったといわれています。
 川側のイチョウの幹にはマサカリで開けたと思われる穴があり、山側のイチョウの幹には雷が落ちて燃えたあとが黒く焦げて空洞となっています。
 昔から神木として信仰あつい老巨樹です。
     深浦町教育委員会
*表題の石動(いするぎ)は地域名のようです、二本ともに雄木のため銀杏はならないそうです

 北側の祠です

 道路西側(山側)のイチョウを北東側から

 こちらの根元にも祠が在ります

 南東側から見ました、中心部の幹は無くなってしまっています

 幹の穴(説明版のマサカリで開けた穴かは不明)からは、別の植物が成長していました

 では、次へ行きましょう
 
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青森県深浦町、関栃沢「関の甕杉(県指定)と関の古碑群(県史跡)」です!!

2023-07-03 06:36:46 | 巨木・文化財
 関栃沢地区は、深浦町役場の、深浦町役場戸瀬支所の南東約700mのところ

 山の斜面に「甕杉」が在ります(JR五能線の陸橋の上から見ました)

 国道101号線いこいの駐車場に入りました


 「片曽のイチョウ」から旧道を東へ

 右手の斜面上に「甕杉」を見上げました

 上り口の標柱、と菅江真澄の道の標柱です、文面には・・・深浦を出立して鰺ヶ沢に向かう真澄は、寛政9年(1779)5月7日(「つがろのおち」)、関邑の安浄寺(浄安寺)の「しりよりいりて」甕杉、阿弥陀杉を見る。
 「あみだ杉とて田のほとりにあり」(現在はない)「かめ杉は山ぎはの小高き処にあり、その木のもとに貞和3年(1347)貞治6年(1367)の石ぶみどもたてり」と記している。当時すでにこの杉の下に石碑が置かれていた。


 石碑には「有名なる亀杉の下に600年前の古碑あり」と有りますので新しものかもしれません

 石段を上がります

 石段の先に目的のスギが見えて来ました

 中段に

 甕杉延命地蔵菩薩の祠

 説明版です
  関の甕杉と古碑群(供養碑)
 甕杉はこの地方を遊覧した菅江真澄の記録にも図示され、甕の形に似ているのでこう名づけられた。たらちねの大銀杏と共に安東氏ゆかりのものか。推定樹齢は1000年。
 樹下の古碑(板碑)は南北朝時代(14世紀)安東一族によって建てられ北朝年号が刻まれている供養塔で、付近の田畑に散在していたものをここに安置した。
 阿弥号の人もあるので時宗の影響も考えられる。
       津軽深浦

 甕杉の立つ面に上がって来ました

 南東側から太い幹を見上げました

 東側から、目通り幹囲8.2mの巨木です

 町の巨樹・古木の標柱です、名称は「関の杉」です

 北東側から

 北側から

 北西側(古碑の前)から

 南西側から見ました



 古碑群と刻字説明版があります



 古碑群(42基)です、左から右へ3枚分で並んでいます


 刻印の一部は読めなくなっています

 更に北側にも数基の板碑が並んでいます

 説明版です
   県指定史跡
     関の古碑群
        昭和30年1月7日指定
 この古碑は、61cm~160cmある大小不同の自然石を使用した供養碑で、この場所から42基出土されており、最も古い碑は暦応3年(1340)で新しいのは応永8年(1401)と判明しています。
 この碑には死者の冥福を祈る追善供養碑と、生前に仏事を修めて死後の冥福を祈念する逆修石塔があります。
 碑面には、安倍という姓が刻まれていることから、その一族を供養するために建てられたと推測されます。また、この周辺には城跡があり「折曽の関」といわれていることから、歴史的に重要な資料であります。
 宗派的には”阿号”が判明されているので、一遍上人を開基宗祖とする時宗の信徒によったものと考えられます。
         深浦町教育委員会


 東側に祠です


 北側に広がる日本海を見ました

 では、車に戻って次へ行きましょう
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