ここからは、2023年6月7日取材分です、前日寄り忘れた松源寺に朝一番で訪問させて頂きました
赤石町名原地区は、鰺ヶ沢町役場の西南西約7kmのところ
鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西(深浦町方面)へ道成りに進みます
約6.1kmで標識に従って赤石川渓流・くろくまの滝方面へ左の国道の旧道(県道190号線)へ
間も無くJR五能線の踏切を渡って約400mで斜め左の県道190号線へ
約400mの交差点のところ左手に松源寺への参道が開いています
西向きに松源寺入口です
説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
考古資料 松源寺の板碑
昭和58年4月20日指定
板碑とは、石材を用いた卒塔婆のことで、死者の供養のために建てられた。年代は全て南北朝時代(1336~1392)のものと推定される。
中央板碑には、阿弥陀如来を表す梵字(キリーク)が刻まれている。左側と右側の板碑は、梵字(サ)で観世音菩薩を表す。
当時この地方に勢力を誇った豪族・安藤氏のの関わりがうかがえる資料である。
天然記念物 松源寺のクロマツ・ケヤキ
昭和62年8月20日指定
松源寺の創建は承応年間(1652~1655)と伝えられる。
クロマツ二本とケヤキは、しの頃からのものと考えられる。
鰺ヶ沢町教育委員会
急な坂道の参道を上って、境内に車を止めさせて頂きました
石造りの鐘楼門形式の山門です
山門前から北側に目的のケヤキです
南側からケヤキを見ました
目通り幹囲約4m(目測)の大木です
山門を入ると境内本堂前に目的のクロマツです
西側から見ました、もう一本は本堂裏にあるようですが行きませんでした
本堂です
では、次へ行きましょう
赤石町名原地区は、鰺ヶ沢町役場の西南西約7kmのところ
鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西(深浦町方面)へ道成りに進みます
約6.1kmで標識に従って赤石川渓流・くろくまの滝方面へ左の国道の旧道(県道190号線)へ
間も無くJR五能線の踏切を渡って約400mで斜め左の県道190号線へ
約400mの交差点のところ左手に松源寺への参道が開いています
西向きに松源寺入口です
説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
考古資料 松源寺の板碑
昭和58年4月20日指定
板碑とは、石材を用いた卒塔婆のことで、死者の供養のために建てられた。年代は全て南北朝時代(1336~1392)のものと推定される。
中央板碑には、阿弥陀如来を表す梵字(キリーク)が刻まれている。左側と右側の板碑は、梵字(サ)で観世音菩薩を表す。
当時この地方に勢力を誇った豪族・安藤氏のの関わりがうかがえる資料である。
天然記念物 松源寺のクロマツ・ケヤキ
昭和62年8月20日指定
松源寺の創建は承応年間(1652~1655)と伝えられる。
クロマツ二本とケヤキは、しの頃からのものと考えられる。
鰺ヶ沢町教育委員会
急な坂道の参道を上って、境内に車を止めさせて頂きました
石造りの鐘楼門形式の山門です
山門前から北側に目的のケヤキです
南側からケヤキを見ました
目通り幹囲約4m(目測)の大木です
山門を入ると境内本堂前に目的のクロマツです
西側から見ました、もう一本は本堂裏にあるようですが行きませんでした
本堂です
では、次へ行きましょう