ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県高岡市、常国「弓之清水の大杉」です!!

2023-05-26 18:30:07 | 巨樹・大木
 常国地区は、高岡市役所の南約7kmのところ、庄川の扇状地の東端にあたります

 高岡市役所の南側道路を南東へ、道路は右にカーブして約700mで中川信号を左(東)へ県道44号線です

 道成りに2.4km進んで庄川を渡った北野信号を右(南)へ県道11号線です

 約2,6kmの下条の交差点を斜め左へ県道11号線から県道239号線へ道成りに南へ

 約3.1kmで串田信号を右(南南西)へ、約700mで坂道を下る左手に

 弓之清水があります

 右手の常国神社の駐車場に車を止めさせて頂きました

 案内図です、図の左側が北に当たります、弓之清水は庄川扇状地の段丘崖の下の面です

 源(木曽)義仲像です

 西側から「弓之清水」を見ました、綺麗な水が湧出しています

 水源は玉垣に囲われて井戸状になっています

 とやまの名水「弓の清水」の標柱です

 石碑です
   弓之清水
 寿永2年(1183)源平般若野の合戦に木曽義仲の軍勢人馬諸共渇したるところ甚だしく、この地の松原大助の進言でこの地に弓を射た所、清き水涌出して渇きを医て士気大いに上がったところである。
   常国旧蹟保存会

 弓泉碑です、漢文の為読めませんが・・・


 弓之清水の直ぐ北側に目的の大杉です

 南東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 東側から、幹は大きく二幹に分れています、合体木かもしれませんね~

 北側から見ました

 階段を上って上の段へ行ってみました

 祠があります

 北側へ進むと

 源平般若野古戦場の石碑です
   般若野古戦場
 この地帯は、寿永2年(1183)5月9日源義仲の今井四郎兼平と平家の武将平盛俊とが戦った古戦場である。
 弓の清水は、その時の遺蹟である。敗れた平家軍は西に走って5月11日、倶利伽羅で両軍が雌雄を決したのである。
   常国旧蹟保存会
*今は東側を道路が通って田圃が広がっています、庄川扇状地の段丘崖の上の面です


 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後2時20分訪問です
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富山県砺波市、正権寺「五社能社の大杉(市指定)とサワラ・カエデ(保存樹)」です!!

2023-05-26 12:30:26 | 巨樹・大木
 正権寺地区は、砺波市役所の東約9kmのところ、庄川に右岸側河岸段丘の上になります

 市役所前信号から東へ市道を進みます、約1.5kmで右からの県道に合流して更に東へ、県道72号線です

 約6.7kmで庄川を砺波大橋で右岸へ渡ります、約4kmで河岸段丘上を進んむと

 右手下側の田圃の中に五社神社が東向き参道で鎮座します

 県道から右(南)に下りて、東側から参道(農道?)を入ります

 参道鳥居前広場に車を止めさせて頂きました



 鳥居脇に保存樹第165号のサワラです

 鳥居を潜ると水盤です


 左手に二本のカエデです


 東側のカエデです、保存樹第79号です



 西側の太いカエデも保存樹第78号です

 拝殿です

 拝殿脇からカエデを見ました


 本殿です 

 本殿裏側(西側)の境内に目的のスギです

 南側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 標柱には「権正寺五社能社の大杉 砺波市ふるさと文化財」となっています

 保存樹でもあります
   保存樹
1 所在地  砺波市正権寺73番地
2 樹種   スギ
3 所有者(管理者) 五社神社(宮総代)
4 指定番号 平成6年3月 保存樹指定第77号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則第4条第1項第1号該当
     砺波市

 
 北東側から

 本殿越しに大杉の樹冠です


 大杉の南側の杉の木にはフジが満開でした

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後1時50分訪問です
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富山県砺波市、徳万「徳万五社神社のスギ」(保存樹林)です!!

2023-05-26 06:30:07 | 巨樹・大木
 徳万地区は、砺波市役所の東約5kmのところ

 市役所前信号から東へ市道を進みます、約1.5kmで右からの県道に合流して更に東へ、県道72号線です

 約6.7kmで庄川を砺波大橋で右岸へ渡ります、砺波大橋を渡り切って約1kmの宮森信号を右(南)へ

 約1kmで左(東)へ、五社神社の参道になっています

 河岸段丘の斜面に西向きに五社神社が鎮座します、鳥居です

 鳥居前の手水舎脇に車を止めさせて頂きました

 参道石段を上がります

 石段上左手に目的のスギです

 境内面に上がって来ました、南側から見ました

 南東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 東側から

 拝殿です

 拝殿前から見ました

 本殿は更に上の河岸段丘斜面に建っています

 境内は<保存樹林です
   砺波市保存樹林
1 所在地   砺波市徳万88番地1号
2 樹種    スギ、ケヤキの樹林(5649㎡)
3 所有者(管理者) 徳万五社神社(氏子総代)
4 指定番号  平成6年3月 保存樹林指定第9号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第14条第1項第2号ア該当
    砺波市

 境内面の欅の大木です


 本殿の建っている斜面にも多くのケヤキの大木を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう
 
 2023年4月21日午後1時20分訪問です
 
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富山県砺波市、福岡「厳照寺の門杉」(県指定)です!!

2023-05-25 18:30:26 | 巨樹・大木
 福岡地区は、砺波市役所の東約6kmのところ

 市役所前信号から東へ市道を進みます、約1.5kmで右からの県道に合流して更に東へ、県道72号線です

 約6.7kmで庄川を砺波大橋で右岸へ渡ります、砺波大橋を渡り切って約1.8kmの河岸段丘上の宮森新信号を右(南)へ

 約200mで右手に厳照寺の参道が東向きに開いています

 向かい(東)側の公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 浄土真宗 本願寺派 厳照寺です

 参道を進みます

 境内左手(南)に鐘楼です


 梵鐘は砺波市指定文化財(工芸)です

 南東側から目的の「門杉」です

 正面(東側)から、門杉の間からすぐ先に本堂が見えています

 北東側の境内広場から見ました

 説明版です
   巖照寺の指定文化財
 巖照寺は井波瑞泉寺と共に本願寺5代綽如の開基になるといわれる。もと現在の庄川の河中にあたる場所にあったが、天正13年(1585)の庄川東遷以来その寺地を洪水におかされ、一時権正寺村へ移り、その後の正保4年((1647)加賀藩から百間四方の拝領地を受けて現在地に移った。
 現在、県指定1件、市指定3件の文化財がある。
【富山県指定文化財】
  天然記念物 厳照寺の門杉 (昭和40年10月1日指定)
 厳照寺の本堂正面に並ぶ南北二本の大きな杉。
 寺に向かって左の南樹は胸高幹まわり6.63m、樹高35m、右の北樹は胸高幹まわり6.57m、樹高40mである。
 この杉は、日本海型のアシオスギ(芦生杉)の一種であるタテヤマスギ系の地方種マスヤマスギで、樹齢は約450年と推定される。正保4年の移転以前から、この二本の杉はあったと伝えられている。
【砺波市指定文化財】
  ●彫刻 木造阿弥陀如来立像 (昭和42年10月6日指定)
 檜の一木造りで挙身光背を背に魚鱗葺の蓮華座に立つ。
 像高19cm。作者は恵心僧都(源信)と伝える。
 台座の形式より、平安末期か鎌倉初期の作と考えられている。現在、当寺の内仏として拝されている。
  ●工芸 厳照寺の梵鐘    (昭和43年7月24日指定)
 この銅製梵鐘は、寛永15年(1638)に砺波郡西保(現高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたことが銘文によって知られる。
 鐘身96cm、竜頭21cm、口径(外経)70cm。
 江戸時代的な過飾はみられず、製作は寛永年間であるが室町期の様式を踏襲している。
  ●考古資料 御物石器    (昭和37年5月28日指定)
 中尾遺跡(砺波市中尾)から出土し、のちに巖照寺へ寄付され、重量感のある大形石器で、長さ32cm、幅9.6cm。
 縄文時代晩期のもので、祭祀や墓葬儀礼に用いたとみられている。御物石器の分布は飛騨・美濃地方に集中し、北陸地方でも出土している。
    平成14年10月30日   富山県教育委員会
                  砺波市教育委員会

 境内は保存樹林です
    砺波市保存樹林
1 所在地 砺波市福岡172番地
2 樹種  スギ・イチョウの樹林(7538㎡)
3 所有者(管理者) 厳照寺(代表 西脇順祐)
4 指定番号  平成6年3月 保存樹林指定第10号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第14条第1項第2号ア該当
    砺波市

 南側のスギです

 北側から

 北西側から

 北側のスギです

 南側から

 南西側から


 本堂です

 本堂前から南側のスギです

 本堂前から北側のスギです

 本堂北側の庫裏の駐車場には、保存樹林案内板にあったようにイチョウの大木が二本立っています



 境内にはシャクナゲが綺麗でした

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後1時30分訪問です
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富山県砺波市、安川「日吉神社のスギ」(保存樹林)です!!

2023-05-25 12:31:08 | 巨樹・大木
 安川地区は、砺波市役所の東南東約5kmのところ、庄川の右岸側です
 
 砺波市役所西側の国道156号線を南へ、約1.0kmの花園町信号を左(南東)へ国道359号線です

 約4kmで、となみ野大橋で庄川を渡って右岸側へ、約2kmの頼成(北)信号を右(南)へ県道11号線です

 約1.9kmで右手に日吉神社の社號標が見えました

 県道11号線沿い東向きに日吉神社社號標です

 参道を西へ入ります、幟の支柱と一ノ鳥居です

 境内入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 手水舎です

 献馬像です

 拝殿です


 本殿覆い屋です

 境内は保存樹林です
   砺波市保存樹林
1 所在地  砺波市安川西ー423番地
2 樹種   スギ、エノキの樹林(1612㎡)
3 所有者(管理者)  日吉神社(総代)
4 指定番号 平成6年3月 保存樹林指定第6号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第14条第1項第2号ア該当
    砺波市

 拝殿南側に目的のスギです

 東側から、太い注連縄が巻かれて御神木です

 南東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 西側(本殿覆い屋の南側)から見ました、南西面に傷みが見られますがまだまだ元気にしていて欲しいですね


 社殿北側にもスギの大木です

 更に北側の境内社は神明社です、立派な鳥居と社號標があります

 本殿の裏側(西)にもスギの大木です

 保存樹林案内板にあったエノキの太いものは見当たりませんでした

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後1時訪問です
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富山県砺波市、庄川町庄「伝恩光寺跡の二本杉」(市指定)です!!

2023-05-25 06:30:03 | 巨樹・大木
 庄川町庄地区は、庄川右岸の広い地域です、二本杉のあるのは河岸段丘の二段目から東側の山地に入ったところ

 砺波市役所の南東約7km、砺波市役所庄川支所の北北東約3kmのところ

 砺波市役所庄川支所南側の県道371号線を東へ、庄川を舟戸橋で渡り約1kmで県道11号線に合流して北東へ


 約1.3kmで県道11号線脇(東側)に説明版があります

   砺波市指定文化財     種類  天然記念物
     伝恩光寺跡の二本杉  指定日 昭和62年3月30日
 現在、南砺市福野にある金剛山恩光寺は、もとはここ庄金剛寺村にありました。
 増山城主の神保氏によって応永15年((1408)に開かれましたが、一向一揆、長尾能景・為景(上杉謙信の祖父・父)の戦いなどで何度も被害を受け、無住と再興を繰り返しました。
 寺を移したのは、福野や津沢を町立てした阿曽三右衛門です。福野開町まもない承応2年(1635)の大火を受け、再度の火災を防ぐため、同寺を移し火災を防ぐ神である秋葉大権現を祀りました。一方、跡地に庵を建て、知浄という僧に守らせたと伝わっています。
 現在、寺跡には小さな薬師堂があり、大きな杉が二本そびえ立っています。この薬師堂に向かって、左側の杉は、幹周り4.6m、右側は4.0mで、いずれも樹齢400~500年と推定されています。恩光寺の歴史を見守ったであろう杉は、今も静かにこの地域を見守っています。
   砺波市ふるさと文化財   種類  史跡
     宗半塚        登録日 平成23年1月26日
 中川光重は中川重政の二男として尾張国(愛知県)に生まれ、初め織田信長に仕え、、後に前田利家の二女蕭(しょう)の婿となり、利家に仕えました。のちに、巨海斎宗半と名乗りました。
 天正13年(1585)、前田氏が越中三郡を領有すると増山城の城代を任せられました。増山城在城時、恩光寺に三千歩の寄付を行い、復興したようです。その後、千利休門下の茶人として、豊臣秀吉の御伽衆(主君の話し相手)としても仕えました。
 前田家に復帰した時には、石高が二万三千石に達しており、利家の子の養育係を勤めるなど前田家の中心的家臣となっていました。
 慶長16年(1611)に職務を退き、慶長19年(1614)53歳で亡くなりました。石川県金沢市野田山で蕭と同じ墓に埋葬されましたが、金剛寺村ではこの地に埋葬されたと伝えられています。これを宗半塚とよびます。
   令和2年9月30日    砺波市教育委員会

 *二本杉それぞれの太さは、文化財指定時のものと思われます、少し大きくなっているようです
 
 二本杉へ行ってみましょう

 手前を東へ入って三叉路状を右へ、用水路の先を鋭角に左へ坂道を上り右カーブを過ぎると

 右手に二本杉入口に標柱と説明版です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 笹薮の中にも説明版です
   矢竹禁伐林  自生地
 当地の矢竹は加賀藩より矢竹奉行を遣わし臨検したところ、其の質善良無比なるを認め、之を禁伐林とし保護された。
 本村住人、和三郎、勘右エ門の二名を矢竹番人と定め、時々此の竹林より矢竹を切り、藩に送り軍用に供していたが、明治維新により禁伐林が解かれた。
 当矢竹は当地より移転した南砺市福野町恩光寺境内にも移植され現存している。(雄神村誌より)
    平成20年5月    金剛寺常会  藤井神主68代主参弘書


 もう一枚あります
   金剛山 恩光寺
 金剛山恩光寺の開基は増山城主神保氏である。開祖の月桂立葉禅師は、中新川郡立山町眼目山立山寺を開いた大徹宗令禅師の弟子といわれている。神保氏は此の寺を菩提寺とした。
 応永15年(1408)頃(約600年前)と推定される。現存する位牌は・・・
 増山城主神保氏 恩光寺殿梅翁全通大居士
         霊応院殿月桂妙寒大禅定尼 神祇
 木舟城主石黒氏 照空院殿廊聖本然大居士
         清泰院法室妙輪大禅定尼  神祇
 中川宗半氏   瑞祥院茂庵宗繁居士
    奥方   瑞雲院殿梅顔貞芳大姉
 ・・・とある、天正7年4月長尾為景の兵火にかかって一時衰えたが、中川宗半氏土地三千歩を寄進して再興を計った。
 永応2年(1653)阿曽三右エ門翁によって福野町へ移された。旧跡に残る薬師堂は神社として取扱われ現在にいたる。
   昭和51年8月   庄川町文化財保護委員会



 左に回り込む様に入ると、文化財標柱です

 正面西側から、二本杉の間には冬囲いのブルーシートが外されていない薬師堂です

 左(北側)のスギです


 南西側から

 南東側から見ました、目通り幹囲4,8mの大木です


 右(南)側のスギです

 北西側から

 北東側から見ました、目通り幹囲4.4mの大木です

 では、すぐ先のようですので「宗半塚」へ行ってみましょう


 少し先の右側に「宗半塚」の入り口です

 土塁状のところを上ります

 周りはシャガの群落です

 シャガを踏まないように登って行くと

 杉林の中に宗半塚の標柱が有ります、塚自体は単管で囲われて、四角い石が置かれていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後0時30分訪問です
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富山県砺波市、庄川町隠「隠尾城跡」(市指定)です!!

2023-05-24 18:30:04 | 城跡・館跡・陣屋跡
 庄川町隠尾地区は、砺波市役所の南安島約13km、砺波市役所庄川支所の東約2kmのところ

 砺波市役所庄川支所南側の県道371号線を東へ、庄川を舟戸橋で渡り直ぐを右斜めの細い道路へ入って行きます

 約3kmの名ケ原集落で県道346号線に出て左(北東)へ、道成りに1.2kmで

 北東向き参道の隠尾八幡宮前に出ました

 参道入口の石碑は、東砺波郡東山見村隠尾部落図屋号記念碑です、中に「大欅」の文字が見えましたので行ってみました

 八幡宮の前の道を北東へ「隠尾部落」は屋号で表記の「ドブト」の一軒のみとなっているようです

 「大欅」の表記の位置にケヤキは見当たりません

 「イナベ」前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 形の良い若いケヤキが記念碑表記の道路反対側に有ります、目通り幹囲2.5m程です

 記念碑表記の池の脇を入いります

 砺波市指定文化財標柱と説明版です
   砺波市指定文化財  種類 史跡  指定日 昭和62年3月30日(令和5年2月21日名称変更)
     隠尾城跡(かくりょうじょうあと)
 隠尾は庄川右岸、鉢伏山南麓の小集落で、古くから鉢伏山を越えて砺波郡よ婦負郡を結ぶ間道があり、尾根伝いに五箇山と飛騨にも通じる要衝でした。
 南部氏の祖先は南部次郎佐衛門尉宗治といい、足利尊氏の弟である足利直義に仕えましたが、観応2年(1351)にこの地に逃れた館を構えたと言われています。
 その後、中興の祖である源左衛門尉尚吉の代に上杉謙信に攻められ落城し、尚吉自身も討死しました。
 その結果、子の源右衛門は飛騨に逃れますが、戦乱後の隠尾に戻り、城跡の傍らに住みました。その子息は今日にまで続き、城跡の隣接地には近年まで城主の末裔と伝わる家がありました。
 主郭の東西約21m、南北約29mの平坦地です。南側は谷に続く急崖で、ほかの三方は高さ約4mの切岸があり、東側に腰郭と西側に虎口があります。この虎口は土塁を備えた折れ虎口です。主郭上には「啼石(なきいし)」と称する石があり、南側の崖下には籠城用の飲料水にしたという湧水跡(城清水)が残っています。
    令和5年3月31日   砺波市教育委員会

 切岸ですね

 虎口です



 郭内です

 「啼石」のようです

 南側の谷です

 東側にも郭らしき平場が見えます


 西側の切岸の斜面には木々が繁茂しています

 
 白のサザンカが綺麗です

 では、次へ行きましょう
  
 2023年4月21日午前11時45分訪問です
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富山県砺波市、庄川町隠尾「隠尾八幡宮の社叢(大杉)」(市指定)です!!

2023-05-24 12:42:28 | 巨樹・大木
 庄川町隠尾地区は、砺波市役所の南安島約13km、砺波市役所庄川支所の東約2kmのところ

 砺波市役所庄川支所南側の県道371号線を東へ、庄川を舟戸橋で渡り直ぐを右斜めの細い道路へ入って行きます

 約3kmの名ケ原集落で県道346号線に出て左(北東)へ、道成りに1.2kmで

 北東向き参道の隠尾八幡宮前に出ました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 一ノ鳥居です

 八幡宮の社號標です

 水盤です

 説明版です
  砺波市指定文化財
     指定日 昭和62年3月30日
     管理者 隠尾八幡宮氏子総代
   隠尾八幡宮の社叢
 境内の小高い土塁の上に、3本の大杉が成立している。社殿の奥面にに位置し、御神木として祀られてきたおのと推察される。
 左側に一本は目周り5.4mで最も太く、その横に2.5m、樹高6.0mでほとんど枯れたものが立っている。真中に大石が安置され、右法面側に目周り4.3m、その内側拝殿側に目周り4.6mの大杉が成立する。この杉の樹勢は一番旺盛で樹高約32m、樹冠12m(半径)。
 4本が一対となって旧スギの根元を囲むように成立したものと推察される。現存する4本の樹齢は400~500年と推定され、一対となった樹冠で大スギの偉容を誇っている。
 また、境内には、目周り2m以上のスギ13本を中心に、ネヅコ、エンコウカエデ、イチョウ、ナツツバキ、ミズナラ、ウラジロガシ、ケヤキが支え低木にヒサカキ、カエデ、カシ、ヤマボウシ、クマシデ、イチイ、コウヨウザンが入って安定した社叢を作っている。
 その境内を包む裏手法面には、ムラサキシキブ、カヤ、ヒメアオキ、イヌツゲ、ミヤマガマズミ、チシマザサ等が繁茂する。
 下草にヤブコウジ、カタクリ、ミヤマナルコユリ、アオヤギソウ等の深山性の草木も入っている。
 社叢全体が健全な自然林として古くからの貴重な植生を今に残す宝庫である。
   平成29年4月   砺波市教育委員会
  隠尾八幡宮
 村社 八幡宮  東山見村隠尾字浅窪410番地鎮座
1 祭神   応神天王 比賣后 神功皇后

1 由緒   不詳
1 社殿軒数 本殿 前口1間5寸 奥行1間
       拝殿 前口1間5寸 奥行1間
1 境内坪数 147坪
1 氏子戸数 12戸
1 境内神社 1社 級長戸邊社(しなとべしゃ) 
       祭神 志那都比古神 志那都姫神
       由緒 文政3年(1820)創建にして隠尾・名ケ原・横住・落し・湯山・湯谷・二ツ屋・河内・伏木谷・五ノ谷各村の風難除守護神として創建
       社殿軒数 前口2尺 奥行3尺(昭和17年「神社明細書上帳」)
 

 ニノ鳥居です 

 北向きに社殿です、後ろ側に大きなスギの幹が二本見えています

 社殿左側から、見えている杉が説明版にあった一番太い目通り幹囲5.4mの大杉です

 北東側から見ました、手前の社殿後ろ側に説明版に有った樹高6mと表記のスギは樹高約2mで完全に切株状態になています

 下側が藪になってしまいました

 社殿右側から、説明版にあった目通り幹囲4.6mと奥側の4.3mの大木です

 こちらの方が太さが分かるかな

 境内西端から見ました

 社殿の右手の境内社は説明版に有った「級長戸邊社」です、風の神様だそうです

 社殿左手の石碑は、信濃国戸隠神社 御神水紱修 明治27年7月建立の石碑です、こちらは水の神様ですね

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前11時35分訪問です
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富山県砺波市、井栗谷「栴谷神社の綽如杉(しゃくにょすぎ)」(市指定)です!!

2023-05-24 06:30:02 | 巨樹・大木
 井栗谷地区は、砺波市役所の南東約9kmのところ

 砺波市役所西側の国道156号線を南へ向かいます

 約1.5kmの山王町信号を左(南東)へ、県道17号線です

 約3,1kmで中野信号を左(東)へ、県道25号線です

 道成りに4.7kmで道路左手に栴谷神社( せんたにじんじゃ)が西向き参道で鎮座します

 境内入口です

 前の県道脇に車を止めさせて頂きました

 栴谷神社 の社號標です

 案内板です
   砺波市保存樹林
1 所在地  砺波市井栗谷6585-1他1筆
2 樹種   スギ、ウラジロガシの樹林(884㎡)
3 所有者(管理者) 栴谷神社(氏子総代)
4 指定番号 平成6年3月 保存樹林指定第12号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第4条第1項第2号ア該当
   砺波市
*砺波市と言えば春のチューリップフェスティバルですが今年もゴールデンウイークに合わせて実施されました。
 花と緑のまちづくり条例で栴谷神社の社叢も守られています

 手水舎です

 万葉歌碑です
   「いもが家に いくりの社の藤の花 今こむ春も 常かくし見む」
 現代語では、妹(いも)が家に 伊久里(いくり)の森の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
          大原高安(おおはらのたかやす)作 (巻17・三九五二)
   訳は・・・(妹が家に)伊久里の森の藤の花を、またやって来る春もずっとこうして見ていたいものです。
    天平18年(746)8月7日の夜、越中国守館で開かれた宴で、僧玄勝が伝誦した、古歌:万葉集の大原高安の歌です

 参道の右手に目的のスギが見えました

 南側から


 説明版です
   砺波市指定天然記念物
     綽如杉(しゃくにょすぎ)
  指定年月日 昭和37年5月28日
  所在地   砺波市井栗谷栴谷神社内
 栴谷神社の境内にあって、本殿手前右側に位置する老樹で、樹勢はきわめて良好である。
 胸高幹まわり7.5m、樹高45.5m、樹齢は450年以上と推定される。
 この杉は、北陸地方から山陰地方にかけて分布する日本海型のアシウスギ(芦生杉)の一種で、タテヤマスギ系の地方種マスヤマスギである。
 耐陰性、耐雪性に優れ、幹の下部から大枝に分れている。
 明徳元年(1390)井波町にある瑞泉寺を開いた綽如上人の手植え杉と伝えられている。綽如上人は本願寺5代の門跡で、明徳元年(1390)越中へ巡錫し、井波の瑞泉寺や福岡の厳照寺を開き、この地方に真宗を広めた。
 また、この神社の境内は、古くから藤の花の名称所としても親しまれている。「妹が家に伊久里の森の藤の花 今来む春も常如此し見む」大原高安真人(万葉集巻17)、境内にはこの歌の歌碑が建てられている。
 最近この神社の境内には、栴壇山の地名に因んでセンダンの木が植樹されている。
  平成14年3月1日
  砺波市教育委員会     文化財を大切にしましょう

 西側から、傷も無く幹はきれいですね

 北西側(拝殿前)から

 北側(拝殿脇)から、根が拝殿脇に伸びています



 本殿です

 境内にはシャガの花が見ごろでした

 では、次へ行きましょう
 
 2023年4月21日午前11時5分訪問です
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富山県富山市、山田今山田「今山田の大かつら(県指定)とユキツバキ(市指定)です!!

2023-05-23 18:29:57 | 巨樹・大木
 山田今山田地区は、富山市役所の南西約21km、富山市八尾行政サービスセンターの西約11kmのところです

 富山市役所八尾行政サービスセンター南側の道路を北西へ、約100mの三叉路を左へ道成りに進みます

 約500mで坂道を登った一時停止交差点を左(南)へ、次の交差点を右(南西)へ県道25号線です

 更に約5km道成りに進むと、右手に「富山市山田総合体育センター」です

 約10km道成りに標識に従って県道25号線を進みます

(途中で正面より狭い左に入るところ3ヶ所有、林道の様な道路のドライブを楽しみましょう)

 「清水そば峠」手前の交差点を左後ろへ戻るように入り、坂道を上ります

 約1.3km道路の右手に「今山田の大杉」です

 すぐ先に大カツラの標識が出ています

 約300mで道路の右カーブ正面に目的の大カツラが見えました

 手前右側に駐車スペースが有ります

 大カツラは土手の上の方に在ります

 説明版です
  県指定文化財(天然記念物)
   今山田の大かつら
 このかつらは、幹周約3m、幹高約30m、の大幹二本とそれを取り囲むようにして伸びる数十本の萌芽枝からなり、株全体の周囲は14mに及ぶ。
 古くから、鎌倉時代の末期、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王が、この木の下にお隠れになったという言い伝えがあり、樹齢は700年以上と推定されている。
 昭和40年10月1日に指定された。
   平成22年10月  富山県教育委員会
             富山市教育委員会

 下の段は公園化されてミズバショウが植えられています


 階段下から見上げました


 階段を上ります

 階段の脇には大カツラへ水路(側溝)が伸びています


 北東側から

 北側から

 北北西側から

 北西側から

 西側から

 東側から見上げました

 根元にはシャガの群落です

 すぐ南側の、ユキツバキを見に行きましょう

 大カツラの西側からもう一段上へ行きます

 南西側から

 説明版です
   富山市指定 天然記念物
    今山田のユキツバキ
 このユキツバキは樹齢約400年と推定され、高さ約3.3m、最大の幹の太さは32cmのものが二株あり、その他約50本が叢生する。
 枝葉の周囲が約36mもある。
 林山家の墓地の墓標として植えられ、代々守られてきたものである。
   所有者 林山 茂盛
   指定日 昭和54年5月17日
    富山市教育委員会


 林山家の墓地の後ろ側に大きなユキツバキの株です

 西側から根元を見ました、多くの枝がお椀状に広がっていました

 では、次へ行きましょう
 
  2023年4月21日午前10時35分訪問です
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富山県富山市、山田今山田「今山田の大杉」(市指定)です!!

2023-05-23 12:33:59 | 巨樹・大木
 山田今山田地区は、富山市役所の南西約21km、富山市八尾行政サービスセンターの西約11kmのところです

 富山市役所八尾行政サービスセンター南側の道路を北西へ、約100mの三叉路を左へ道成りに進みます

 約500mで坂道を登った一時停止交差点を左(南)へ、次の交差点を右(南西)へ県道25号線です

 更に約5km道成りに進むと、右手に「富山市山田総合体育センター」です

 約10km道成りに標識に従って県道25号線を進みます

(途中で正面より狭い左に入るところ3ヶ所有、林道の様な道路のドライブを楽しみましょう)

 「清水そば峠」手前の交差点を左後ろへ戻るように入り、坂道を上ります

 約1.3km道路の右手に目的のスギが見えて来ます

 先の牛嶽神社参道入口前の広い道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から

 南側から見上げました

 説明版です
  富山市指定天然記念物
    今山田の大杉
 この大杉には天狗様が宿ると言い伝えられ、付近住民は畏敬の念をもっていた。
 現在は永い風雪に耐えて村を守ってきたこの神宿る大杉に、尊敬と親しみを寄せている。
 樹齢は推定できないが、数百年は経ているものと思われる。
   胸高直径・・・約1.6m(周囲約5m)
   樹高     約 25m
   所有者    山田憲彰 氏
  令和3年3月 富山市教育委員会



 南西側の太い幹です

 西側から見ました

 県道346号線の牛嶽神社参道石段前から見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前10時25分訪問です
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富山県富山市、山田中瀬「清水上の大杉」(市指定)です!!

2023-05-23 06:30:04 | 巨樹・大木
 山田中瀬地区は、富山市役所の南西約20km、富山市 八尾行政サービスセンターの西約6kmのところ

 (富山市役所山田中核型地区センターの北東約700mでしたが、山田中核型地区センター前へは行かなかったので八尾行政サービスセンターからとしました)

 富山市役所八尾行政サービスセンター南側の道路を北西へ、約100mの三叉路を左へ道成りに進みます

 約500mで坂道を登った一時停止交差点を左(南)へ、次の交差点を右(南西)へ県道25号線です

 坂道を下って行くと井田川の段丘一段目の道です、間も無く右手に「高熊のさいかち」を見て

 更に約4.6km道成りに進み坂道を上って行き峠を越えます

 約1km下るように道成りに進むと


 右手に「富山市山田総合体育センター」が見えて来ます

 西側下の駐車場に入りました

 県道を挟んで南側に目的の「清水上の大杉」が見えました、北向きの参道です

 広場の花壇にはチューリップが満開です早いですよね~

 大杉の西側に祠です

 崖の中段に大杉は立っています

 お不動様が祀られています

 富山市指定天然記念物清水上の大杉の標柱です、木生地の文字は薄くなっています(八尾町時代のものですね)

 説明版ですが、残念ながら読めなくなってしまっています

 上中瀬集落の水源地の上に「水天宮の神木」としてそびえ立ち、古くから付近住民に敬われ、親しまれている。
 樹齢は推定できないが、数百年は経ているものと思われる。
   胸高直径 約1.7m(周囲約5.3m)
   樹高   約23m
     上中瀬集落の共同所有となっている。
   平成2年9月20日指定  富山市教育委員会

 *グーグルマップの写真から読み取れるものが有りました

 北側下から見上げました

 北東側から

 土手の階段を上って見ました

 東側から

 南西側から

 西側のに廻って来ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前9時55分訪問です
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富山県富山市、八尾町高熊「高熊のさいかち」(県指定)です!!

2023-05-22 18:30:04 | 巨樹・大木
 八尾町高熊地区は、富山市役所の南西約17km、富山市役所八尾行政サービスセンターの南西約1.5kmのところ

 富山市役所八尾行政サービスセンター南側の道路を北西へ、約100mの三叉路を左へ道成りに進みます

 約500mで坂道を登った一時停止交差点を左(南)へ、次の県道25号線との交差点を右(南西)へ

 坂道を下って行くと井田川の段丘一段目の道です

 間も無く県道右手に大きな樹冠が見えて来ます

 東北東側から、目的のサイカチです

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から

 南東側から

 説明版です
   富山県指定天然記念物(植物)
     高熊のさいかち
    昭和40年10月1日指定
 このさいかちの大樹は、目通り高さで4.08mもある。
 もとこの地は隣接する高熊部落の鎮守、八坂社境内の一部で社叢に自生したものであるが川添いにこの道路が設けられたので飛地となっている。
 樹幹の成長はこの種の植物のうちで最大の太さで樹齢は、約400年と推定され幹に多少の腐蝕があるが、枝葉の繁茂も極めて良好きである。
 県下の代表植物の一つとして価値が高い。

 *サイカチは、サヤにサポニンを多く含むため、油汚れを落とすため石鹸の代わりに、古くから洗剤や入浴に重宝されました。水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用しました。
 石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯などに利用されていたようです。
 豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いられ。種子は漢方では皁角子(さいかくし)と称し、利尿や去痰の薬に用いました。また棘は皁角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされています。
 豆はおはじきなど子供の玩具としても利用され、若芽、若葉を食用とすることもありました。(以上;ウィキペディアの抜粋です)

 中部北陸自然歩道の標柱です

 南側から

 南西側から見上げました

 離れて見ました

 では、次へ行きましょう
  
 2023年4月21日午前9時40分訪問です
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富山県富山市、宮保「熊野神社のスギ」は伐られてしまいました!!

2023-05-22 12:36:01 | 巨樹・大木
 宮保地区は、富山市役所の南約8kmのところ

 富山市役所から県道41号線を南へ、約4.8kmで北陸自動車道の高架を潜ります

 更に約2.3kmの下熊野南信号を左(東)へ、県道68号富山外郭環状線です

 約1kmの悪王寺信号を右(南)へ、県道188号線です

 約600mを右(西)へ、約300mでまた右(北)へ

 熊野神社参道です、境内入口手前右側に駐車スペースがありますので利用させて頂きました

 境内入口です

 延喜式内 熊野神社社號標です、2018年6月12日のこのブログで紹介させて頂いております

 
 鳥居東側のスギです

 手水舎です

 拝殿です、新築されています

 拝殿の西側にあった御神木のスギ(目通り幹囲5.3mの巨木)は、2021年に伐採されてしまいました、前回もかなり傷んでいましたからね~

 拝殿裏(北)側に神橋をはさんで

 本殿です

 熊野神社の創建は、斎明天皇4年(658)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
 延長5年(927)延喜式神名帳に記載されている所謂「式内社」で広く知られる存在でした。往時の境内は数キロ四方に及んだとされ、現在の境内から南に1キロ程離れた熊野川が参拝者の手水(御手洗)として利用され、数百メートル程のところには二ノ鳥居の痕跡が発見されています。
 江戸時代に入ると歴代富山藩の藩主前田家の祈願所となり江戸時代中期の享保10年(1725)の大干ばつの際は当時の藩主が神官横越阿波守則恒に命じ、17日間雨乞いの祈祷が行われ見事7日後に雨が降り出したと言われています。
 10代藩主前田利保が篤く崇敬し領内巡視で近隣に来た時は必ず参拝に訪れ五穀の豊作と天平の泰平を祈願し、社領10石を安堵し寛政10年(1798)には社殿が改築されたそうです。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て村社に列しています。(以上:Omairi(おまいり)より一部抜粋させて頂きました)



 本殿脇のスギです

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
 
 2023年4月21日午前9時10分訪問です
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富山県立山町、芦峅寺 桂台「桂台の大桂」です!!

2023-05-22 06:31:27 | 巨樹・大木
 芦峅寺 桂台地区は、立山町役場の南東約20kmのところ

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、道成りに進んで東へ向くと約15kmで雄山神社を過ぎ

 更に東へ常願寺川に沿って約5kmで、富山地方鉄道立山線の立山駅への入り口になる藤橋です、この橋の手前から称名川です

 約3,8kmで立山有料道路桂台料金所が見えて来ます(一般車は通行止め:作業車やトラック、山小屋の車等が並んでいます)

 料金所の空くのを待つ車列の脇を通って、ドライブイン剱前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から目的の大桂です

 称名川沿いの道路はまだ除雪作業中のため封鎖されています(警備員さんが作業車を通しています)

 西側から、すっかり新葉を拡げています

 (2006年の写真では、5月の連休中でも根元に豊富な残雪が残っていましたが、昨今の温暖化と今年が特に早く雪が消えてしまっているようです

 南西側から、目通り幹囲6.0mの巨木です

 北北東側から幹を見ました

 北東側から

 東側から

 南東側から見ました


 キクザキイチゲの群落です


 紫の花弁が綺麗です
 
 *キクザキイチゲは、キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草で、キクザキイチリンソウとも呼ばれています。
 北海道、本州の近畿地方以北に分布し、落葉広葉樹林の林床などに生育し。高さ10~30cm。花期は3~5月で、白色~紫色の花弁状の萼片を持つ花を一輪つけます。花弁はない。キクに似た花を一輪つけることからこの名がついたと言われています。
 春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなり、その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラル「春の妖精」の一種でもあります。
 (スプリング・エフェメル:カタクリ・イチリンソウ・ニリンソウ・フクジュソウ・エゾエンゴサク・ショウジョウバカマなど)
 



 エンレイソウです、特徴的な葉の付き方の三枚の葉にガクも三枚付いています

 *エンレイソウは、シュロソウ科エンレイソウ属の多年草で別名をタチアオイとも言う。太く短い根茎から、高さ20~50cmの茎が一本伸び、その先端に3枚の葉を輪生する。葉は葉柄を持たず、茎から直接生ずる。葉の形状は丸みを帯びたひし形で、直径は10~20cm。花期は4~6月。3枚の葉の中心から短い花柄が伸び、小さな花をつける。花は花弁を持たず3枚の緑色または濃紫色のがく片を持ち、横向きに咲く。

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前8時10分訪問です
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