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自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

秘宗拳と詠春拳について。

2021-02-19 20:28:45 | 武道・拳法の話

 秘宗拳については以前にも少し書きましたが、ブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」の尊師の写真が「霍元甲」になっており、秘宗拳(燕青拳、迷蹤芸 迷踪芸)と詠春拳が混同されてしまっているのでまた書く次第です。ブルー・リーの詠春拳は少林寺尼僧の厳詠春によって創設された拳法です。
       
              大侠・霍 元甲
秘宗拳(秘踪拳)は主として河北省などに伝わる武術。別名として、燕青拳、迷蹤芸(迷踪芸)がある。迷蹤芸の名は複雑な歩法を用いることに由来するとされる。

 秘宗拳(燕青拳、迷蹤芸)の開祖は『水滸伝』の登場人物「浪士の燕青」であります。浪士とは伊達男という意味ね。燕青の主人である盧俊義が燕青に伝え、燕青から後世の伝人に伝えられたとする場合もある。伝説では、燕青は北宋に対する反乱軍の将であるため、伝人は開祖(宗師)の名を秘したことから秘宗拳と呼ばれたとしている。秘宗拳に限らず、開祖を武侠小説に登場する人物や伝説上の人物に仮託することは珍しいことではなく、類似した例は日本武道にも見られる。盧俊義が燕青の体に見事な彫り物(入れ墨)を彫らせた事も有名です。

近代においては、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を創設した静海(天津)の人、霍元甲の迷蹤芸がよく知られている。霍元甲は家伝の武術を父である霍恩第に学んだと言われている。また南京中央国術館の姜容樵李元智は河北省滄州に伝えられた秘宗拳を陳玉山より学び、劉雲樵は槍の李書文に拝師する前に張耀廷より秘宗拳を学んでいる。また、大連に伝わる秘宗拳は蘇明遠に始まると言われている。

 中国は燕青拳の由来にはいくつの仮説があります。 1、菩提達磨が発明した。2、少林寺僧侶、緊那羅王が発明した。元朝、紅巾軍は少林寺を攻撃した。緊那羅王は敵を退ける、燕青の名を借り、「燕青門」を創立した。3、この拳法の起源は河北燕州と山東青洲地域、ゆえに「燕青拳」と言う。

               
        平凡社、浪士の燕青、けい天柱(けいてんちゅう)の任原(じんげん)を投げ飛ばす。

秘宗拳の套路(型)

秘宗拳の套路として秘宗長拳(燕青架子)、小護掩(小虎燕)、四路奔打、練手拳、綿掌拳などがある。秘宗長拳は太極拳のようにゆっくりと練習される套路であり、「少林慢架子」と呼ばれることがある。 姜容樵は霍元甲とは伝承系統が異なる秘宗拳(秘宗長拳)を書籍で公開している(一部に太極拳と共通する技法名が見られる。)。秘宗拳の迷蹤芸は無影拳と呼ばれることがある。

詠春拳
 古来より永春拳とも咏春拳とも呼ばれ、またこれまでに多くの分派が生じており、近年「咏春白鶴拳」や「紅船咏春拳」、「詠春拳」はそれぞれ別門派として扱われるようになっている。異なる点として、古いものほど洪家拳に近い趣があること、古い「咏春拳」には詠春三大手と呼ばれる基本手型が存在しないことなどがあり、他の南派少林拳発生との関連もあいまって、定義することは難しい。ただし「永春拳」と称していたものから「言」偏のついた「詠春拳」と称するようになったのは、詠春拳王と呼ばれた広東省佛山の武術家及び湯液家、梁贊より以降に限られており、この系統での套路(形)を、小念頭、尋橋、標指の三つに梁贊がまとめたからだと考えられる。これについては後から他門派の技法や形を取り入れている混合的な流儀も存在する。

詠春拳の歴史と伝説 南少林寺と起源
詠春拳の発祥には清朝に対するレジスタンスや、粤劇(広東オペラ)の発祥が関わっていると言われる。創始者とみなされている者としては、至善禅師、五枚尼、苗顕、厳詠春、方永春、張五(攤手五)などの名が残る。それ以降の伝承者の名称には粤劇における役名も多く、古伝の永春拳と粤劇はその創成期において歴史を共有していたと考えられる。これは古伝の永春拳が洪家拳(洪拳・洪熙官)と関連が深く、紅船戯班粤劇の旅巡業の劇団、一座は船で移動していた)内で、散逸した南派少林拳の伝承を受け継ぐ為に技術交流が頻繁に行われていたからとみられている

厳詠春から紅船戯班娣

詠春という名称については、厳詠春という女性の名から取ったとされている。彼女は中国武術史上、最も強い女性拳法家「少林四侠女」と呼ばれ詠春。

 厳詠春の父、厳二はある事件によってタイやミャンマー国境に程近い四川省の大涼山まで逃亡をし、そこで豆腐を売って生活をしていた。厳二は地元の少数民族から四川梅花拳(五枚尼姑伝の拳法)などの南派少林拳を学ぶ。厳詠春はそれらを父から学び改良したという。また厳詠春が鶴と蛇の闘争を元に創案にしたとする説もある(傍ら、厳詠春という名は当時の武侠小説に登場する主人公の名前であったという実在の人物を疑う意見もあるうえに諸説も存在する。たとえば古伝の永春拳の創始者の一人と伝わる五枚(五梅)尼姑が、四川省の大涼山に隠れそこで詠春拳を作ったという伝承や、至善禅師が南少林寺の「永春殿」で練習していたためという説など)。

 佛山の茶葉商人であり後に厳詠春の夫となる梁博儔がそれを学び、そして更に古伝の永春拳は梁博儔の唯一の弟子である広東省佛山の商人、梁蘭桂へと受け継がれていった。梁蘭桂は粤劇をこよなく愛しており、佛山から粤劇の「紅船戯班」が旅巡業にやって来た折りに、そこの役者であった黄華寶と船員の梁二娣に永春拳を教えることとなった。激しい修行の末、黄華寶と梁二娣は古伝の永春拳を継承し、これ以後、古伝の永春拳は、広東省周辺の民間芸能である粤劇の興行一座であった「紅船戯班」の内部で伝承されてきたとされている。

方七娘も有名ですよね。方家の三人、方孝玉、方美玉、方世玉が少林三雄として有名です。そのうちの一人方世玉(ファン シーユー)が特に有名です。また洪拳の洪 煕官(ハンシークアン)も有名です。

てな感じで引用して書きました。

コメント (2)
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