針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

世に伯楽有り然して後に千里の馬有り。

2022-02-14 09:26:14 | 漢詩・古典・エトセトラ

 唐宋八家門の中で韓愈の話が出たので、再び登場です。「伯楽と千里の馬」についてです。

これは韓愈の「雑説」の中の文章です。中学校の漢文の授業で出てきてご存知の方も多いかと思います。唐の科挙の元、試験官に「人を観る能力のある奴がいない」と嘆いたもので、「自分を天下の名馬」、試験官が「伯楽」に例えています。

            

『雑説』
世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。馬之千里者、一食或尽粟一石。食馬者、不知其能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見。且欲与常馬等、不可得。安求其能千里也。策之不以其道。食之不能尽其材。鳴之而不能通其意。執策而臨之曰、天下無馬。」嗚呼、其真無馬邪、其真不知馬也。
世有伯楽、然後有千里馬。

千里馬常有、伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪(そうれき)の間(かん)に駢死(へんし/べんし)して、千里を以つて称せられざるなり。

馬之千里者、一食或尽粟一石。食馬者、不知其能千里食也。

馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。馬を食(やしな)ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり

是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見。
是の馬や、千里の能有りと雖(いへど)も、食飽かざれば、力足らず、才の美外に見(あらは)れず。

且欲与常馬等、不可得。求其能千里也。
且つ常馬と等しからんと欲するも、得(う)べからず。安(いづ)くんぞ其の能の千里なるを求めんや。

策之不以其道。食之不能尽其材。鳴之不能通其意。執策臨之曰、
之を策(むち)うつに其の道を以つてせず。之を食(やしな)ふに其の材を尽くさしむる能(あた)はず。
之に鳴けども其の意に通ずる能はず。策(むち)を執りて之に臨みて曰はく、

千里を走る馬は、一食に一石のもみを食べ尽くすこともある。
馬を養う者は、自分の馬が千里を走る名馬と知って養っているのではない。
この馬に千里の能力があったとしても、食を十分に得なければ力が足らず、才能の立派さが外には現れない。
その上、普通の馬と同じようにありたいと望んでも、それもできない。
どうしてその馬に千里を走ることを求めることができようか(求めることなどはできはしない)。馬をむち打つのに(=御するのに)、それにふさわしい方法でやるのではなく、馬を養うのに、(十分に食べさせて)馬の才能を発揮させることができない。
(馬は不満を訴えて)鳴いても、(伯楽でない人は)馬の気持ちを理解することができない。
むちを手に取り、馬に向かってこう言う。「天下に良馬なし。」ああ、本当に馬がいないのであろうか?。(それとも、本当は馬はいても)その馬の善し悪しを見分けることができないのであろう。
 人は、韓愈のように、その人によって不遇の感じ方があるかも知れないね。樹木希林さんが、「決して人の生活を羨まない事です」と言った事を思い出しましたが、なかなかその境地には辿り付きませんね。中国は人が多い。駄目な奴が世襲の元。高い地位にのさばっていれば、誰だって不満を持つのは当たり前なのですね。

 天下の名馬と言えば、赤兎馬は正史にもその記述があります。『後漢書』呂布伝や『三国志』呂布伝には、呂布が「赤兎」と呼ばれる良馬に乗っていた記述があり、特に後者では袁紹えんしょうのもとに身を寄せていた呂布が赤兎馬を駆り、袁紹の敵であった張燕ちょうえんを破ったことで、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」言われるようになったという伝承が記されています。その後、曹操の元へ。その後、曹操が「関羽」を配下にしたいという「助兵衛根性」が仇となり、さっさと袁尚の元に逃げられてしまい関羽の乗馬になりました。

            
                     関羽将軍
  また「汗血馬」と言う馬がいて、実際に血を流していた、或いはそういう風に見えたという説も多い。馬の毛色によっては汗を流した時に血のように見えることがあるようだ。また寄生虫に寄生されている馬は実際に血の汗を流すことがある。この寄生虫による馬の能力低下はあまり無い。寄生虫の寄生(皮膚表面での吸血)による滲んだ血液が「血を流す」ように見え、かつその寄生虫による皮膚の刺激(痛み・痒み)によって、あたかも狂ったかのように(通常の馬としての巡行走行速度や走行距離以上に)疾走したというのが汗血馬のいわれでは、という説もある。
 針外しの大好きな「射鵰英雄伝」には郭靖がモンゴルで「江南七怪」と馬を捕まえますが、それが後に「赤馬」であったことを知ります。黄薬師の娘「黄容」と出会った時に出てきます。体中赤くて「血の汗」を流していました。

コメント (2)
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