寿都の道の駅「みなとまーれ」と一緒に寿都の歴史や産業を学ぶ活動を開始しています。先月は二日間に渡り、港や寺社町のフィールド調査や地域の方のお話を聞きましたが、その2回目です。
H水産の先代の奥様をゲストに、聞き手は商工会や地元住民、旅行で車中泊をしている旅人三人、廃止となった元寿都測候所の職員2名の合計10名ほど。
最初に木箱から出てきたのは、木綿の大きな旗や幟(のぼり)でした。「松徳丸」船の旗です。それも屋号ではなく、家紋入り。丸に木瓜 というそうです。。先代から「北前船」ものだろうという話もあったそうですが、北前船就航終了後も、沖の大型船に積荷を運ぶ船があったそうで、その旗ではないかとも推測しているそうです。 いずれにしても、家紋入りの旗は船の持ち主の勢力を現しているでしょう。とても珍しいものだと思います。
他にも
昭和初期の電話番号が一桁から二桁だった。
氷水販売から今の商売がスタートした。魚を冷やすために沼の氷を夏まで氷室を作って蓄えた。
昭和30年前後まで、高校生は全員がホッケ料が最盛期の頃に10日間「出面」に行った。
御出面帳というものがあり親が賃金を受け取っていた。
縄で魚を結んで帰る途中の「もっきり飲み屋」、魚が道路にたくさん落ちていた。
幼児の頃は、2,3畳ほどの木の魚枡の空き箱に入れられて親の作業場の側に置いておかれた。
干しカズノコ、干しなまこ、干しアワビはうまかった。
ロシアの船の検査船に隠れて乗って行ってコッソリとロシア人からパンをもらった。
アイヌのやん衆がいた。
大きなサメがよくとれた。サメのピンポン玉くらいの卵が道路に落ちていて、子どもの頃拾って、玉子焼きのようにして食べた・・・
など黒松内では聞けないような 珍しい話がたくさん聞けました。
来月には、寿都神社のお祭りの話を聞くことにしました。