2012.8.3(金)快晴
じょんのび出発 11:00 山家~府道450~
梅の木地蔵 11:44~50 立木駅~広野~府道59~
熊野皇神社 12:15~20 出合い橋~
奥山峠 12:55~13:10 昼食
大原着 13:25 蛇ヶ谷探訪
大原発 14:15 R173、じっかんさん宅みちくさ
帰宅 15:30
走行距離 52Km
健康診断の結果が芳しくなく、適度な運動が必要と言うことらしい。メタボでは無いようだがお腹周りのお肉も気になり始めた。体重もあと1Kg減らすべく週一度のライドを計画する。
大簾(おおみす)は京都縦貫道が完成すると様変わりするだろうから今のうちに見ておきたいと意気込んで出発する。
山家あたりでも止まって見ていきたいところがいくつかあるんだが、いつでも行けるだろうと先を急ぐ。途中下替地町(したのかちちょう)の梅の木谷不動尊によって行動食をとる。やがて広野の大簾に入る府道を見つけるが、少し遠回りをしたようだ。
涼しそうなところに鎮座しておられる。手前の水はイボに効くとか。
大簾の府道はしっかりした道で、大成(おおなる)や草尾、塩瀬のように廃村を免れたのは将にこの道の賜という気がする。道路の状況がその地域の存亡を左右するのは哀しいことだが現実なのだろう。しかし京都縦貫道という使えもしない道路が大簾の人にとってどう影響するのかは未知数である。
大成に向かう谷、大原までは最短コースだが、車道は無い。
通行が人の足に頼っていた時代に主要な街道となっていた峠道が、モータリゼーションの登場で行き止まりの道となり、街道は廃道に、村は廃村になるというのはなんともやるせない想いがする。
どこの谷でもそこの道がどこかに抜けられる道か行き止まりの道かというのがその村の存亡あるいは盛衰に影響する。大原へ抜けられる、あるいは大原から来られるというこの府道が、開通時はともかく現在、産業や通行にどれだけ貢献しているかは疑問なのだが、大簾の人にとって大原中津戸の人にとって精神的な貢献度合いは計り知れないものがあろうかと思うのだ。
大簾は出合い橋までは明るい近代的な農村を思わせるが出合い橋から先は傾斜もきつく山村という感じだ。大簾の神髄は出合い橋から左奥の大簾峠に向かう道では無いかと思うがまだ未知の土地なので解らない。
出合い橋から先は道も狭く、雰囲気も変わる。
奥山峠に向かう府道は幅も狭く傾斜もきついが全線舗装されている。民家はすぐに終わり、植林の間をぬって登る上等の林道のような道だ。
奥山峠の道で最奥の民家、といっても出合いからすぐ。
大原神社が樫原から遷宮され、大祭には神主が招かれていたという。わたしは樫原の大原神社の神官は大簾からの道を通ったのではないかと予想している。しかしこの府道には街道の臭いが無い。道標であったり地蔵さまであったり、いにしえの人々が歩いた臭いが感じられない。つづく
晴徨雨読 三日目(2006.8.3) ガリバー旅行村~余呉湖キャンプ場
この旅行中随分勇気のある行動をとっている。それは今までなら恐くて行かなかったところへ行っていることだ。今日の八淵の滝もそうだ。早朝に起きてバイクのスタイルで滝を往復してくるなんて考えられない。霧の中に連続する滝なんてぞっとするぜ。
アプローチからしてこれだもんね。
今日のじょん:晴徨の帰り道、水が無くなり喉カラカラでじっかんさんとこに寄って給水する。するとかわいいワンがおるでないか。名はルルというそうだ。かみさんも見に行こっテカ。