2012.8.26(日)晴れ
副題は、朝鮮文化と日本文化の誕生ということで本題とともに興味をそそるタイトルである。
「謎の加耶諸国と聖徳太子」武光誠著 ネスコ発行 1995年11月第一刷 古書
日本の古代を考えるとき、大陸と半島の歴史を同時に見ていかないと真実というか必然性というものが見つからない。本当は世界の歴史を見るべきなんだろうが、そこまでやると逆に訳が解らなくなってしまいそうだ。少なくとも東アジアの情勢だけはしっかりとらえていないと日本の古代の動きは理解できないだろうと思っている。
そういう意味で日本の古代に起きた歴史的事件や政治的情勢が半島や大陸の動きとどう関わっているのかというところを知りたいと思っている。
ところがそういった目的で書かれた書物には未だ巡り会えないので、東アジアの歴史に関するあり合わせの書物を読んで、自分自身で関連づける努力をしなければならない。
タイトルは大変興味深いものであったが、内容はなんとも教科書的で読み終えるのに随分苦労した。つまり歴史的な事件や国家間の情勢などが紋切り型に述べられているだけで、その根拠となる文書や周囲の状況などについてはあまり出てこない。従って読み終えたあとに何も残っていないのである。なるほどそうだったのかといった歴史書を読んだあとの満足感が無いのである。
それだけわたしが本書を読解し得ていないということなのだが、どうも本書に書かれている歴史が本当の歴史なのか否か判断できる材料を持たないのが哀しいところである。
わたしの感想としては、「記紀」に頼りすぎた歴史観のように受け取れるのだが、どうだろうか。
読み終わって疑問に思える点がひとつある。それはいつの頃にも日本が半島や大陸から如何にして文化を取り入れようと苦労しているのだが、軍事的には常に影響力を持っていた様子で書かれている。現代なら文化的水準が低くても軍事力は強大という国家もあるのだが、古代においては文化水準と軍事力はある程度比例するように思うのである。
【晴徨雨読】26日目(2006.8.26)小千谷~弥彦
新潟県中越地震(2004年)の傷跡は附近の山肌にも残っていた。道路も河川も復旧工事の最中であった。報道でだれもが知ることとなった山古志村への道は、この日にやっと開通したのであった。寺泊から佐渡に向かうべしだったのだが、自転車の乗船を断られ、弥彦に向かうこととなった。弥彦は神社を見ただけだったが、その後の民俗や歴史の研究にこの地が重要なところであることに気付き、行って良かった地となっている。乗船を断られなかったら一生訪れることの無い地だっただろう。酒呑童子の生まれたのは弥彦なのだ。
この山で生まれたのか?
【今日のじょん】:クソ暑いところでぼーとしよるので、「アホかこっち来んかい」と言ったら、木陰でへたり込んでしまった。アホなんか賢いのか???