晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(81)丸山とイモリ村 8/23

2012-08-23 | 歴史・民俗

2012.8.23(木)晴れ、雷雨

 猪鼻の地名を表すものは上林側には何も見当たらない。ところが郷土誌青鄕の青鄕村略圖によると猪森嶽猪鼻峠というかなり広い小字が見られる。もちろんその中に猪森ヶ岳、猪鼻峠を含んでいるわけだが、地名の由来は当地にあるようだ。
 猪鼻地名については別稿「猪鼻のこと」でいくつかの由来を述べてきた。しかし猪鼻峠周辺にそれらしい候補は見当たらない。いよいよわたしのとっておきの「イ=鋳」説の出番かなと思っていたところである。ところが上林道、つまり関屋、猪鼻峠間の道について下記の記事を見つけた。わかさ高浜史話、上林峠と貝坂から抜粋。

 上林道は大正年間郡制存置時代には本郷と佐分利地区の反対を押し切って関屋猪段ー三谷場ー猪鼻迄大飯郡道が新設されていたが、大正十二年郡制廃止とともに廃道となった。

この郡道こそ関屋と猪鼻峠を結ぶ、いわゆる貝坂と言われるものだろう。本郷、佐分利地区がこの郡道に反対したというのは、若狭と丹波を結ぶ重要な道が自らの地を通る通らないで、今後の発展衰退に大きく影響するためだろう。最終的に佐分利を通った道は県道1号線であり、丹波側では府道1号線となっていることをみても、この道の重要性がくみ取れるというものである。
P1020495
 



関屋川沿いの林道、ことに寄ればこれが県道1号線になっていたかもしれない。

 この両道を見るとき、貝坂の方が旧そうに思えるのだが、明治22年陸地測量部の地図では、佐分利、本郷へ抜ける道の方が上位の道となっている。
 
 前述の高浜史話の記事から、猪鼻、三谷場という地名は関屋川上流左岸にある小字名である。猪鼻とは猪鼻峠という小字名を示す。ところが猪段(いのだんと読むのだろうか)という小字名は地図上に無く、小字一覧にも見当たらないのである。
 青鄕村略圖を見ると、黒部谷との出合い右岸に井上という小字がある。現地で確かめなくてはならないが、猪段と井上は意味的には同じであり、同じ所をいうのではないかと思うのである。そうすると前述の郡道が猪段ー三谷場ー猪鼻と関屋川沿いに走っていることと矛盾しない。


Img_2722
猪鼻峠の杉木立の間から関屋川、関屋をのぞむ。



 小字井上が猪段のことだとすると、それは何を意味するか。井、猪は水流つまり関屋川そのものをあらわし、上、段はその水流の傍らにできた段丘を意味するのではないだろうか。そうするとおのずと猪鼻は、井の果て、関屋川のツメという意味になる。つづく

【晴徨雨読】23日目(2006.8.23)野沢温泉滞在、戸隠訪問

村のレンタカー屋さんで車を借りて、野尻湖や戸隠方面にドライブする。学生時代には毎冬スキーに行っており、懐かしい場所なんだけど何しろ時代も30数年たってるし、冬の景色とは随分違って、分かるのは戸隠神社だけだった。神社近くの行き付けのよろず屋も定宿のロッジも一体どこだか分からなかった。やっぱり戸隠は冬がよろしいようで、、、。Img_0337

こればかしは昔と一緒。



今日のじょん:究極の猫わけじょん。
今夜はきょーれつな猫わけじょんとあいなった。「いやーもーれつ残暑で食欲ないんやろか?」なーんて心配しないでちょーだい。P1020524
 実はこのフード食べてる最中に、私らの食べるべくトンカツの臭いがプンプンしているのだ。残したフードを食べさせるためにトンカツをちょいと入れてもらえることを知っているのだ。何という知能犯だ。結局トンカツと一緒に残りのフードも食べてしまった。作戦負け~。

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大唐内のこと(80) 丸山とイモリ村 8/22

2012-08-23 | 歴史・民俗

2012.8.22(水)晴れ

 胡麻峠、猪鼻峠の意を調べて随分時間がかかってしまった。猪鼻は大字小字に良くある地名で、別稿「猪鼻のこと」で書いたのだが辞書で引くように意味が当てはめられるものではない。
 この山稜には北から猪森ヶ嶽、猪鼻峠、猪鼻岳と並んでいる。猪森ヶ嶽は545mのピークで、上林側では丸山と呼ばれ、文献では生守山、三俵山などと色々呼ばれている。サンドラ岩のある特徴のある山である。Img_3544
 
小唐内から丸山(猪森ヶ岳)、この山容は間違わない。


 その南、小唐内から上がってくる峠が猪鼻峠である。若狭側からは上林峠とも呼ばれていたようだ。(わかさ高浜史話・伊藤勇)
 猪鼻山は若狭郡県志に「この山半ば関屋村に属す、絶頂丹波と若狭の境界なり、三國ヶ嶽連峰にして東方にあり」というむねあり、猪鼻峠と坪坂峠の間のピークと思われる。若狭國志に一萱(市茅野)まで三四丁という記事もあるが、解読中の文面もありその位置は定かでは無いのだが、上記のピークもしくはその東方の474mのピークかと思われるのである。Img_3510




 若丹国境稜線から大唐内に降りる尾根から、東方をのぞむ。
左の斜面が丸山の斜面で、その先に猪鼻峠、猪鼻岳、坪坂峠がある。


 知りたいのは猪鼻峠の地名の由来なのだが、猪鼻峠、猪鼻岳は関連があるだろうし、猪森ヶ岳も関連地名となるのではないだろうか。
 一般的に峠名はその麓の地名を付ける場合が多い。例えば市茅野から関屋に下る峠は坪坂峠といい、多門院から黒部谷を下る峠も坪峠と言う。これは関屋にある坪という所に向かう峠と言う意味だろう。ただしこの峠は黒部峠というのが一般的なようだ。P1020484_2
 
三国岳北方稜線、最も低いところが坪峠(黒部峠)。


 ところが、猪鼻という地名は上林側にも若狭側にも無いのである。しからば猪鼻峠というのは猪鼻岳に因んで付けられたか、直接その土地の地形などによって付けられたかだろう。
 多くの美しい文章を残している登山家大島亮吉が峠について書いている文がある。

 山の峰は自然によって創られた。けれど山の峠は人間によって創られたのだ。
・・・人は純然たる実際の理由のために、古くからアルプスの氷河の峠を越えたが、その後、ある特別の導きのあるまでは、高い峰々を登ろうとはしなかったのだ。けれど峰の名は、峠の名よりも早くから人によってつけられてあった。しかし人は、峠を実際に越えたときでないと、それに名をつけることはしなかった。

 けだし名言である。山の名前は古くからあったが、峠の名は人がそれを越えたときに初めて付けられるということだ。それ以前から峠の名は無いと言うことだ。
 しかしこれは遠くアルプスや飛騨、赤石山脈など人の足では容易に越えることができない山々に言えることであって、丹波のように山も峠も容易に往き来できるところでは、山名、峠名のあとさきを云々するものではないようだ。むしろ日常に往来する峠が山名に先行するのかもしれない。つづく
(大唐内のこと(79)は2011.9.27)

【晴徨雨読】22日目(2006.9.22)野沢温泉滞在Img_0344

街の中心部にある大湯。


 長い旅の間に旧い知己を訪ねることはあったが、偶然に出合ったのはこの日にあった八代氏ただ一人である。野沢温泉でMTBの大会を開催された後のことで、次の日に村の人と打ち上げをするからと招待された。

【今日のじょん】:新じょん語録(14)猫わけじょん
 暑い日が続き、何日か御飯を残すことがあった。食器の中を見て頂きたい、3粒残っている。これは猫わけでは無くてフードがへばりついているのだ。これぐらい食えよなあ。P1020516

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