晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 高浜、舞鶴 8/17

2012-08-17 | 晴徨

2012.8.17(金)快晴

 じょんのび村スタート 10:02
 市茅野          11:10~11:17(18.9Km) 行動食
 佐伎治神社       12:00~12:27(32.0Km) 昼食
 高浜図書館、黒部谷、関屋川彷徨
 R27関屋交差点スタート14:41(47.7Km)
 R27青葉トンネル~府道28号線小倉~金谷
 行永公会堂前     15:37(60.0Km)行動食
 菅坂峠          16:32(67.0Km)
 じょんのび着       17:07(79.2Km)

 前回市茅野まで1時間で到着しているので、今回はもっと早く着くだろうと思ったら、8分遅れだった。晴徨トレーニングも4回目なのでペースも上がっているかと思ったのだが、向かい風のせいかもしれない。前回寄ってみたいと思っていた佐伎治神社に向かう。式内社で旧県社と言うから古くて大きな神社である。P1020480 祭神は素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命というから出雲の系統といえよう。大体高浜は、和田(綿津見)、青、安土、横津海、中津海、青戸など海人族らしき地名が目白押しで、海人族の上陸、居住地であろうと思う。そしてその先鋒隊は森林資源、鉱物資源を求めて、黒部谷、関屋川を遡ったのではと考えるのである。
 わたしは若丹国境の山や峠を丹波の側からばかり見てきた。しかし文化の流れ、人の流れは若狭から流れているのだから、若狭から見つめないといけないと思ってきた。そして機が熟して、初めて関屋の谷に足を踏み入れようというものだ。まずは猪森ヶ嶽、上林側では丸山と言われる山を若狭側から見えるところまで行こうと決めていたのだ。Img_2714
 
丹波側からは特徴的な猪森ヶ嶽(丸山)(2011.4、小唐内から)



 頼んでいた図書が届いてていたので高浜図書館に寄っていく。その後図書館前の道を日置まで走り、R27国道に出る。国道を少し行くと青鄕駅、横津海(よこつみ)の道標があり、小道に入る。そのまま行くと横津海の谷に入ってしまうので、関屋川まで田んぼの中をトラバースする。
 関屋川は夏の日照りですっかり干上がっている、横津海の谷もそうだが、上流に行けばしっかり流れている。関屋の集落は予想以上に小さく、すぐに家が途切れてしまう。国土地理院の地形図で想像しているのとは随分違う、もっとも昭和47年改測の地図だから家のマークも今より多いのだろう。黒部谷との出合いあたりも随分家マークがあるが、現実には三軒だった。P1020482
 



 黒部谷出合いの橋、電柱の奥の尾根が三国岳に続く尾根、右の谷の奥に見える小さなピークは若丹国境三国岳北の409mのピークか。

実はここで地図を確認すれば良かったのだが、「三国岳」という立派な道標があり、矢印に従って右の谷に入ってしまった。というより左の谷には気がつかなかったのだ。つづく

【晴徨雨読】17日目 (2006.8.17)八ヶ岳八千穂町閑人舎で休養。
 雨のため休養を決め込むが、実はこの場所以外は晴れていたようだ。どうもこの高所のペンションは天気が悪いようだ、大体いつもガスって居て、湿気がきつい。
しかし世間の暑さを思えば極楽である。食事が凄いボリュームなのと主が大の酒好きなんでいくらでも長逗留できる。Img_0282


夜な夜な宴会の閑人舎、四泊。


 【今日のじょん】:我が家の愛用の豆腐は藤井豆腐である。木曜日に西舞鶴から配達してくれるんだけど、これが実に美味くて、安い。美味しいので有名な店のも買ったけどやっぱりこれが一番。当初やたらでかくて驚いたが、きょうびの家庭事情に合わせて少し小さくなった。といっても市販のものより大きいが、、。ところが値段も130円から110円になり、良心的である。そしてできたての豆腐の方が美味いこともわかった。今週はお盆で休みだったので、スーパーで一番上等のを買ってきた。スーパーの安い豆腐はとても食べられない。
 豆腐にはめがないじょんに試食させたら、食べないのである。藤井豆腐ならあんなに喜んで食べるのに、、、。つーやなあ。P1020432

写真と記事は関係ありません。 

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「シヅ」は鍾乳石? 8/16

2012-08-17 | 上林地名考

2012.8.16(木)曇、晴れ

 13日から14日にかけての大雨の被害が宇治市周辺に起こり、志津川左岸の家が流され行方不明になっておられた方の一人の遺体が発見された。あらかたの方が志津川ってどこよという思いだろうが、わたしは上林鳥垣渓谷のすずゆわ地名考で、スズ=シヅ=鍾乳石という仮説を掲げて、六月中旬に説を展開したのだが、すず岩の鍾乳石と思われる影像が倒木であったことで全面的に説を撤回した経緯がある。P1010939
 
シデ山山頂近くのすずゆわ。


 その際に調べた地域が宇治の志津川だったのだ。シヅ=鍾乳石なら志津川は石灰岩質の地形だろうと予想を立てたのだが、一部に石灰岩質の地形があるようだが、どうも顕著な石灰岩質の地域というわけだは無さそうだった。ただひとつ妙な地名があったので気になったことがある。
 それは明星山、読み方はおそらくみょうじょうやまと読むのだろう。
 新潟県糸魚川市小滝、姫川の支流小滝川の北に明星山(みょうじさん)という日本では数少ない石灰岩のクライミングウォールがある。そして両地域とも近隣に別所地名があるのだ。別所とは未だ研究中なのだが、古代に奥州の俘囚を移配した地というのはともかく、産鉄あるいは非鉄金属産出に関連のある地ということはほぼ間違いないと思っている。
 シヅで調べたうちに、島根県大田市静間(しづま)がある。石見銀山の東に当たる地域だが、古代地名語源辞典(楠原祐介ほか)では、静間神社が鎮座している地が垂氷山(たるひやま)ということから、垂(しづ)という地形地名だろうと解いている。垂(しづ)とは長く垂れ下がるということで傾斜地、崖を表す、ということだ。
 信太(しだ)、志高(したか)、設楽(しだら)など古い著名な地名もすべて「垂る」(しだる)からきた傾斜地、崖と解いておられるのだが、わたしは疑問に思っている。第一わたしの持っている漢和辞典に「垂る」が「しだる」とは載っていない。よしんばシダ、シヅに垂れるという意味があったとして、傾斜地、崖となすのは飛躍では無かろうか。
 わたしはシズ、シダなどに垂れるという意味はあるが、それは単純に水が垂れる様子や鍾乳石のようにしずくが垂れるという意味ととるべきだと直感的に思うのである。
 古代地名辞典に静間神社は垂氷山にあるので、垂(しづ)云々とあるが、地図を見ると神社記号の北の魚津港のところに「静ヶ窟」というのがある。調べると静ヶ窟とは海岸にできた二つの海食洞で、社伝などによると元々この洞窟に鎮座されていたということである。江戸時代に大波の侵入で地形が崩壊し、現在地に移転したということだ。さすれば静間の地名は垂氷山というより、静ヶ窟ということになりはしまいか。Img_4512
 



2007.4.20 大田市を通っているのだが、静之窟は知らなかった。
写真は仁摩の港あたりと思われる。

 この静ヶ窟の地質が、石灰岩ならわたしの説はうんと飛躍するのだが、どうやら火山角礫岩と凝灰岩ということだ。なかなか思うようにはいかないものだ。
 ちなみに国土地理院の地図では「静ヶ窟」とあるが一般的には「静之窟」(しづのいわや)と呼ばれているそうだ。

【作業日誌 8/16】
プリンスメロン防鳥ネット掛け
二度目の胡瓜胡瓜ネット掛け

【晴徨雨読】16日目 北八ツ彷徨(雨池)
 憧れていた北八ツ彷徨をする。思えば山に登って数十年、単独行は初めてなんじゃないか。組織で登っていたことや岩や沢などやってたことが原因なんだが、基本的に臆病者だからだろう。加藤文太郎の「單獨行」や山口耀久の「北八ツ彷徨」などにあこがれはもっていた。独りで山を歩くと、内面的な思いがもの凄い。むしろ総てがそうなるものだ。一人旅途中の山行だからこれ以降すべてが単独行となるのだが、結構くせになりそう。ただ、帰りの尾根でガスにまかれて右も左も解らなくなったときは、心底心細くなった。Img_0279

帰り道、ガスにまかれて視界は20mぐらいになった。



【今日のじょん】:お盆過ぎたら涼しくなるってえのは朝晩のことのようで、昼間は相変わらず暑い。体力温存のためとかみさんは言うが、とにかくじょんちゃん寝てばっかし。おとーも体力温存のため朝寝、昼寝してしまった。P1020395


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