晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 大簾、奥山峠、大原(2) 8/4 

2012-08-04 | 晴徨

2012.8.4(土)晴れ

 「あまな」という自然に親しむ会の会報に郷土史や古文書に出てくる福知山市周辺の峠の特集がある。その中に丹波志天田郡の大簾峠の一文がある。
 
 又麓ヨリ左ノ谷ヲ奥山ト云 廿町斗谷ノ中ニ 大原ノ内大簾嶺 船井堺也

 少し理解しにくい文ではあるが、大簾嶺(おおみすとうげ)が現在の奥山峠を指すようである。また、両丹日日新聞平成10年7月29日の記事があり、府道市島和知線の大簾峠の開通記念の記事のようだ。この大簾峠というのが、奥山峠のことであるのは間違いない。

 国土地理院の地形図には大簾峠と明記されている峠があり、この峠は大簾川の源頭、二股になった右股のツメにあり、質志の鍾乳洞の駐車場のあたりか桂と言うところに降りる。つまり天田、船井の郡界を越えるのでは無く、旧町名で云えば和知から瑞穂にぬける峠である。これはどのように考えたら良いのだろうか。本当の大簾峠はどれなんだろう。P1020366
 
 
奥山峠大簾側からの展望は大原八景の一つとなっている。

P1020365
奥山峠の本来の峠はこの空間部分だろうと思うが、祠や地蔵さまは無かったのだろうか。

P1020368
眼下に中津戸最奥の集落が見えてくる。旧の峠道はこの集落から谷沿いに直登し、最後に現峠に合流している。


 大簾から京に向かう場合、大簾峠(国土地理院記載のもの)、その東南の峠(大簾川源流左股から三宮に降りる)、七谷峠(大簾出合いの上から左に入る谷を登り三宮に降りる)の三つが利用され、奥山峠は大原神社に向かう場合に使われた峠なのではないだろうか。樫原の大原神社から大祭の毎に通った神官はこの峠を越えたのではと考えるのだが、余りにも街道としての、信仰の道としての遺物が少ないのである。
 もちろん新道としての府道はいにしえの道とはルートが違うのだが、大簾出合い橋から谷に沿って登る間は昔と同じルートだと思うし、その後も府道が谷を横切る箇所も一箇所ある。峠そのものもそうだけど、こういった地点に道標や地蔵さまは遂に見つけることができなかった。山家からの大原越え、大成峠などの大原に越える峠道とは雲泥の差なのである。
 
 ここから先はいつもの通りわたしのげすの勘ぐりなんだが、大簾の人にとって重要なのは京に向かう先程の三っつの峠で、大原に向かう道は大原神社の参詣(大原指しという)以外にはそれほどの重要性が無かったのでは無いだろうか。
 平成10年奥山峠の府道が完成したとき、本当に開通を喜んだのは、大原、中津戸の人々ではなかったか。大簾の人々は大原に抜ける車道より、三宮に抜ける道の方がいいと感じているのでは無いだろうか。
 そして期待通り道が出来ることとなったとき、それは一般道では無く和知まで行かないと乗ることの出来ない自動車専用の京都縦貫道であったことはなんとも皮肉に思えるのだが、果たして地元の方々の思いは如何だろうか。つづく

晴徨雨読 四日目(2006.8.4)
余呉湖~今庄~武生
 自転車旅行中辛い思いは、暑さ、寒さ、雨、風、疲労、病変、故障、恐怖など色々あって今後も紹介していくが、この日の辛かったのは空腹、つまりハンガーノックである。椿峠、栃ノ木峠と大きな峠を越えたのだが、道中に食糧を買える店が一軒も無く、悲惨なこととなった。以後行動食、非常食を充分に備えるようにしたが、それはこの日の教訓からである。Img_0118

椿坂の途中、昼前に最後の食糧をとる。夏場のスキー場に店など無い。


今日のじょん:今日も他所の犬の話で盛り上がっている。
「ルルちゃんは風邪ひいても大丈夫やなあ」
「風邪薬やさかい」
「ルルちゃんは上海帰りかい」
「そりゃリルや」P1020379


 

コメント
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